| 2010年11月30日(火) |
| その41.江戸川のハゼボートのリール釣り結果について |
2010.11.30
2010年のリール釣りについては、9月22日を初回として秋ハゼ釣りを6回、落ちハゼ釣りを4回実施しました。
秋ハゼ釣りは、9月16日夜に発生したアオシオが翌17日に江戸川のハゼを死なせ、さらに19日には1000万尾以上とも思われるハゼの大量死をまねき、21日にようやくアオシオが終息した翌日の22日にリール釣りで開始いたしました。
これを時系列で示しますと次のとおりです。
9/16〜9/21アオシオ、この間ハゼの大量死あり。
9/22リール釣り630尾
9/23冷たい雨、9/24アオシオ発生、9/25台風12号、9/28アオシオ終息、ハゼは死なず。
9/29リール釣り735尾
10/5リール釣り533尾
10/12リール釣り744尾
10/18リール釣り697尾
10/26リール釣り550尾、この日の夜、木枯らし1号が吹く
10/30台風14号
となっています。
合計3889尾、釣行6回、648尾/回でした。6回すべてで500尾オーバーでした。このことは、もとより私のリール釣りの目標でもあり、それを念願どおりに達成できたということです。
11月からの初冬の季節の落ちハゼ釣りは4回実施しましたが、異例なことに、江戸川放水路内での釣りになってしまいました。行徳港内の深場のポイントでの釣りが思わしくなかったからです。
11/2川中での落ちハゼ釣り473尾
11/9川中での落ちハゼ釣り691尾
11/16川中での落ちハゼ釣り417尾
11/20行徳港内深場の落ちハゼ釣り60尾
合計1641尾、釣行4回410尾/回でした。
行徳港内の深場にハゼの絶対数が極端に少ない現象は、比較的に被害の大きいアオシオが発生して江戸川放水路へ流れ込んだときなどの年は、決まって行徳港内での深場でのハゼ釣りは貧果に見舞われていました。今年もその轍を踏んだと考えています。
このことは、行徳港内へ放水路からのハゼの供給がとても少ないのではないのかという推測をさせるのです。今年もいま港内で釣れているハゼは、港内にもともといたハゼでアオシオを乗り切った生き残りではないのかと推測しています。放水路からの落ちハゼがいたとしても少ないのではないかと思うのです。
もしそうであれば、来年以降も、ハゼが大量に死ぬようなひどいアオシオが放水路を覆ったときは今年と同じようになってしまうということです。
いずれにしても、昨年つまり2009年の行徳港内深場の釣りは393、314、321、301、282、282、190(半日)、419、215、298、290、289、131、22ということで、12/23を最終日として終っていました。
以上のことと比較しますと、2010年の11/20の60尾というのは行徳港内の釣りとしては、いかにも「貧果」です。
9月に発生した2回のアオシオで深場のハゼはそこを逃げ出して、もとへもどらなかったと推測できます。
今後のことですが、行徳港内で多少は釣れたとしても、昨年のような釣果は望めないものと思えます。極論すれば、一日頑張って5尾とか、20尾とかということで、ときにはポイントを見つけた人で50尾とか70尾とかの釣果はあるものの、そのような人は稀で、大半の人はオデコとか、数尾とかということだと思います。
9月のアオシオまではとてもよく釣れていて、秋から初冬へのリール釣りの期待をもたせてくれていたのですが、このような結末になってとても残念でなりません。
来年2011年こそは大規模なアオシオが発生しないように願うと共に、放水路内へのアオシオの流入がないよう祈るのみです。
私のボート釣りのシーズンは去年よりは3週間も早くこれで終了となりました。
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| 2010年10月25日(月) |
| その40. リールザオ1本100尾 |
2010.10.25
ミャク釣りでハゼを一日に1000尾という目標で江戸川でハゼ釣りをはじめたのが平成元年なので、今年で丸々22年となります。
リール釣りもやはりそのときにチャレンジしたのですが、当初は、リールザオ1本で2本バリでの探り釣りをしていました。
この釣法はみなさんよくご存知のものだと思います。
このときの目標は「最低」100尾というものでしたが、釣れたり釣れなかったりだったと記憶しています。
平成元年の秋、それもわりと早い時季に、リール釣りで500尾を釣れないものだろうか、という思いが湧きました。
1本ザオでキャスティングして探り釣りで1日100尾が釣れるわけですから、5本で釣れば500尾は釣れるだろうという単純な考えでした。
私にとっては釣りは道楽ですから、人と競うということを好みませんでしたから、500尾という数字はハゼのリール釣りを「楽しむ」うえでの私だけの「密かな」楽しみであったわけです。
そんな未熟な時代の私であったわけでしたから、当初は、5本を投入して当然のように置ザオになるのですが、そのうちの1本を手に持って探り釣りをしていたものです。つまり、「置ザオ」にするのか、「探り釣り」をするのか、どっちつかずの「方針」が定まらない釣りをしていたと思います。そうこうしているうちに、置ザオにアタリがあると手のサオをガタンと脇に置いて、アタリのあったサオを上げたものでした。
いまから考えますと、それは何の方針も哲学も法則的なものもない場当たり的な釣りだったと思えるのです。
それは当然のように、サオ5本を出したとしても、釣果は170尾とか、300尾とかだったわけです。サオ1本あたり30〜60尾という釣果です。
それからは試行錯誤の連続で、ずいぶんといろいろな失敗をしたものです。
500尾を初めて釣ったのは平成7年のことで、614尾、419尾、537尾ということで、あとは300尾台の釣果という記録が手帳に残っています。これらはすべて「5本ザオ」の釣果でした。7本ザオではありません。このときはまだ、私は7本ザオを「扱いきれない」「ウデ」だったと思っています。つまり工夫が足りなかったということです。また別の角度から見ますと、7本ザオにしなくたって5本ザオで当時の私の「未熟なウデ」でもゆうゆうと500尾以上が釣れた魚影だったいうことです。500尾以上が釣れたのはこのときだけで、その後はまた長く低迷が続きました。このことが私の「ウデの未熟」という証しです。
つまり、「再現性」ということが最大の壁で、年によって魚影の濃さが違うこともあって、いろいろと悩んだものでした。私の究極の目標は、魚影が濃くても薄くても確実にリール釣りで500尾を釣りたい、というものでしたから、そういう意味では目標はかなり高かったと思っています。でもそれは考えてみるとミャク釣りの場合と全く同様の過程を通っているわけです。
そんな私であっても、一度だけでも500尾という壁が超えられますと、「リールで500尾の感触」というものが「手」に残っていますので、あとはどうやってそれを「再現するか」という根気の必要な作業だったと記憶しています。
二度目に500尾以上を釣ったのは、最初に釣った平成7年から8年後の平成15年のことです。この年は、579尾、449尾、623尾(新記録)、405尾、546尾、349尾と江戸川放水路内でリール釣りの高釣果を連発できました。
その釣り方を平成16年に「江戸前のハゼ釣り上達法」を執筆したときに「ハリネズミ釣法」と命名いたしました。
三度目の山はその翌年の平成17年で、428尾、486尾、550尾、739尾(新記録)、604尾、520尾、470尾となっています。
その後の年からは毎年のように500尾以上をリール釣りでコンスタントに釣れるようになったのでした。つまり、「再現性」という難問をクリアできたようでした。
特筆すべき年は平成21年で、この年は新記録を連発した年でした。858尾(新記録)、833尾、550尾、534尾、893尾(新記録)、839尾となっています。
今年平成22年はまだ終ってはいませんが、630尾、735尾、533尾、744尾、697尾という結果になっています。
振り返ってみますと、平成元年から、初めて500尾以上が釣れた平成7年のころまでの時代と、平成15年〜平成22年の時代の決定的な違いというものは「たったひとつ」あることに気付きます。
それは「ハゼの魚影」が、後者の時代、つまりこの最近7年間では、平成元年から平成7年頃までと比べて絶対的に少ないのではないのか、ということです。この感触というものは人によって違った意見があるとは思います。それを承知の上で書いています。
このことは私の釣り手帳の「釣り日誌」及び「釣りポイント」、釣れたときの「気候条件」などを吟味しますと、私なりの結論としてそのように申し上げることができるのです。
ですから、私がリール釣りで500尾を釣りたいと願って努力していた時代というものは、ハゼの魚影という決定的に大切な条件が満たされていた時代であったといえるのです。このことは私にとって「僥倖」とでもいえる時代だったと思います。
そのことを加味したうえで、最近の過去7年間の500尾以上の釣果の「連発」という事実を考えますと、私自身の釣技の進歩というものが強く感じられるわけです。
このことを書いてしまいますと、自画自賛、自惚れ、慢心などという言葉が自分でも思えるほどの自信過剰に見えるのではないかと思うのですが、実際に今年なども釣っていて、「500尾を狙って」実際にそれだけを確実に釣ってしまう、という現況は、私自身「空恐ろしい」状況ではあると思っているのです。こんなことは確かにかつて「目標」にはしていましたが、現実としてそのようになってしまいますと空恐ろしくなることだってあるわけです。これはミャク釣りでの1000尾連続釣り回数と同様のことなのです。
リールザオ1本100尾という現実から出発して5本を扱えれば500は釣れるだろうという単純な発想で始めた「500尾釣り」は、今では7本のサオを駆使してサオ1本あたり一日100尾、7本で500尾以上目標というところまで発展してきました。
このことは、知らず知らずのうちに、ハゼの魚影が昔ほどは濃くはない、という現実を肌で感じて、いつのまにか、7本ザオの技術習得に向っていたのだと思っています。
釣り時間は秋はおよそ最長で9時間ですから、500尾を釣るには1時間に60尾を釣らなければなりません。そしてサオ5本であれば1本あたり一日100尾であり、7本であれば1本あたり一日72尾という計算になります。
私のリール釣りでの500尾(江戸川放水路内でということ)を目指す現在の釣りは、サオが5本であろうと7本であろうと1時間に60尾以上というのが最低目標であるのです。
そのような釣りができるためには@ハゼの魚影の濃淡をいち早く察知する「勘」をもっと養うことAサオさばきの技術を練磨することB7本ザオの釣技をもっと会得すること等々がこれまで以上に必要であろうと考えているのです。
東京湾の現状を考えますと、赤潮、アオシオの多発など、ハゼの魚影はすぐには昔のように復活できるとはとても思えない現状が多すぎます。仮にそうであったとしても、江戸川放水路内「だけ」のハゼの魚影を考えますと、多くの釣り人が数釣りを楽しめるだけの魚影は当面確保されているのではないのかというのが私の感触ではあるのです。
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| 2010年10月1日(金) |
| その39. 2010.9.17〜9.28までのアオシオについて |
2010.10.1
江戸川放水路でハゼの被害を伴うアオシオが始まったのは9月17日(金)でした(新聞報道によると船橋沖の三番瀬では15日ころからアサリなどの貝類が死んでアオシオが問題になっていました)。
この17日は、私はヘラ釣りに出かけていて、現地でその情報に接しました。
夕方、帰り際に江戸川に出向いたところ、岸辺にハゼの死骸が打上げられているのを確認いたしました。死骸の数は、私が5mほどを歩いただけでハゼ12尾、マゴチ、イシガニなどで20尾ほどありましたので、江戸川放水路全域でのハゼの被害は数万尾以上ではと思ったのでした。
その翌日の18日(土)は三連休の初日ですが、この日の朝はさらにハゼの死骸が多くなりました。私の推定では数十万尾といたしました。ハゼ以外の死骸もあって腐臭がひどくなっていました。
翌19日(日)は、ハゼの大量死となりました。私の推定数はおよそ1000万尾以上といたしました。この日は、上げ潮と共に、岸辺に散乱していたハゼの死骸が潮に流されて上流方向へ幅3mほどの帯となって延々と連なって流されていきました。そのハゼの死骸の帯は一筋だけでなく何本も沖のほうにありました。これは放水路の右岸左岸とも同様の状況でした。
この様子は多くの人たちが目撃していましたので、アオシオ終息後になっても陸釣りの人たちと会話をしますと、ハゼが死んで帯になって流れていて可哀相だったと、こんなにたくさんのハゼがいたんだと知ったと、そのような話が陸釣りの人たちから自然とでるわけです。
ハゼの大量死は幸にこの一回だけですみました。
翌20日(月)敬老の日もたくさんの釣り人が見えましたが、潮は悪く、浅場でしか釣れませんでした。それで午前中であきらめて帰る人も多かったようです。この日も朝護岸を歩いて観察したところ19日の4分の1ほどでしょうか、数にして100万〜200万尾と思われるハゼの死骸を見ました。アカエイの死骸も33尾数えました。
このようにアオシオが川の中に入りますと、最悪ではハゼの大量死となるのです。
ハゼが死なない場合でも、水質は酸素が極端に少ない貧酸素水、あるいは酸素がほとんどない酸欠水ですので、ハゼは呼吸困難であるわけです。したがって息も絶え絶えにしているハゼの食欲はまったくなくて、泥に潜ってじっと耐えているか、超浅場の水際の波打ち際で波によって水にわずかに補充される酸素を求めて群がってくるか、ということになるわけです。
ですから、アオシオと確認された場合のつり方は、風がぶっつけになる側の岸辺の水深20〜50cmほどの超浅場を釣る、というのがいいのです。このことは、釣りにみえたお客さんに、ともかく浅い場所で釣って下さいと船宿がご案内したと承知しています。このようなことをご存知かご存じでないか、あるいは、気がつくか気がつかないか、釣り場で実践できるかできないか、ということがあって、アオシオ時の釣果については、平常時以上の極端な差がでるのです。ゼロの人が多数いて、200の人がポツンといる、という具合です。
アオシオのときのハゼは食欲がなくてエサを食べていないものですから、だいたいが、スマートになってしまっていて、やせています。ハゼというのは、お腹がプクンと膨れていて何を食べているのだろうかと疑うほどに太っているはずなのです。それがアオシオになりますと痩せてスマートになってきます。体力の限界になりますとハゼは立ち泳ぎとなりそのまま死にます。総じて、大きなハゼが先に死ぬことが多いようです。
ハゼの大量死が1回ですんだということは、ハゼにとって僥倖ですが、行徳沖から次なる新手のアオシオが入らなかったということがありました。ですから、ハゼの体力がギリギリのところで耐えられたということです。
翌21日(火)には、水はまだ茶色でしたが、これはアオシオがまだ薄まっただけで水の入れ替わりはできていないのですが、それでも新たに死んだハゼはいないようでしたので、一応、17日にハゼが死んだアオシオは21日には終息したものと判断いたしました。
したがって、私は次の日、22日(水)に釣行することに決意いたしました。
つり方はリール釣りで浅場を狙うということにいたしました(ミャク釣りの道具は17日のアオシオ発生前の時点ですべて仕舞ってしまいましたのでリールで釣ったのです)。私はそんなことでしたので、21日までのボート釣りの情報収集に努めていましたので、それまでに釣れていたポイント、エリア等は承知していたつもりでした。
しかし、それは私が収集した情報の範囲内の釣りポイントでは、私の釣り方では釣りづらい部類に入る場所でもあり(リール扱いがということです)、それにおそらくいろいろな船宿さんのボートが案内されて集まるだろうという考えもあって、「平日なのに」余裕をもった釣りができにくいものと判断して、収集した情報から外れたエリアを選定して、イチかバチかの勝負をいたしました。もし、自分が選定した場所で思わしくなかったら、前日までの実績のある場所へ移動しようと考えていました。
幸に朝一から入れ食いとなって、用意した7本ザオでは扱いきれないアタリ具合でしたので、最終的に5本に減らして釣りました。釣果はリール釣りで9時間で630尾という大釣りができました。
翌23日秋分の日は冷たい雨が降り、北風ないしは北東の風が強く吹きました。案じていたことが起こって、翌24日(金)は行徳沖はアオシオで湾岸道路下流の左岸、青い工場の前辺りまで乳白色の水色に変わっていたということでした。また、最上流域でもアオシオが発生して上流域の青い水菅橋下手までコバルト色になり、それは次第にバスクリーン色となって上流域に拡がっていたのを目撃いたしましたこの日の水温は桟橋で24℃でした。22日は28℃でしたから急降下したわけです。。
翌25日(土)は台風12号による北東の強風と強い雨が降りました。
26日(日)はボート釣りが再開されましたが、水色は茶色でカニがまだ棒によじ登っている状況でした。上流域のバスクリーン色も取れていませんでした。したがって釣れたのは水深20〜50cmの浅場で、上げ潮になってからいっとき入れ食いになったと聞きました。
27日(月)は朝から終日冷たい雨の本降りで北ないし北東の風が強く吹きました。今回はなによりも雨が大量に降ったことです。このことによって雨がタイミングよく水面をたたいてくれたようで江戸川放水路内のアオシオは終息したようでした。
28日(火)午後の時点では、水色は「透明」で澄みでした。茶色というものはまったく影も形もなくなっていました。透明な水色は、いまどきの季節の気温20℃前後、水温22℃前後の条件下での水色といっていいでしょう。
翌29日(水)2回目のアオシオが終息したものと判断してリール釣りで釣行しました。釣果は735尾と「超」入れ食い状態でした。リール釣りで700尾オーバーというのは滅多にあるものではありません。
30日(木)は冷たい雨が強く降りました。気温も低くなりました。
10月1日(金)、この日は朝江戸川へ行って、きのうと本日の様子を聞いたところ、きのうもきょうも、ハゼは水深の浅い場所でないと釣れていないということでした。このことはナウキャストの貧酸素水塊の標示と一致することで、行徳沖はかろうじて水質はいいようですが、その他の海域は魚類危険の貧酸素標示です。江戸川放水路内では、水深が深い場所ほどハゼが少なくて、あるいは、釣れなくて、浅い場所でハゼが群れていて入れ食いになるということでした。比重が重い貧酸素水が比較的水深が深い場所をいったりきたりしていてハゼがその深さのラインへ「落ちる」ことができないでいることが想像できます。
以上が9月17から本日10月1日午前中までの状況でした。
このように時系列で振り返ってみますと、ようやく、本来の放水路の状態に近くなったかと思うのですが、まだまだ、アオシオの影響からは完全に脱したとは思えないのです。安心できるのは、放水路内の比較的に水深が深い場所でハゼの入れ食いがあったときではないのでしょうか。
毎年のように、お盆過ぎから9月の中旬にかけて、季節の変り目の前線の通過と冷たい雨、北東の強風、雷雨、集中豪雨、あるいは台風の通過などが重なりますと、夏場の間に溜まったアオシオが一気に水面へ出てきて東京湾奥に広がるのです。あとは程度問題で、アオシオが少しずつ何回かに分けて放出され、放水路まで入ってこないか、今回のようにドカンと大きなものがくるか、という違いでしかありません。
今回の2回のアオシオによって、とくに、一回目はハゼの大量死があり、ニ回目はハゼは死にませんでしたが、放水路内の貝類が大量に死にました。また、船橋の三番瀬、行徳沖の三番瀬のアサリなどの貝類が死にました。とくに、船橋の三番瀬は90%位以上も死滅したと新聞報道があったほどで、それは海水の浄化作用に大きなダメージを与えます。
アオシオが今後どの程度発生するのか、アオシオの「モト」がまだ残っているのかいないのか、気がもめることですが、とりあえずは、10月1日現在ではある程度は正常化したものと思えるのです。
そうはいっても、主として浅場でしか数がまとまらないという状況が続く限り、江戸川でハゼを釣る釣り人の一人としての私は、心穏やかではない日々を過ごさなければならないのです。
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| 2010年9月16日(木) |
| その38. 2010年ハゼのミャク釣り釣果について |
2010.9.16
2010年のハゼのミャク釣りは、釣行16回、釣果20775尾、平均釣果1298尾/回で、10束超が連続15回でした。
毎回の釣果は次のとおりです。811、1098、1330、1395、1342、1556、1132、1520、1123、1074、1601、1576、1367、1405、1322、1123でした。
2010年のハゼ釣りについては、週一回のペースで釣りをしました。このことは、@ヘラ釣り5年目の釣果を残したいためA結果として今年の猛暑対策となったため、という二つの理由がありました。また、これも結果論ですが、釣行するにしても、天候の周期が私の釣行日程と合わなかったという側面もありました。
江戸川放水路の水温測定の結果は次のとおりです。
6/2 19.5℃、6/10 21℃、6/18 26℃、6/25 26℃ 平均23.1℃
7/2 27℃、7/8 27.5℃、7/14 25℃、7/20 29℃、7/26 30.5℃ 平均27.8℃
8/2 30℃、8/10 29℃、8/16 29℃、8/23 29℃、8/30 29.5℃ 平均29.3℃
9/6 30.5℃、9/13 27℃ 平均28.7℃
16回の平均水温は27.2℃でした。
2009年は、19.5℃、21℃、23℃、22.5℃、23.5℃、23℃、24℃、25.5℃、27℃、26.5℃、27℃、27℃、28℃、28.5℃、26℃、25℃、24.5℃、23℃、22.5℃、22℃で、平均水温は24.4℃でした。
2010年の平均水温は4.3℃も高かったことになりました。
2009年は雨が多くて冷夏で、2010年は6月初旬までは水温がとても低く、以後は逆に高水温となりました。両年共に異常気象といわれる年になりました。
2009年は年間釣果が過去21年間で第二番目の数字でしたし、ミャク釣りの平均釣果が最高となり、今年は第二番目の記録になりました。今年の方が数字としては低いですが、釣りとしては猛暑で厳しい釣りをしたと思っています。冷夏といわれる年の方が身体は楽だと思います。
2010年は水温27℃でミャク釣りを中止しました。2010.9.15測定で水温は24℃ですので、2009年のことを考えれば、データとしてはまだまだミャク釣りで10束を狙える水温ですが、2009.9.14に水温22℃、釣果811尾でミャク釣りを終了していますので、このことは9月中旬で季節的に10束という数字は厳しくなるのだとわかります。原因はハゼが比較的に深い場所へ移動することだと思われます。9月中旬以後月末までに10束を釣ったのは過去22年間で3回しかありません。
これは季節要因を無視できるだけの高水温が持続していたこと、それだけの魚影があったこと、私の気力が持続できていたこと、などの要因が重なったためと考えています。
以上を考慮しますと、2010年の水温低下は一気に進むものと思われますし、季節もすでに9月中旬過ぎになったことから、ミャク釣りを中止したわけです。
アオシオの大被害さえ発生しなければ、今後のリール釣りもかなり楽しめるものと期待しています。
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| 2010年8月13日(金) |
| その37. 漁師とアマチュア |
2010.8.13
ときおり、私の釣果をみて、漁師だ、とおっしゃる方がおられます。
私は、漁師でもないし、釣りのプロでもないし、アマチュアだと思っています。
どの魚種の釣りでもそうですが、たくさん釣る人のことを「漁師」と揶揄するようです。
だいたいが、漁師という職業の人は「乱獲」ということを意識して、常に、漁をしています(と、私は信じている)。
例えば、行徳沖でアサリ漁をする漁師は、ある一定以上の小さな貝を獲らないようにしています。これには目の粗い漁具を使って、小さな貝を目こぼしするのです。
同じことは、カレイなどの底曳網漁にもいえて、網の目というのは大変重要なワケです。
最近、この10数年、木更津沖でのカレイ釣りが低調ですが、原因はカレイが少ないせいです。
カレイの魚影が薄いことに関しては、様々な原因があると思いますが、現状では、期待ほど底曳漁で獲れないので、さらに一生懸命に漁をする、という循環です。それでどうなったかといいますと、木更津沖の海底が底曳網をがらがら曳くものですから、削られて、凹凸が少なくなってしまったといわれています。もちろん、虫などがつくガラ(殻)などもなくなってしまってカレイがいなくなってしまったのです。
このことはカレイの生息数の消長の原因については異論もあると思いますが、漁をする人たちも仕事ですから、生活がかかっているので漁をやめるわけにはいかないのです。
東京湾奥の魚種については、アオシオ発生との関連で、キス、メゴチ、カレイなどの魚は年々少なくなっているようです。それは水質悪化で呼吸困難という条件もありますが、エサとなる海底の生物がアオシオのダメージで少なくなって、魚のエサが少ないということも影響しているようです。
ハゼについては昭和20〜30年代までは、行徳沖で手漕の和船で流して釣りを楽しんだものです。干潟の埋め立てが進んでその風情も消滅しました。それはハゼが昔のように釣れなくなったからでした。
それでもキスやメゴチ、カレイなどと違って、江戸川放水路、行徳沖、船橋沖、浦安沖、葛西沖などの湾奥のエリアには想像もできないほどの数のハゼがいるといわれています。
とくに江戸川放水路はボートでのハゼ釣りのメッカで、ベテラン、ビギナー等、数釣りが楽しめるエリアといっていいと思います。
ハゼ釣りを7月解禁にしてはどうかとか、尾数制限をしたらどうかとか、いう意見も聞いた覚えがありますが、立ち消えになったようです。いっそのこと、1年間でも2年間でも江戸川のハゼ釣りを中止してみたらどうかとの極論もあると思いますが、それは論外でしょう。
江戸川のハゼは1番子から8番子までといわれているように次々に孵化してきて、その数は膨大(推測に過ぎませんが)だと思えます。結果、どのようなことが起きるかといいますと、ハゼの個体数が多すぎて、多分、エサが足りないのでしょうか、いつまで経ってもハゼの大きさが思ったように大きくならないのです。
このことは、3年前に大規模なアオシオがあって江戸川のハゼの90%以上が死滅したのではないかといわれた後に、生き残ったハゼが短期間に「巨大」な大きさに育ったことを知っている方も多いと思います。エサの量とハゼの個体数の関係はハゼの魚体の大きさになって現われると思うのです。
そのような意味からいいますと、今シーズンのハゼの魚影は、かなり濃いものと推測できます。
それに比して、釣りにくるお客さんの人数は例年ほどにはなっていないようです。ということは、ハゼは「間引き」されることも少なく、エサ不足のままで、たくさんのハゼが江川放水路にいるということです。
私がこのことを強調するのは、私自身が漁師ではなくて、アマチュアだということで、ハゼ釣りは道楽だということです。
ハゼは、釣り人が道楽や趣味で遊ぶためには十二分すぎるだけの数の魚影であって、絶滅の心配は全くないということです(と私は思っている)。
一番の心配事は、アオシオの大規模発生です。これはどうしようもなく救いようのない悲劇です。二番目の心配事は、江戸川放水路や行徳沖のハゼが「漁の対象」となることです。これは漁をできるほどの魚影でもなく、大量捕獲の危険もいまのところはなく、秋になって、湾岸道路よりも下流のエリアで、わずかに刺し網漁がされる程度です。そうであっても連日のように大量の刺し網が設置されるような事態になりますと、リール釣りの邪魔になるだけでなく、状況は一気に悪化するでしょう。
ハゼは私が一週間に一回釣りに行って1000尾釣ったとしても、そんなことは痛くも痒くもなくて、膨大な数のハゼがエサを求めてうごめいているのです。鵜やシラサギ、カモメその他の天敵に食われてしまうハゼの方が釣り人が釣るよりもずっと多い(これも憶測と想像ですが)というのが実状です。
漁師という者は、生活の足しにならなければ漁はしないのだし、漁をしたとしても将来のために必ず「種」は残して乱獲はしないものだし(と私は信じている)、その日の糧になるだけを獲ればそれ以上は漁をしないものだと思うのです(と信じている)。
また、私が漁師ではない、というのは、私の釣法とか、釣りポイントとかを腹蔵なく公開していることです。
漁師というものは、生活がかかっているものですから、どこで何がどれだけ獲れたか、どうやって獲ったかなどということは秘密なのであって、「絶対に」口外しないものなのです(私が知っている限りそう思えます)。これは「名人」といわれる人ほどそうです。私はそのように思っています。いわゆる企業秘密です。
釣り人も一面そのような企業秘密を持っていて、自分の技術を公開しないこととが多いように思えます。教えた自分よりも上手になられては身も蓋もないからです。それが普通の感情です。
私の場合は「バカ」というか「アホ」というか、そんなことには無頓着で、自分の釣果等々を「ひけらかして」いるわけです。人によっては、鼻持ちならない人物と思われていることでしょう。
そのようなことができるのは、私が漁師ではなく、釣りのプロでもなく、単なるアマチュアの道楽者であるからこそのことだと思っています。
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| 2010年7月18日(日) |
| その36. エサの消費量 |
2010.7.18
先日、釣り上がったところ、常連さんがエサはとのくらい使いますか、という趣旨の質問がありました。
私は1パック200尾が目安でしょう、と答えました。すると、荒い使い方ですね、とおっしゃるわけです。
その方たちは1パックでその日は400尾釣ったのだそうです。上手な方たちなのです。
青イソメは1パックでとのくらいの量のエサが入っているのかは売っている店によって違います。一応、釣り場で買うものが一番高いという相場になっています。私もその方たちも船宿のエサですから条件は同じです。
私が答えた1パック200尾はまさに目安でして、季節によって使用量が違ってきます。つまり、ハゼの大きさによって違います。ハゼが小さければ消費量は少なくて、大きく育った時季であれば多くなるということです。
1パックで400尾釣る方が500尾釣ったときに、私が仮に1500尾釣ったとします。するとエサの消費量は3倍ということになります。つまり3パック半になる計算ですから4パック持っていかないとエサ切れになるということになります。
では実際に青イソメ「1本」で何尾のハゼを釣れるものなのでしょうか。私の過去の実績では多いときで100尾、少ないときで30尾というものです。目安は50尾程度でしょうか。
もちろん、エサには太いものもあれば細いものもあります。長いものもあり短いものもあります。またクズエサといわれる千切れた短くなったものもあります。
船宿では目方をかけて1パックずつパック詰する、あるいは、目方はかけないが決まった容器にアオイソメを入れてパックへ入れるなどしているようです。
ということは、1パックの量そのものは、いろいろと異なった大きさのエサはあるにしても船宿毎では同程度の量は入っているわけです。あとは「使いやすい」エサかどうかだけです。
私の場合は木製のエサ箱にエサをそのまま入れてもらっています。もちろん砂その他の保管材はいれません。これは指を保護するためにそうしています。季節によって量は違うのですが、ほとんどの場合使い残しがかなりでます。
これはエサ切れをしないための私の配慮でかなり余分に持っていくからです。
エサの使用については、いまではエサの頭を切っています。捨てるのはもったいないという気持もありますが、手返し重視で釣っています。もちろん、頭は捨てずに、これを木片その他でグチャグチャに潰して、口の尖った固い部分にハリを通し刺しにして頭部を使いますとエサ持ちはかなりいいのです。これだけで10尾とか15尾とかは釣れるのです。
この方法はエサの絶対量に不安があるときに用います。現在では私は大概は頭を切ってポイッと捨てます。じつは、これを寄せエサ代わりに使うわけです。潮の流れを見極めて次に仕掛けを投入する方角へ沈むように捨てるのです。
私のハゼの釣り方のひとつは、ハゼを寄せて釣る、という考え方があります。別の釣り方はハゼを探して釣るというものです。どちらの方法も「有効」な釣り方だと思っています。
両者に共通することは、ハゼの「活性」をどのようにして高めるかということです。別の表現をしますと、「入れアタリ」状態をどのくらいの時間「持続」できるか、ということです。アタリさえ持続できれば、どのくらい釣ったか、ということは「技術」の問題でしょう。もちろん、アタリを出せるか出せないか、どの程度のアタリの頻度か、ということそのものも「技術」の範疇だと私は思っています。
エサの消費量の違いにはもうひとつあって、1本ザオか2本ザオかということがあります。もちろん、1本ザオの方が消費量は少ないです。これは歴然としています。
1本ザオでは「ハゼの唇にハリを引っ掛ける」という釣りをします。少なくとも私の場合はそのように心掛けて全力でそのように釣るのです。別の言い方をしますと、1本ザオで釣っていて「ハリを呑まれる」ということを「恥とする釣り方」といえます。
少なくとも、私はそのようにしてトレーニングをしましたし、1本ザオの釣りで1000尾を目指すのであれば、そのような釣り方に技術は収斂されていくと思っています。
こうなりますと、魚影がすこぶる濃いポイントであれば、1本ザオで最初こそエサを大きめにつけてアタリを誘いますが、アタリの出具合から判断して、あとは、クワセ専門の大きさのエサで勝負できます。アタリが渋くなったら投入角度を換えて同じ方法でいいのです。
それほど魚影が濃いと思えない場所では、ハゼを探す釣りをします。1本ザオですから頻繁な投入を繰り返してチクッのアタリをとります。また、小突き、引き釣りのテクニックを駆使します。
このようなときには、出たアタリは「必殺のアワセ」で釣ってしまいます。ということは、ハゼの大きさに合ったエサ付けが必須の条件だということです。大きなエサ、硬いエサ、長いエサであれば、ハゼの大きさに合わない、つまり、一発で口の中に吸い込みきれない大きさや硬さであればあわせても空振りするということです。
1本ザオの釣りの醍醐味は、アタリの頻度とハリ掛かりの確率をどれほど高められるかということにあります。空振りが多いようでは一日で500尾が限度でしょう。私にはそのような体験がありました。
2本ザオの釣りは1本ザオの釣りを基本としてはいるのですが、絶対的に違う点は、2本ザオの釣りは「置ザオの釣り」だということです。誤解がないように申し添えますが、最初から何が何でも置ザオにする、という意味ではありません。
両手に1本ずつサオを持ってアタリを待ちますが、右手のサオで釣りますと左手に持っていたサオは置ザオにします。すると右手の釣れたサオを再投入するまでは、左手で持っていたサオは置ザオになっているのですが、じつは、その置ザオのサオでハゼを釣ってしまいたいわけです。現実として、2本ザオで1000尾を釣りますと、置ザオのサオでハゼが釣れてくるということがかなりの確率で高いわけです。
逆にいいますと、置ザオのサオが釣れてなくて空振りであるようですと、エサはとられていることもありますし、振込みもしなおすわけですから、釣りとしては1本ザオで釣っているときと同じなワケです。だだし、2本出していますから、アタリのでる確率は1本ザオの2倍あるのです。
このように、2本ザオで両手にサオを持って釣っている釣り姿は、ベテランさんがそうしているほど、「決まっていて」「美しい」釣り姿ということになります。ですが、このような決まった釣り姿の時間が長ければ長いほど釣果は伸びないのです。
ですから私は、釣り場でみなさんのサオを握っている「釣り姿」を拝見しただけで、どの程度の釣果なのか「見当」をつけてしまうのです。
それと、2本ザオの場合は、ハリが2本あるわけですから、エサの消費量も単純計算であるとしても1本ザオのときの倍の量が必要であるということになります。現実にはそうではありません。
また、これらのことから、次のようなことも言えるのです。。
釣りに出るときにエサを船宿で買いますが、そのときに何パック用意したのかでその人の一日の釣果の目安がついてしまうのです。
例えば、ある常連さんが2パック買ったとします。季節は6月7月8月の盛夏のときですと、ハゼの大きさが5〜10pがほとんどということになりますので、上手に使えば1パックで400尾は釣れるとします。そうですと2パックですから、その方は「最高」で800尾程度、もしかしたら500尾いくかどうかではないのか、という釣果が予想できます。これはだいたい「当たり」でしょう。ですから、用意するパック数でその日のその方の意気込みと目標釣果が予測できます。
魚影の濃淡、ハゼの大きさ、エサの太さ長さなど条件はいろいろですから、一概に1パックで何尾などとは標準化はできませんが、私は質問がされれば一応は1パック200尾という答えを用意しています。
その標準の答えからしますと、私が1000尾超の釣果を目指すのであれば5〜6パックを最低用意して釣行しているのであろうということは推測できるものと思うのです。ただし、私が2本ザオの釣りをするという前提でそう言えるのです。そうですから、1本ザオであれば私の場合では用意するパック数は半分でしょう。ただ、現実に何パックを消費するのかということは、その日によって違っていますし、現実としては「相当量」を使い残して毎回上がってくるということがありますので、実際の使用量はかなり少ないというのが現状だと思っています。
最後に一言追加しますが、ハゼ釣りで節約してはいけないものの筆頭は「エサ」だと申し上げておきます。大切に使うということと、節約してしまうということは違うことだと思いますし、何よりも、ハゼをたくさん釣りたいと思うのであれば、エサを節約してはいけないと申し上げておきます。エサの消費量とハゼの釣果は比例しているように私には思えるのです。
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| 2010年7月4日(日) |
| その35. 希望と現実 |
2010.7.4
ハゼ釣りといえども、私はいつも「希望」を持って釣行します。
それは一日で1000尾を釣りたいというものでした。
22年前に一度だけそれができて、その次に思ったのは、もう一度10束を釣りたいというものでした。
これは私流の表現では「再現性」という言葉になります。じつは、一度が二度になり三度になりということで、22年経ちますとそれが累計で188回にもなっているのです。
着想といいますか、希望といいますか、10束釣りをこのように積み重ねてきますと、「贅沢な」希望も湧いてきます。
同一場所で何回10束を釣っても「面白くない」というおかしな感情が湧くのです。このことは、「記録」だけを思えば、確実性の高いポイントを選んだほうが、10束が釣れる確率が高いわけです。
ところが、それでは面白くない、ということは、自分自身に賭けをしているのと同じことなのです。それは記録を大切にしていないということではなくて、それよりも自分のウデを試したいという気持のほうが強かったと思います。
やはり、20年前とか15年前とかの頃は、どうしても10束を釣りたい、という気持が先走って、気持に余裕がありませんので、ポイント選定が「安全性」を重視して臨むわけです。
そのことは私自身の経験不足と江戸川放水路を探査しきれていないという気持があいまっていたと思うのです。
でも、同一場所で何回10束を釣っても面白くない、という感情はいつの間にか芽生えて、ここ数年は釣行ごとにポイントを変えるようになりました。これは「常態化」したと思っています。
ですから、最近の釣行記を読みますと、毎回ポイントが違っていますので、読者のみなさんは後追いするのが大変だと思うのです。
このことは別の意味で「合理性」があるものと考えています。
それはハゼは自然の生き物ですから今日釣れた場所に一週間後もたくさんそこにいるという保証は何もないわけです。極端な話、今日釣れたのに次の日にいったらチョボチョボだったということはよくあることです。鈴木さんが釣れたという場所へいったら釣れなかった、という経験をした方もあると思います。
私は10束釣りをしますと、だいたいが1週間の間を置いて釣りをします。それは右手親指に穴があくとよくいいますが、両手の平、とくに指の皮膚の損傷がありますので、インターバルがおよそ1週間なのです。ときには2週間に3回ということもあります。
そのようなペースの釣りですが、できれば、同一場所での釣りは避けて、あちらこちらを放浪して10束釣りを楽しみたいのです。
ところが、潮時というものがあって、しかも潮回りが大潮、中潮、小潮などと大きな潮のときと小さな潮のときが周期的に周ってきます。こうなりますと一週間前の潮と一週間後の潮は違うわけで、潮時も朝が満潮だったり干潮だったりとめまぐるしく違ってきます。
そのようなことですと、「毎回違ったポイントで10束を釣る」というスタイルの方が理にかなっているということになると思うのです。その方が「自然」だと思えるのです。ハゼは潮とともに動きますから。
今年の場合は、特殊事情として、海草の繁茂が著しい、ということがあります。干潟になる場所などに青々と海草が露出して、それは見事な緑のジュータンになっています。
こうなりますと、夏場のハゼつりの絶好のポイントの多くは海草に占領されてしまったといえます。これが今年の特徴です。ですから、否応なしに例年と違った場所選びをして釣ることになります。
このことは、当初は全く予想しなかったことで、私の希望と現実がミスマッチをしていることになります。
しかし、これは考え様で、自然が私に強制的にそのような釣り場選びを変更するようにさせているのだと思うのです。ここは一番、その誘いに乗って、これまでの22年間とは違った釣りをしてみようと思ったのです。なにしろ、これほどの海草の繁殖は22年間で初めての事態なので千載一遇のチャンスだと思ったのでした。
ですから、今年の10束釣りは、例年以上にスリリングな一発勝負的な、いつもの時季をはずしたポイントで、チャレンジすると思うのです。これは胸がワクワクするような釣りになります。失敗の確率が例年以上に高い10束釣りだと思っています。
それでも「道楽の釣り」ですから、なんのアクシデントもない淡々とした釣りでは「面白くない」のですから、今年ほど「面白くなるだろう」という期待感のある年も珍しいのです。
今年のこれまでの4回の10束釣りはいつもの年とは一味違ったポイントと潮時に釣っています。たぶん、これからもそのような釣りになるのでしょうが、私の「希望」どおりの釣りになるかどうか、「現実」の釣果はどうなるのか、とても楽しみな年になったと思うのです。
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| 2010年6月27日(日) |
| その34. 1000尾釣ってもアベレージが下がる?? |
2010.6.27
表題は、よく考えてみれば、そんなおかしなことはないのです。
私は、ハゼ釣りのミャク釣りはここ何年かは一日1000尾を目標としていますし、ミャク釣りのアベレージも1000尾以上と設定しています。
それに、年をとったせいでしょうか、ハゼ釣りがこなれてきたのだと思うのですが、ミャク釣りではたいていが1000尾を超えるようになりました。
そうしますと、アベレージも当然のように例えば1120尾などとなるわけです。
ですから、ある日に1030尾釣ったとしますと、平均は下がってしまうわけです。
私がミャク釣りをすると「当然のように」1000尾を釣るものだという先入観が船宿の人にもあって、いつのまにか私自身も1000尾を釣るのが当たり前のような気持になったのです。
ところが、いつ釣りに行っても1000尾を確実に釣るということはとても大変なことなのです。ですから、私の気持の中では、いつも「一生懸命に」ハゼ釣りをしているのだし、ちょっと食いが悪いときは、頭の中が「フル回転」で、ショートしそうなくらいにオーバーヒートしているわけです。
入れ食いを持続させるためにはいつもそのような心の葛藤があるわけです。
ですから、船宿にあがってきたときでも、1000尾を釣った安堵感といいますか、そのような精神状態であるのです。これは1500尾釣っても、1020尾でも同様です。
ですから、帰宅しても、「乾杯」したい気分です。ところが、数字を集計してみますと、10束釣りの回数は増えますが、アベレージがダウンするのです。
最初にこのことに直面したときは、なんだこれは、と思いました。でも、これは当然のことなのでした。
平均が500尾台でも1000尾台でもおんなじことなのです。このことは、ミャクでの平均目標が500尾だった時代でも同じことはあったのだし、驚くことでもないのです。
ところが500尾と1000尾では大違いで、1000尾という数字そのものに価値があるわけですから(これは私の独り善がりかも!!)、1000尾釣ったのにアベレージが下がることに抵抗感があったのです。
それやこれやがあって、結局のところ、「アベレージを超すような釣果」というものを釣行のたびごとに意識することになりました。
例えば、いまのアベレージが1150尾だとしますと、次回は1200は釣りたいとか、思うわけです。そうなりますと、たとえ1100尾釣ったとしても、気持の中では幾分かの敗北感があるのです。平均が下がってしまう、というものです。
長年、アベレージにこだわってきますと、上げるのはとても大変だと分かります。ところが下がってしまうのは、ほんの一回かそこいら失敗しただけで、あっというまにダウンするのです。これはショックです。
私は22年前は、ミャクのアベレージを500尾に設定してトレーニングしました。これは長く続きました。1000尾釣りを年に10回程度はできるようになったときに、平均を1000尾に上げました。1000尾を10回釣ったところで平均が1000尾台になるわけではないのです。
釣行回数が15回ほどしかなくて800〜900台が5回あって、1000尾台が10回というのなら可能性はあります。ところが500とか600のときがあったり、1000は釣っても1050とか1020とかいうことですと、アベレージは一向に上がらないわけです。
先ほど書いたように、近年はミャク釣りは平均1000尾以上です。昔は500尾以上だったのです。その500尾という数字は、いまでは、リール釣りを含めたすべての釣行での平均に使うようになっています。
こちらは更に厳しいです。ミャク釣りでいくらアベレージを上げても、リール釣りでは過去一度も1000尾以上を釣ってないのだし、せいぜい、リールでは500尾超というところだからです。
リール釣りをすればするほど、年間のアベレージは下がり続けます。
このようなアベレージの目標というものは、私単独の特殊な目標ではあると思いますが、じつは、このことは、自身の釣技を向上させる原動力にもなると思っています。
そうはいっても、その前に几帳面に釣果を記録するという習慣が必要です。
趣味の釣りを「仕事のように」することができれば、上達も早いのではないかと思うのです。
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| 2010年5月30日(日) |
| その33. 2010年の越冬したハゼのリール釣りの釣果 |
2010.5.30
これから記述するデータはこれまでに公開していなかったデータです。ハゼ釣りファンのみなさん、とくに、マニアのみなさんに今後の参考になるものと思って公開いたします。私が一人で抱え込んでいても宝の持ち腐れになるかもしれないからです。
2010年の越冬したハゼ(ヒネハゼ)のリール釣りの釣果は、4/24 0、5/14 136、5/21 158、5/28 110の釣行4回、釣果404尾、平均101尾/回でした。
2009年は前年のアオシオ被害の影響でリール釣りはまったく釣りにならず、5月中旬にミャク釣りを1回して352尾を釣り、それでオワリになってしまいました。その後は6月からのミャク釣りでいい釣りが出来るようになりました。
2008年は4月の釣行実績がなく、5/1 35、5/3 61、5/15 153、5/21 310(ヒネの自己新記録)、5/26 190で、釣行5回、釣果749、平均149尾でした。この年は、ハゼの豊漁の年で、秋のリール釣りを大いに期待したのですが、不幸にも、8月末の大規模なアオシオ被害によって水泡に帰したのでした。
2007年は4/17 0、4/29 0ということで、5月の実績もなく、5/20にミャク釣りで406、5/26に同じくミャク釣りで427という釣果でした。
2006年は4/17 0、5/25 106、5/29 58で、釣行3回、釣果164、平均54尾/回でした。
2005年は4/9 9、4/17 42、4/29 120、5/4 204、5/9 171、5/12 254、5/14 189、5/15 115,5/18 56で、釣行9回、釣果1160、128尾/回でした。
2004年は4/29 23、5/1 146、5/7 130、5/18 209、5/25 181、5/27 97で、釣行6回、釣果786、平均131尾/回でした。
越冬したハゼのリール釣りという「つり」については、従来、江戸川放水路のボート屋さんではその経験がなく、江戸川のハゼ釣りは6月からというのが「常識」でした。また、一部の意見としては、ハゼ釣りは7月からでいいのだ、というものもありました。その意見については、「釣り物」が他種にわたって各季節にあるものですから、そのような「釣り物のサイクル」ということから、ハゼは秋でいいのだという考えが「定着」していたと思えるのです。
私が通っていた「伊藤遊船」さんの親方は、その当時はまだ健在で、意気軒昂で船宿経営をしていました。その親方との会話の中で「すずきさん、今年は5月にハゼ釣ってみてくんないかねえ」というものがあったわけです。
それは2002年(平成14)のことでした。いまから8年前のことになります。そのときは「あいよっ」と言って5/5にミャク釣りでデキハゼを釣って119尾でした。その後は5/20に250、5/25に205、5/31に225ということでした。
この2002年という年は、私が地元の自治会長(町内会長)をしていた年でしたので、釣りをしているときに携帯で呼び戻されたりした年ですので、釣果については終日釣ったというものばかりではありませんでした。
それでも、この年のハゼ釣りは放水路としては豊漁の年だったと思っています。
このように、江戸川放水路で5月のハゼ釣りの先鞭をつけたのは伊藤遊船さんの親方であって、私はその依頼で調査の釣りをしたということです。
このような前提があって、本格的に越冬したハゼのリール釣りをすることになったのが
2004年(平成16)からでした。この年はとてもよく釣れました。コンスタントに釣れただけでなく、最上流域、上流域、中流域ともによく釣れました。そのときから比べますと、今年は中流域でほとんど釣れていません。中流域というのは高圧線付近までを言います。2004年はその辺まで釣れたということです。私が4月5月初旬に高圧線付近まで偵察するのはそのためでもあるわけです。
私の釣行データを見比べていますと、年によって越冬したハゼの釣れ具合に周期性がある程度認められるのがわかります。このことは、その年の気温と水温が大きく影響しています。それがまず第一です。4月前半に水温が18℃を安定的に超している年はヒネハゼが良く釣れるのです。今年はその点でまったくダメでした。もう一点は、前年の秋にひどいアオシオがあって、しかも、小規模であっても何回も繰り返しアオシオが江戸川を襲った年などは、翌年のヒネハゼの数がとても少ないのです。これは経験的にも知りえたことです。
今年の場合には、昨年の秋に大量のハゼがいて、しかも、体長が5pとか、あるいはそれ以下の体長のハゼが相当数川内にいたわけです。このハゼの数%だけであっても越冬に成功すれば、2010年のヒネハゼ釣りはとても面白い釣りになると期待していたわけです。
それが、水温が一向に上がらずに、4月は3月の陽気、5月は4月の陽気ということで、1ヶ月遅れの気温と水温だったわけです。
ですから、今年の4月24日まで水温の経過をみていて釣ったわけですが、その日が水温13℃ということで、これはまったくもって「勝負にならない水温」だったのでした。
私はその後3週間様子を見ていました。他宿のお客さんが釣っているのを眺めていました。そして5/14に136尾、水温16℃、気温12℃というものでした。そのあとは5/21に158尾、5/28に110尾ということで、リール釣りを納竿としました。
越冬したハゼのリール釣りについては、まだまだ、今年も釣れると思っています。
私の場合は、6月からは、「10束が釣れても釣れなくても」それはかまわないのですが、ミャク釣りに切り替える予定でいるのです。6月からミャク釣り、と決めていれば、一貫したミャク釣りのデータが取れるからです。
今シーズンのデキハゼの「ワキぐあい」は実際に釣って見なければ実態はわかりません。どの程度の孵化なのか、自然の摂理はハゼにどのように働きかけているのか、もう少しすれば、おぼろげながらでも理解できるのだろうと思っています。
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| 2010年5月20日(木) |
| その32.水深はいつも気にしている |
2010.5.21
先日のこと、私が、越冬したハゼを136尾釣ったという日誌の中で、最深部からの最初の斜面にハゼがいた、という意味の書き方をしましたが、そのことで、どのようにしてそれが分かるのだろうか、という趣旨の質問がありました。
このことは、どのようにして水深を知るのか、ということでもあると思うのです。
私は、他の海釣りのときも同様ですが、最近はハゼ釣りがほとんどですので、ハゼ釣りをするときには、特に、水深を気にしています。
それは、いま釣れているハゼが、どのような場所(ポイントあるいは深さ)にいるハゼなのかということを、知りたいと思っているからです。
このことは潮時、潮回り、風、水温、気温などとともに、重要なデータといいますか、資料の蓄積になっていくのです。
では、水深とか底の地形を知る方法はどのようなものがあるのでしょうか。
私は、まず第一に放水路の成り立ちの形状(地形)を「文献上」ですが、知っているということです。それを踏まえて放水路が1919年(大正8)に竣功してからの90年間でどのように「埋って」しまったのか、現状を把握しようと努めてきたということです。このことが放水路のハゼ釣りをする上での基礎になっています。
次に、ボートのアンカーロープが重要な目安になっています。ロープは船宿によって違いがあるとは思いますが、ロープを切断するときに、放水路内の場合は、例えば4尋とか、3尋とかの長さで切断します。1尋とは成人男性の両手を左右いっぱいに広げたときの寸法です。これはだいたい背の高さに一致するくらいだと言われています。としますと、160pとか、170pとかになります。3尋であれば5mちょっととか、4尋であれば6mちょっととかになるのです。放水路内でのロープの長さはそんなものです。行徳港内の深場の場合には、そのロープに同じ長さのロープをつなげればいいということになります。このことを知っていれば、放水路内でボートが流されたということは、6mのロープとすれば、そのときの水深は5m以上はあったと考えられるわけです。もちろんそれは無風の時と風が強いときとは違います。
三つ目は、投げ釣りをしているときの水深の測り方です。私の場合には、キャスティングしてオモリがボチャンと着水したときから、川底にトンと着くまでの間は「常に」1、2、3などとカウントしています。これは1カウント1秒のつもりですが、若干1秒よりも長いかもしれません。これをしていますと、いつの間にか習慣になってしまって、必ず心中でカウントするクセがつくのです。そうしますと、ボートの周囲のすべてについてカウントできますので、この方角のどの距離では何カウントなどと、距離よって違うとか、角度によって違うとか同じだとか、などがよく分かるのです。すると、釣れているサオについて、そこはどのような地形の場所で釣れるのかという情報が取れるわけです。これはあくまでも、本日のいまの時間のデータということですが、それが判るわけです。長年、放水路で釣っていますと、似たような地形というものは頭に入っていますので、次に移動するポイントはどこそこにしようなどと決められるのです。この場合は、逆に、釣れなかった場合にも応用が出来るわけでして、いま釣れない場所と同じような地形のポイントは避ければいいことになるのです。つまり、私がいつも言うように、リール釣りの場合は特にそうですが、「深さを釣る」ということです。釣れた時は同じような「深さ(斜面など)」を捜して釣ればいいのです。ミャク釣りでも同じです。この「釣れる深さ」を「いち早く」見つけること、これこそが、ハゼの「数釣り」にとっては第一の要素です。私の「ハリネズミ釣法」はまさにそのためにこそあるといえるわけです。このように、リールで投げたときにカウントしておくということはいろいろと役に立つのです。私は長年それをしてきましたので、みなさん方よりは、少しだけ情報量が多くて、移動先の選定に役立っているというだけのことです。
質問された方の答えになっているかどうか分かりませんが、私の方法論とはそのようなものなのです。
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| 2010年5月7日(金) |
| その31.現役のハゼ釣り師 |
2010.5.7
私の密かな願いのひとつは、生涯現役のハゼ釣り師でありたい、ということです。
私がハゼ釣りに執着するのは、行徳水郷で生まれ育ったことが影響しています。
先祖代々の農家に生まれて、幼児のころから、竹竿を手に、行徳水郷の畦道を駆け回って、フナ、ウナギ、ハゼ、イナッコ、クチボソ、ライギョなどを釣っていました。
きれいな飴色をしたハゼなどはフナやウナギの「外道」としていくらでも釣れたのです。縦横に張り巡らされた農業用水路(小川)には、ハゼがいて、干潮時間の水が少ないときは、大きなハゼがよく見えて「見釣り」ができたのです。ハゼはフナのように逃げたり身を隠したりはしませんでしたから。
行徳水郷は、東京の釣り師にとっては天国でした。本命はやはりマブナでした。春と秋は地元の人たちが「遊び人」と揶揄した「東京の釣り師たち」が畦道にいました。
ハゼ釣りは、やはり、秋の風物詩であって、行徳水郷の小川で釣るような「獲物」ではありませんでした。
昭和20年代から30年代にかけては、釣りのブームがあって、猫も杓子も仕立て船を出して、行徳沖の三番瀬でハゼ釣りをしました。
勤務先の釣りの会の末席(まだ未成年だったから)にいた私も、仕立て船に乗りました。当時はまだ木造船で、船幅は狭くて、手漕ぎの櫓で流してくれました。
ハゼやカレイは、それこそ無尽蔵と言うくらいにいて、ゴカイをつけた仕掛けを船下へ落せば、空振りナシで良型が釣れました。ハゼ釣りをしていてイシガレイの20pほどの型がよく釣れたものでした。
私の仕掛けは一本バリで(皆さんは全長20pほどの二本ばりが多かった)、ハリス5pと短いものでした。中通しオモリを使いました。サオは和竿(グラスなどない時代)で、糸巻きがついた9尺のものでした。なぜ9尺かは、他の人と同じラインを釣りたくなかったからでした。それは、手漕ぎで船頭さんが流してくれるのですから、ミヨシに座らない限り、他の人が釣った後を釣ることになるのは、半ば「常識」でしょう。そのくらいのことは、未成年者の私でもわかりました。ちょっと考えれば、そんな特等席に私が座れるわけがないのです。前から2席は左右共に、会社の重役の招待席だったのです。
艫の席もまずいい席でした。微妙な方向転換をするときに(一直線にばかりは進みませんから)、艫の人は釣っていない場所を最初に釣ることが出来たからです。
そんなこんなで、みなさんが、6尺とか7尺の竿で釣っている中で、私だけ9尺の竿で釣りました。これはとてもよく釣れました。
ですから、若いわりには釣りができた、わけです。
それから20年ほど経って、職場での肩書きがつき、釣り会の役にもつきました。
縁あって、自営の仕事をするために退職しましたが、それからが、「自分の自由な釣り」ができたのです。釣りの会を運営するということは、自分が釣りをすること以上にエネルギーを消耗するものなのです。
勤務中に、バスをチャーターしての遠方での陸釣り、仕立船での沖釣りなど10種類以上の年間行事を組んできたのです。自身の釣技上達はとても望めませんでした。
私のただひとつの望みは「魚を釣る」という一点でしたから、その他のことは関心がなかったのでした。ただ、半分は業務命令のようなものでやっていたようなものでした。これは会社勤めをしている方であれば、どなたもが一度は経験することだと思うのです。
会社を退職して独立し、数年立ってから、釣りを再開しました。そのときに出会ったのが私の釣りの師匠でした。ハゼ釣りをしたときに「弟子にさせられた」のでした。
師匠はその当時身軽だったらしく、私を強引に連れ出しては、日曜祝祭日に師匠の車で釣りにいきました。マンツーマンのレッスンというところだったと思います。スジがいいから、とか言われて、ハゼ、マブナ、ヘラ、カレイ、イシモチ、メバル、マゴチ、フグ、イイダコ、外房の船釣り、ハヤ、ヤマベ、ヤマメ、レンギョ、ボラ等々、いろいろな釣りを「仕込まれ」ました。ハゼといっても江戸川もあれば木更津もあり、利根川もありということ、マブナでも釣り場は多数あり、釣法もシモリ釣り、ヅキ釣り、リールでの投げ釣りなどをやり、真冬に氷を割って釣りをしたこともあります。渓流釣りといっても関東各地色々あるでしょう、そこを点々と釣りに行きました。
あるとき、師匠が、APCにしてやる、というのです。某スポーツ新聞社の釣りのAPCです。予感はあったのですが、驚きもしました。結果は「断わった」のですが、「鈴木さんは変わってるね」といわれました。自薦の人はいくらでもいるというのです。それを断わったのですから驚いたようでした。まさか、断わられるとは考えもしていなかった様子でした。
断わった理由は一つだけで、自由な釣りができなくなる、というものでした。私には、肩書きは必要なかったし、欲しいとも思わなかったのです。サラリーマン時代の経験で、もう、そのような「仕事」というか「役職」はなんとなく敬遠したかったのでした。
このことは、もうひとつ伏線がありました。私はときおり釣り新聞に情報を送っていましたが、それは先輩からの頼みで、情報だけを送っていたのでしたが、私の「釣果」が、特にハゼのものが、他の群を抜いて多いものでしたから、新聞に情報として載るときに、「釣果のわりには」扱いが小さかったのです。
このことは、ひとつのことを暗示していました。釣楽否漁としている編集としては、まさに私の釣果は漁の数字でしたから、扱いに困ったと思えるのでした。
私としては、情報を送るには、より正確を期するために「検量」までしているものでしたから、数字は妥協しなかったのです。ましてや、情報を送るために、釣果や釣り時間に「手心」を加えて、新聞社の満足するような情報に仕立てて送るなどということはしなかったのです。
そのような経験があったものですから、自分に手かせ足かせを科すような肩書きはいらないと思ったのです。
師匠のお気持にはとても申しわけないことをしたと思っていますが、私の後任者が幸にも育って、その人がAPCの重責を果たしておられます。
釣り人というのも、十人十色であって、私のような「馬鹿」がいてもいいのだろうと思うのです。逆に、社会の仕組みというものは、私が断わったような仕事とか役職を引き受けてくれる人がいませんと、成り立っていかないわけです。
ですから、そのような人たちには本当にご苦労様と言いたいのです。私はその場から「逃げた」わけですから。
そんなこんなで、自由気ままな釣り人生をさせてもらっています。
これまでに、「僕らはハゼっ子」「江戸前のハゼ釣り上達法」「天狗のハゼ釣り談義」「ハゼと勝負する」など4作を刊行してきました。いまとなってはこれらの本を書くために師匠に断りをいれたも同然の形になっています。
行徳水郷で生まれ育った私が、子どものころから親しんだハゼ釣りが、晩年になって江戸川のハゼ釣りとして回帰したのです。
あと10年、いまのような釣りをしていることができるかどうか、という年齢になってしまいました。
私は師匠と違って、弟子を取らず、会を主宰せず、スポーツ新聞社のAPCも遠慮し、ひっそりと、ひとりの釣り師として終りたいと願っているのです。
ただ、私の性分でしょうか、いままでの「成り行き」でしょうか、本を刊行するとか、HPで情報を公開するとかなどは、これからも続けたいと思っています。
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| 2010年4月29日(木) |
| その30.江戸川放水路の景観が変わりました |
2010.4.29
現在、江戸川放水路の両岸の堤防で工事が進められています。
現行堤防をかさ上げしています。土を積み上げて高くして、その斜面にコンクリートブロックを張り付け、さらにその上に小型のコンクリートブロックを乗せています。
ですから、堤防が「土手」ではなくて、コンクリートに覆われたということです。もちろん中身は土手です。これをボートから眺めますと、それまでの草が繁茂した土手ではなくて、太陽に白く輝くコンクリートが見えるわけです。
とくに、左岸、高谷側は工事の進捗が早くて、みなさんが5月から6月にボート釣りにくる頃には、全面がそのような景観になっていることでしょう。
右岸については、高圧線から下流域の土手について、かさ上げが実施されています。こちらも上部をコンクリートで覆うようです。
右岸の工事が上流域まで実施されるのかどうかは私にはわかりません。ともかく大規模な「防災対策」が行われています。
このことが、ハゼにどのような影響があるのかないのか、見当もつきません。ただいえることは、降った雨がすぐに川へ流れ込むということです。堤防に土はないし草もないからです。
最上流域については、右岸、妙典側ですが、こちらには桟橋があって、漁師さんの船着場になっていましたが、その桟橋が2ケ所撤去されました。
先日、ハゼの試し釣りに行ったときに、エビ漁をしている人に会ったので訊いたところ、桟橋の架け替えはしないようです。そこを利用していた人たちは他の桟橋へ移ったのだそうです。
ということは、ハゼ釣りをする私たちにとっては、釣りポイントが増えたということです。桟橋撤去後の川面には、残された杭などが立っていて、ボート釣りの目標になるでしょうし、ハゼの着き場のひとつが心置きなく釣りポイントに加えることが出来たというものです。これまではどうしても漁師さんに遠慮して出入の邪魔をしないような気遣いをしていたからです。今後はその必要がないのです。
最上流域のこのような変化は考えてもいなかったことでした。
この先1年とか2年とかの期間で考えたときに、もう一点、工事が予定されていることがあります。それは仮称「妙典橋」の架橋工事というものがあって、江戸川放水路に新しい橋を一本架ける計画です。
これは、東西線の車庫の上をまたいで、対岸の高谷側までの長い橋です。見当としては、沈船の付近だと思えるのですが、だいたい、その辺の見当の場所に橋桁が立つのではないのでしょうか。
この橋は、災害時の道路として計画された生活道路ですが、行徳と船橋との行き来はよくなるようです。この道路は外環道とのアクセス道路でもあります。
湾岸道路、京葉線、東西線等の橋桁の補強工事は、まだ続いています。いまは湾岸道路の高谷側を工事しています。
何年ぶりかでハゼつりにくる人には様変わりした景色になっていると思うのです。
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| 2010年4月1日(木) |
| その29.いよいよ4月になりました |
2010.4.1
本日4月1日、伊藤遊船さんへ行きました。目的は、江戸川の水温を測ることでした。
温度計を持参しての訪問です。私の目的を知ると、船頭さんたちが口を揃えて、12℃から13℃ちょっとを行ったり来りですよ、というのです。
それじゃあ、自分で測るの止めた、といってお茶をご馳走になって帰ってきました。
このようなことは毎年のことで、水温の動きをチェックしているのです。
というのは、物の本によりますと、ハゼの孵化が開始する水温が13℃だというのです。そして、卵の中にポツンと小さな黒い点ができて、それがメダカの格好になって卵の中から下界へ飛び出してくるのに28日間かかるのだそうです。
そうであれば、4月中旬以降には、気の早いハゼが水面をチョロチョロと泳ぐのではないかとも思うのです。13℃といったって、江戸川のハゼは11℃とか12℃で孵化が始まっているのかもしれないからです。
例年、4月になりますと、干潮時間などに、干潟の水溜まりにメダカがいることがあります。これは昨年のシーズン終了間際に孵化してきたメダカが越冬に成功した姿なのです。ですから、今年の4月中旬以降になって孵化したハゼと間違いやすいのですが、6月になってデキハゼを釣り始める頃になって、5〜6cmのハゼに交じって、7pなどとけっこう「巨大な」「デキハゼ」がいるのですが、これは、一番子ではなくて、昨年に孵化して越冬したハゼなのです。
冬場は大きく育てませんので、春先になって急に大きくなるのです。
そのことは、昨年の12月の段階でメダカよりもずっと大きくて、たとえば、5pとか、8cmとかになっていて、産卵(魚体13cm以上が適齢期とされます)もできない大きさのままで越冬に成功するハゼも、じつは、たくさんいるわけです。
そのようなハゼは、4月後半の時点でようやく8〜10pになっているのです。そのような小さな「ヒネハゼ」は水温が18℃前後になりますと、口を使い始めるようです。これは私が経験的にそのように思っていることで、口を使い始める適正水温については確定されたものではありません。ただ、例年、そのような水温の頃に釣れ始めることがあるという意味です。
私の4月から5月いっぱいのターゲットは、この、10p前後のヒネハゼのことですが、季節としては、麦の刈取りの季節になりますので、この季節に釣れてくるヒネハゼの事を別称「ムギハゼ」ともいうのです。
ですから、「通」の人を相手に言うときは、「ムギハゼ」釣りと言ったほうが季節感もあるし「越冬したハゼ」などというよりはずっといいとも思ったりしています。
いずれにしても、ヒネにかわりはありませんので、そのハゼを「リール釣り」で狙うわけです。
釣法については、みなさんいろいろとこだわりがあって、ミャク釣りが得意の方も多いのだし、4月後半から5月中に、まだ、デキハゼがハリ掛かりしない季節に、ミャク釣りでヒネハゼをターゲットにするわけです。
しかし、デキハゼと比べて、絶対数が極端に少ない上に、ポイントも限定されていて、たくさんの方々が、それぞれの思いの釣果をミャク釣りで上げるには、なかなか、大変なワケです。
私などは、リール釣りで、サオ5〜7本を出して、ミャク釣りで釣り難いような、比較的水深が深い2〜3mを釣るようにしているのです。このようにすれば、たとえば、縦横10mのエリアに、たとえ5尾などと少数しかいなくても、ミャク釣りのような「苦労」をしてハゼを探すということもないからです。
要するに、相当に私も「横着な」釣り人だとも思えるのです。
希望としては、私は、かなり楽観的な気持ちでいます。というのは、昨年秋から暮れにかけて、江戸川放水路のなかで、リール釣りで800尾とかなど、私はかなりな釣果を記録しましたし、相当たくさんの5〜10p程度の魚体のハゼが越冬したものと推測できるからです。
ただ、現実としては、釣りというものは蓋を開けてみないとわからないというところがありますので、一抹の不安があるわけですが、そこは、釣り師の性として希望的観測を常にしているのです。
江戸川のハゼが口を使うようになると思われる18℃という水温が待ち遠しいわけですが、水温が下がっていく秋の場合には、水温が18℃よりも低くなっても、釣れ方には全く影響がなく、いよいよ、釣れなくなるのが水温8℃とか、7℃とかなのです。
ところが春の場合には、10℃などとなっても、川の中では、ウンでもなければスンでもないのです。やはり冬場を抜けた水温は、局所的には暖かくなっても、「冷え切った」水温は18℃あたりにならないと、ぬくもりがないのではないのでしょうか。
船頭さんの話では、暖かい気温の日には、上げ潮の海水が茶色く濁っているとのことでした。ところが昨日までのような寒さの日には水色は澄みで、透明だというのです。それでは、まだまだ、越冬したハゼも口を使いませんし、大きく育つためのプランクトンも不足しているわけです。
4月1日から2日にかけては、南西の暴風の予想で東京湾は2.5mの波高などと天気情報でいっていますので、この二日間で水温が一気に上がるのだと思っています。
そうであれば、ハゼの孵化も一気に加速して、4月後半には水面をチョロチョロと集団で泳ぐメダカのハゼをみることができると思っています。そのようなハゼがハリにかかる5pにまで成長するのには、さらに一ヶ月という時間が必要なのです。
それまでの間は、リール釣りでヒネハゼを釣って楽しんでいようかと思ったりしています。いずれにしても、リール釣りであっても、釣り始めはゴールデンウィーク直前の頃になると思っています。
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