天狗のハゼ釣り談義

2010年11月30日(火)
その41.江戸川のハゼボートのリール釣り結果について
2010.11.30
 2010年のリール釣りについては、9月22日を初回として秋ハゼ釣りを6回、落ちハゼ釣りを4回実施しました。
 秋ハゼ釣りは、9月16日夜に発生したアオシオが翌17日に江戸川のハゼを死なせ、さらに19日には1000万尾以上とも思われるハゼの大量死をまねき、21日にようやくアオシオが終息した翌日の22日にリール釣りで開始いたしました。
 これを時系列で示しますと次のとおりです。
 9/16〜9/21アオシオ、この間ハゼの大量死あり。
 9/22リール釣り630尾
 9/23冷たい雨、9/24アオシオ発生、9/25台風12号、9/28アオシオ終息、ハゼは死なず。
 9/29リール釣り735尾
 10/5リール釣り533尾
 10/12リール釣り744尾
 10/18リール釣り697尾
 10/26リール釣り550尾、この日の夜、木枯らし1号が吹く
 10/30台風14号
となっています。
 合計3889尾、釣行6回、648尾/回でした。6回すべてで500尾オーバーでした。このことは、もとより私のリール釣りの目標でもあり、それを念願どおりに達成できたということです。
 11月からの初冬の季節の落ちハゼ釣りは4回実施しましたが、異例なことに、江戸川放水路内での釣りになってしまいました。行徳港内の深場のポイントでの釣りが思わしくなかったからです。
 11/2川中での落ちハゼ釣り473尾
 11/9川中での落ちハゼ釣り691尾
 11/16川中での落ちハゼ釣り417尾
 11/20行徳港内深場の落ちハゼ釣り60尾
 合計1641尾、釣行4回410尾/回でした。
 行徳港内の深場にハゼの絶対数が極端に少ない現象は、比較的に被害の大きいアオシオが発生して江戸川放水路へ流れ込んだときなどの年は、決まって行徳港内での深場でのハゼ釣りは貧果に見舞われていました。今年もその轍を踏んだと考えています。
 このことは、行徳港内へ放水路からのハゼの供給がとても少ないのではないのかという推測をさせるのです。今年もいま港内で釣れているハゼは、港内にもともといたハゼでアオシオを乗り切った生き残りではないのかと推測しています。放水路からの落ちハゼがいたとしても少ないのではないかと思うのです。
 もしそうであれば、来年以降も、ハゼが大量に死ぬようなひどいアオシオが放水路を覆ったときは今年と同じようになってしまうということです。
 いずれにしても、昨年つまり2009年の行徳港内深場の釣りは393、314、321、301、282、282、190(半日)、419、215、298、290、289、131、22ということで、12/23を最終日として終っていました。
 以上のことと比較しますと、2010年の11/20の60尾というのは行徳港内の釣りとしては、いかにも「貧果」です。
 9月に発生した2回のアオシオで深場のハゼはそこを逃げ出して、もとへもどらなかったと推測できます。
 今後のことですが、行徳港内で多少は釣れたとしても、昨年のような釣果は望めないものと思えます。極論すれば、一日頑張って5尾とか、20尾とかということで、ときにはポイントを見つけた人で50尾とか70尾とかの釣果はあるものの、そのような人は稀で、大半の人はオデコとか、数尾とかということだと思います。
 9月のアオシオまではとてもよく釣れていて、秋から初冬へのリール釣りの期待をもたせてくれていたのですが、このような結末になってとても残念でなりません。
 来年2011年こそは大規模なアオシオが発生しないように願うと共に、放水路内へのアオシオの流入がないよう祈るのみです。
 私のボート釣りのシーズンは去年よりは3週間も早くこれで終了となりました。
2010年10月25日(月)
その40. リールザオ1本100尾
2010.10.25
 ミャク釣りでハゼを一日に1000尾という目標で江戸川でハゼ釣りをはじめたのが平成元年なので、今年で丸々22年となります。
 リール釣りもやはりそのときにチャレンジしたのですが、当初は、リールザオ1本で2本バリでの探り釣りをしていました。
 この釣法はみなさんよくご存知のものだと思います。
 このときの目標は「最低」100尾というものでしたが、釣れたり釣れなかったりだったと記憶しています。
 平成元年の秋、それもわりと早い時季に、リール釣りで500尾を釣れないものだろうか、という思いが湧きました。
 1本ザオでキャスティングして探り釣りで1日100尾が釣れるわけですから、5本で釣れば500尾は釣れるだろうという単純な考えでした。
 私にとっては釣りは道楽ですから、人と競うということを好みませんでしたから、500尾という数字はハゼのリール釣りを「楽しむ」うえでの私だけの「密かな」楽しみであったわけです。
 そんな未熟な時代の私であったわけでしたから、当初は、5本を投入して当然のように置ザオになるのですが、そのうちの1本を手に持って探り釣りをしていたものです。つまり、「置ザオ」にするのか、「探り釣り」をするのか、どっちつかずの「方針」が定まらない釣りをしていたと思います。そうこうしているうちに、置ザオにアタリがあると手のサオをガタンと脇に置いて、アタリのあったサオを上げたものでした。
 いまから考えますと、それは何の方針も哲学も法則的なものもない場当たり的な釣りだったと思えるのです。
 それは当然のように、サオ5本を出したとしても、釣果は170尾とか、300尾とかだったわけです。サオ1本あたり30〜60尾という釣果です。
 それからは試行錯誤の連続で、ずいぶんといろいろな失敗をしたものです。
 500尾を初めて釣ったのは平成7年のことで、614尾、419尾、537尾ということで、あとは300尾台の釣果という記録が手帳に残っています。これらはすべて「5本ザオ」の釣果でした。7本ザオではありません。このときはまだ、私は7本ザオを「扱いきれない」「ウデ」だったと思っています。つまり工夫が足りなかったということです。また別の角度から見ますと、7本ザオにしなくたって5本ザオで当時の私の「未熟なウデ」でもゆうゆうと500尾以上が釣れた魚影だったいうことです。500尾以上が釣れたのはこのときだけで、その後はまた長く低迷が続きました。このことが私の「ウデの未熟」という証しです。
 つまり、「再現性」ということが最大の壁で、年によって魚影の濃さが違うこともあって、いろいろと悩んだものでした。私の究極の目標は、魚影が濃くても薄くても確実にリール釣りで500尾を釣りたい、というものでしたから、そういう意味では目標はかなり高かったと思っています。でもそれは考えてみるとミャク釣りの場合と全く同様の過程を通っているわけです。
 そんな私であっても、一度だけでも500尾という壁が超えられますと、「リールで500尾の感触」というものが「手」に残っていますので、あとはどうやってそれを「再現するか」という根気の必要な作業だったと記憶しています。
 二度目に500尾以上を釣ったのは、最初に釣った平成7年から8年後の平成15年のことです。この年は、579尾、449尾、623尾(新記録)、405尾、546尾、349尾と江戸川放水路内でリール釣りの高釣果を連発できました。
 その釣り方を平成16年に「江戸前のハゼ釣り上達法」を執筆したときに「ハリネズミ釣法」と命名いたしました。
 三度目の山はその翌年の平成17年で、428尾、486尾、550尾、739尾(新記録)、604尾、520尾、470尾となっています。
 その後の年からは毎年のように500尾以上をリール釣りでコンスタントに釣れるようになったのでした。つまり、「再現性」という難問をクリアできたようでした。
 特筆すべき年は平成21年で、この年は新記録を連発した年でした。858尾(新記録)、833尾、550尾、534尾、893尾(新記録)、839尾となっています。
 今年平成22年はまだ終ってはいませんが、630尾、735尾、533尾、744尾、697尾という結果になっています。
 振り返ってみますと、平成元年から、初めて500尾以上が釣れた平成7年のころまでの時代と、平成15年〜平成22年の時代の決定的な違いというものは「たったひとつ」あることに気付きます。
 それは「ハゼの魚影」が、後者の時代、つまりこの最近7年間では、平成元年から平成7年頃までと比べて絶対的に少ないのではないのか、ということです。この感触というものは人によって違った意見があるとは思います。それを承知の上で書いています。
 このことは私の釣り手帳の「釣り日誌」及び「釣りポイント」、釣れたときの「気候条件」などを吟味しますと、私なりの結論としてそのように申し上げることができるのです。
 ですから、私がリール釣りで500尾を釣りたいと願って努力していた時代というものは、ハゼの魚影という決定的に大切な条件が満たされていた時代であったといえるのです。このことは私にとって「僥倖」とでもいえる時代だったと思います。
 そのことを加味したうえで、最近の過去7年間の500尾以上の釣果の「連発」という事実を考えますと、私自身の釣技の進歩というものが強く感じられるわけです。
 このことを書いてしまいますと、自画自賛、自惚れ、慢心などという言葉が自分でも思えるほどの自信過剰に見えるのではないかと思うのですが、実際に今年なども釣っていて、「500尾を狙って」実際にそれだけを確実に釣ってしまう、という現況は、私自身「空恐ろしい」状況ではあると思っているのです。こんなことは確かにかつて「目標」にはしていましたが、現実としてそのようになってしまいますと空恐ろしくなることだってあるわけです。これはミャク釣りでの1000尾連続釣り回数と同様のことなのです。
 リールザオ1本100尾という現実から出発して5本を扱えれば500は釣れるだろうという単純な発想で始めた「500尾釣り」は、今では7本のサオを駆使してサオ1本あたり一日100尾、7本で500尾以上目標というところまで発展してきました。
 このことは、知らず知らずのうちに、ハゼの魚影が昔ほどは濃くはない、という現実を肌で感じて、いつのまにか、7本ザオの技術習得に向っていたのだと思っています。
 釣り時間は秋はおよそ最長で9時間ですから、500尾を釣るには1時間に60尾を釣らなければなりません。そしてサオ5本であれば1本あたり一日100尾であり、7本であれば1本あたり一日72尾という計算になります。
 私のリール釣りでの500尾(江戸川放水路内でということ)を目指す現在の釣りは、サオが5本であろうと7本であろうと1時間に60尾以上というのが最低目標であるのです。
 そのような釣りができるためには@ハゼの魚影の濃淡をいち早く察知する「勘」をもっと養うことAサオさばきの技術を練磨することB7本ザオの釣技をもっと会得すること等々がこれまで以上に必要であろうと考えているのです。
 東京湾の現状を考えますと、赤潮、アオシオの多発など、ハゼの魚影はすぐには昔のように復活できるとはとても思えない現状が多すぎます。仮にそうであったとしても、江戸川放水路内「だけ」のハゼの魚影を考えますと、多くの釣り人が数釣りを楽しめるだけの魚影は当面確保されているのではないのかというのが私の感触ではあるのです。
2010年10月1日(金)
その39. 2010.9.17〜9.28までのアオシオについて
2010.10.1
 江戸川放水路でハゼの被害を伴うアオシオが始まったのは9月17日(金)でした(新聞報道によると船橋沖の三番瀬では15日ころからアサリなどの貝類が死んでアオシオが問題になっていました)。
 この17日は、私はヘラ釣りに出かけていて、現地でその情報に接しました。
 夕方、帰り際に江戸川に出向いたところ、岸辺にハゼの死骸が打上げられているのを確認いたしました。死骸の数は、私が5mほどを歩いただけでハゼ12尾、マゴチ、イシガニなどで20尾ほどありましたので、江戸川放水路全域でのハゼの被害は数万尾以上ではと思ったのでした。
 その翌日の18日(土)は三連休の初日ですが、この日の朝はさらにハゼの死骸が多くなりました。私の推定では数十万尾といたしました。ハゼ以外の死骸もあって腐臭がひどくなっていました。
 翌19日(日)は、ハゼの大量死となりました。私の推定数はおよそ1000万尾以上といたしました。この日は、上げ潮と共に、岸辺に散乱していたハゼの死骸が潮に流されて上流方向へ幅3mほどの帯となって延々と連なって流されていきました。そのハゼの死骸の帯は一筋だけでなく何本も沖のほうにありました。これは放水路の右岸左岸とも同様の状況でした。
 この様子は多くの人たちが目撃していましたので、アオシオ終息後になっても陸釣りの人たちと会話をしますと、ハゼが死んで帯になって流れていて可哀相だったと、こんなにたくさんのハゼがいたんだと知ったと、そのような話が陸釣りの人たちから自然とでるわけです。
 ハゼの大量死は幸にこの一回だけですみました。
 翌20日(月)敬老の日もたくさんの釣り人が見えましたが、潮は悪く、浅場でしか釣れませんでした。それで午前中であきらめて帰る人も多かったようです。この日も朝護岸を歩いて観察したところ19日の4分の1ほどでしょうか、数にして100万〜200万尾と思われるハゼの死骸を見ました。アカエイの死骸も33尾数えました。
 このようにアオシオが川の中に入りますと、最悪ではハゼの大量死となるのです。
 ハゼが死なない場合でも、水質は酸素が極端に少ない貧酸素水、あるいは酸素がほとんどない酸欠水ですので、ハゼは呼吸困難であるわけです。したがって息も絶え絶えにしているハゼの食欲はまったくなくて、泥に潜ってじっと耐えているか、超浅場の水際の波打ち際で波によって水にわずかに補充される酸素を求めて群がってくるか、ということになるわけです。
 ですから、アオシオと確認された場合のつり方は、風がぶっつけになる側の岸辺の水深20〜50cmほどの超浅場を釣る、というのがいいのです。このことは、釣りにみえたお客さんに、ともかく浅い場所で釣って下さいと船宿がご案内したと承知しています。このようなことをご存知かご存じでないか、あるいは、気がつくか気がつかないか、釣り場で実践できるかできないか、ということがあって、アオシオ時の釣果については、平常時以上の極端な差がでるのです。ゼロの人が多数いて、200の人がポツンといる、という具合です。
 アオシオのときのハゼは食欲がなくてエサを食べていないものですから、だいたいが、スマートになってしまっていて、やせています。ハゼというのは、お腹がプクンと膨れていて何を食べているのだろうかと疑うほどに太っているはずなのです。それがアオシオになりますと痩せてスマートになってきます。体力の限界になりますとハゼは立ち泳ぎとなりそのまま死にます。総じて、大きなハゼが先に死ぬことが多いようです。
 ハゼの大量死が1回ですんだということは、ハゼにとって僥倖ですが、行徳沖から次なる新手のアオシオが入らなかったということがありました。ですから、ハゼの体力がギリギリのところで耐えられたということです。
 翌21日(火)には、水はまだ茶色でしたが、これはアオシオがまだ薄まっただけで水の入れ替わりはできていないのですが、それでも新たに死んだハゼはいないようでしたので、一応、17日にハゼが死んだアオシオは21日には終息したものと判断いたしました。
 したがって、私は次の日、22日(水)に釣行することに決意いたしました。
 つり方はリール釣りで浅場を狙うということにいたしました(ミャク釣りの道具は17日のアオシオ発生前の時点ですべて仕舞ってしまいましたのでリールで釣ったのです)。私はそんなことでしたので、21日までのボート釣りの情報収集に努めていましたので、それまでに釣れていたポイント、エリア等は承知していたつもりでした。
 しかし、それは私が収集した情報の範囲内の釣りポイントでは、私の釣り方では釣りづらい部類に入る場所でもあり(リール扱いがということです)、それにおそらくいろいろな船宿さんのボートが案内されて集まるだろうという考えもあって、「平日なのに」余裕をもった釣りができにくいものと判断して、収集した情報から外れたエリアを選定して、イチかバチかの勝負をいたしました。もし、自分が選定した場所で思わしくなかったら、前日までの実績のある場所へ移動しようと考えていました。
 幸に朝一から入れ食いとなって、用意した7本ザオでは扱いきれないアタリ具合でしたので、最終的に5本に減らして釣りました。釣果はリール釣りで9時間で630尾という大釣りができました。
 翌23日秋分の日は冷たい雨が降り、北風ないしは北東の風が強く吹きました。案じていたことが起こって、翌24日(金)は行徳沖はアオシオで湾岸道路下流の左岸、青い工場の前辺りまで乳白色の水色に変わっていたということでした。また、最上流域でもアオシオが発生して上流域の青い水菅橋下手までコバルト色になり、それは次第にバスクリーン色となって上流域に拡がっていたのを目撃いたしましたこの日の水温は桟橋で24℃でした。22日は28℃でしたから急降下したわけです。。
 翌25日(土)は台風12号による北東の強風と強い雨が降りました。
 26日(日)はボート釣りが再開されましたが、水色は茶色でカニがまだ棒によじ登っている状況でした。上流域のバスクリーン色も取れていませんでした。したがって釣れたのは水深20〜50cmの浅場で、上げ潮になってからいっとき入れ食いになったと聞きました。
 27日(月)は朝から終日冷たい雨の本降りで北ないし北東の風が強く吹きました。今回はなによりも雨が大量に降ったことです。このことによって雨がタイミングよく水面をたたいてくれたようで江戸川放水路内のアオシオは終息したようでした。
 28日(火)午後の時点では、水色は「透明」で澄みでした。茶色というものはまったく影も形もなくなっていました。透明な水色は、いまどきの季節の気温20℃前後、水温22℃前後の条件下での水色といっていいでしょう。
 翌29日(水)2回目のアオシオが終息したものと判断してリール釣りで釣行しました。釣果は735尾と「超」入れ食い状態でした。リール釣りで700尾オーバーというのは滅多にあるものではありません。
 30日(木)は冷たい雨が強く降りました。気温も低くなりました。
 10月1日(金)、この日は朝江戸川へ行って、きのうと本日の様子を聞いたところ、きのうもきょうも、ハゼは水深の浅い場所でないと釣れていないということでした。このことはナウキャストの貧酸素水塊の標示と一致することで、行徳沖はかろうじて水質はいいようですが、その他の海域は魚類危険の貧酸素標示です。江戸川放水路内では、水深が深い場所ほどハゼが少なくて、あるいは、釣れなくて、浅い場所でハゼが群れていて入れ食いになるということでした。比重が重い貧酸素水が比較的水深が深い場所をいったりきたりしていてハゼがその深さのラインへ「落ちる」ことができないでいることが想像できます。
 以上が9月17から本日10月1日午前中までの状況でした。
 このように時系列で振り返ってみますと、ようやく、本来の放水路の状態に近くなったかと思うのですが、まだまだ、アオシオの影響からは完全に脱したとは思えないのです。安心できるのは、放水路内の比較的に水深が深い場所でハゼの入れ食いがあったときではないのでしょうか。
 毎年のように、お盆過ぎから9月の中旬にかけて、季節の変り目の前線の通過と冷たい雨、北東の強風、雷雨、集中豪雨、あるいは台風の通過などが重なりますと、夏場の間に溜まったアオシオが一気に水面へ出てきて東京湾奥に広がるのです。あとは程度問題で、アオシオが少しずつ何回かに分けて放出され、放水路まで入ってこないか、今回のようにドカンと大きなものがくるか、という違いでしかありません。
 今回の2回のアオシオによって、とくに、一回目はハゼの大量死があり、ニ回目はハゼは死にませんでしたが、放水路内の貝類が大量に死にました。また、船橋の三番瀬、行徳沖の三番瀬のアサリなどの貝類が死にました。とくに、船橋の三番瀬は90%位以上も死滅したと新聞報道があったほどで、それは海水の浄化作用に大きなダメージを与えます。
 アオシオが今後どの程度発生するのか、アオシオの「モト」がまだ残っているのかいないのか、気がもめることですが、とりあえずは、10月1日現在ではある程度は正常化したものと思えるのです。
 そうはいっても、主として浅場でしか数がまとまらないという状況が続く限り、江戸川でハゼを釣る釣り人の一人としての私は、心穏やかではない日々を過ごさなければならないのです。
2010年9月16日(木)
その38. 2010年ハゼのミャク釣り釣果について
2010.9.16
 2010年のハゼのミャク釣りは、釣行16回、釣果20775尾、平均釣果1298尾/回で、10束超が連続15回でした。
 毎回の釣果は次のとおりです。811、1098、1330、1395、1342、1556、1132、1520、1123、1074、1601、1576、1367、1405、1322、1123でした。
 2010年のハゼ釣りについては、週一回のペースで釣りをしました。このことは、@ヘラ釣り5年目の釣果を残したいためA結果として今年の猛暑対策となったため、という二つの理由がありました。また、これも結果論ですが、釣行するにしても、天候の周期が私の釣行日程と合わなかったという側面もありました。
 江戸川放水路の水温測定の結果は次のとおりです。
 6/2 19.5℃、6/10 21℃、6/18 26℃、6/25 26℃  平均23.1℃
 7/2 27℃、7/8 27.5℃、7/14 25℃、7/20 29℃、7/26 30.5℃  平均27.8℃
 8/2 30℃、8/10 29℃、8/16 29℃、8/23 29℃、8/30 29.5℃  平均29.3℃
 9/6 30.5℃、9/13 27℃  平均28.7℃
 16回の平均水温は27.2℃でした。
 2009年は、19.5℃、21℃、23℃、22.5℃、23.5℃、23℃、24℃、25.5℃、27℃、26.5℃、27℃、27℃、28℃、28.5℃、26℃、25℃、24.5℃、23℃、22.5℃、22℃で、平均水温は24.4℃でした。
 2010年の平均水温は4.3℃も高かったことになりました。
 2009年は雨が多くて冷夏で、2010年は6月初旬までは水温がとても低く、以後は逆に高水温となりました。両年共に異常気象といわれる年になりました。
 2009年は年間釣果が過去21年間で第二番目の数字でしたし、ミャク釣りの平均釣果が最高となり、今年は第二番目の記録になりました。今年の方が数字としては低いですが、釣りとしては猛暑で厳しい釣りをしたと思っています。冷夏といわれる年の方が身体は楽だと思います。
 2010年は水温27℃でミャク釣りを中止しました。2010.9.15測定で水温は24℃ですので、2009年のことを考えれば、データとしてはまだまだミャク釣りで10束を狙える水温ですが、2009.9.14に水温22℃、釣果811尾でミャク釣りを終了していますので、このことは9月中旬で季節的に10束という数字は厳しくなるのだとわかります。原因はハゼが比較的に深い場所へ移動することだと思われます。9月中旬以後月末までに10束を釣ったのは過去22年間で3回しかありません。
 これは季節要因を無視できるだけの高水温が持続していたこと、それだけの魚影があったこと、私の気力が持続できていたこと、などの要因が重なったためと考えています。
 以上を考慮しますと、2010年の水温低下は一気に進むものと思われますし、季節もすでに9月中旬過ぎになったことから、ミャク釣りを中止したわけです。
 アオシオの大被害さえ発生しなければ、今後のリール釣りもかなり楽しめるものと期待しています。
2010年8月13日(金)
その37. 漁師とアマチュア
2010.8.13
 ときおり、私の釣果をみて、漁師だ、とおっしゃる方がおられます。
 私は、漁師でもないし、釣りのプロでもないし、アマチュアだと思っています。
 どの魚種の釣りでもそうですが、たくさん釣る人のことを「漁師」と揶揄するようです。
 だいたいが、漁師という職業の人は「乱獲」ということを意識して、常に、漁をしています(と、私は信じている)。
 例えば、行徳沖でアサリ漁をする漁師は、ある一定以上の小さな貝を獲らないようにしています。これには目の粗い漁具を使って、小さな貝を目こぼしするのです。
 同じことは、カレイなどの底曳網漁にもいえて、網の目というのは大変重要なワケです。
 最近、この10数年、木更津沖でのカレイ釣りが低調ですが、原因はカレイが少ないせいです。
 カレイの魚影が薄いことに関しては、様々な原因があると思いますが、現状では、期待ほど底曳漁で獲れないので、さらに一生懸命に漁をする、という循環です。それでどうなったかといいますと、木更津沖の海底が底曳網をがらがら曳くものですから、削られて、凹凸が少なくなってしまったといわれています。もちろん、虫などがつくガラ(殻)などもなくなってしまってカレイがいなくなってしまったのです。
 このことはカレイの生息数の消長の原因については異論もあると思いますが、漁をする人たちも仕事ですから、生活がかかっているので漁をやめるわけにはいかないのです。
 東京湾奥の魚種については、アオシオ発生との関連で、キス、メゴチ、カレイなどの魚は年々少なくなっているようです。それは水質悪化で呼吸困難という条件もありますが、エサとなる海底の生物がアオシオのダメージで少なくなって、魚のエサが少ないということも影響しているようです。
 ハゼについては昭和20〜30年代までは、行徳沖で手漕の和船で流して釣りを楽しんだものです。干潟の埋め立てが進んでその風情も消滅しました。それはハゼが昔のように釣れなくなったからでした。
 それでもキスやメゴチ、カレイなどと違って、江戸川放水路、行徳沖、船橋沖、浦安沖、葛西沖などの湾奥のエリアには想像もできないほどの数のハゼがいるといわれています。
 とくに江戸川放水路はボートでのハゼ釣りのメッカで、ベテラン、ビギナー等、数釣りが楽しめるエリアといっていいと思います。
 ハゼ釣りを7月解禁にしてはどうかとか、尾数制限をしたらどうかとか、いう意見も聞いた覚えがありますが、立ち消えになったようです。いっそのこと、1年間でも2年間でも江戸川のハゼ釣りを中止してみたらどうかとの極論もあると思いますが、それは論外でしょう。
 江戸川のハゼは1番子から8番子までといわれているように次々に孵化してきて、その数は膨大(推測に過ぎませんが)だと思えます。結果、どのようなことが起きるかといいますと、ハゼの個体数が多すぎて、多分、エサが足りないのでしょうか、いつまで経ってもハゼの大きさが思ったように大きくならないのです。
 このことは、3年前に大規模なアオシオがあって江戸川のハゼの90%以上が死滅したのではないかといわれた後に、生き残ったハゼが短期間に「巨大」な大きさに育ったことを知っている方も多いと思います。エサの量とハゼの個体数の関係はハゼの魚体の大きさになって現われると思うのです。
 そのような意味からいいますと、今シーズンのハゼの魚影は、かなり濃いものと推測できます。
 それに比して、釣りにくるお客さんの人数は例年ほどにはなっていないようです。ということは、ハゼは「間引き」されることも少なく、エサ不足のままで、たくさんのハゼが江川放水路にいるということです。
 私がこのことを強調するのは、私自身が漁師ではなくて、アマチュアだということで、ハゼ釣りは道楽だということです。
 ハゼは、釣り人が道楽や趣味で遊ぶためには十二分すぎるだけの数の魚影であって、絶滅の心配は全くないということです(と私は思っている)。
 一番の心配事は、アオシオの大規模発生です。これはどうしようもなく救いようのない悲劇です。二番目の心配事は、江戸川放水路や行徳沖のハゼが「漁の対象」となることです。これは漁をできるほどの魚影でもなく、大量捕獲の危険もいまのところはなく、秋になって、湾岸道路よりも下流のエリアで、わずかに刺し網漁がされる程度です。そうであっても連日のように大量の刺し網が設置されるような事態になりますと、リール釣りの邪魔になるだけでなく、状況は一気に悪化するでしょう。
 ハゼは私が一週間に一回釣りに行って1000尾釣ったとしても、そんなことは痛くも痒くもなくて、膨大な数のハゼがエサを求めてうごめいているのです。鵜やシラサギ、カモメその他の天敵に食われてしまうハゼの方が釣り人が釣るよりもずっと多い(これも憶測と想像ですが)というのが実状です。
 漁師という者は、生活の足しにならなければ漁はしないのだし、漁をしたとしても将来のために必ず「種」は残して乱獲はしないものだし(と私は信じている)、その日の糧になるだけを獲ればそれ以上は漁をしないものだと思うのです(と信じている)。
 また、私が漁師ではない、というのは、私の釣法とか、釣りポイントとかを腹蔵なく公開していることです。
 漁師というものは、生活がかかっているものですから、どこで何がどれだけ獲れたか、どうやって獲ったかなどということは秘密なのであって、「絶対に」口外しないものなのです(私が知っている限りそう思えます)。これは「名人」といわれる人ほどそうです。私はそのように思っています。いわゆる企業秘密です。
 釣り人も一面そのような企業秘密を持っていて、自分の技術を公開しないこととが多いように思えます。教えた自分よりも上手になられては身も蓋もないからです。それが普通の感情です。
 私の場合は「バカ」というか「アホ」というか、そんなことには無頓着で、自分の釣果等々を「ひけらかして」いるわけです。人によっては、鼻持ちならない人物と思われていることでしょう。
 そのようなことができるのは、私が漁師ではなく、釣りのプロでもなく、単なるアマチュアの道楽者であるからこそのことだと思っています。
2010年7月18日(日)
その36. エサの消費量
2010.7.18
 先日、釣り上がったところ、常連さんがエサはとのくらい使いますか、という趣旨の質問がありました。
 私は1パック200尾が目安でしょう、と答えました。すると、荒い使い方ですね、とおっしゃるわけです。
 その方たちは1パックでその日は400尾釣ったのだそうです。上手な方たちなのです。
 青イソメは1パックでとのくらいの量のエサが入っているのかは売っている店によって違います。一応、釣り場で買うものが一番高いという相場になっています。私もその方たちも船宿のエサですから条件は同じです。
 私が答えた1パック200尾はまさに目安でして、季節によって使用量が違ってきます。つまり、ハゼの大きさによって違います。ハゼが小さければ消費量は少なくて、大きく育った時季であれば多くなるということです。
 1パックで400尾釣る方が500尾釣ったときに、私が仮に1500尾釣ったとします。するとエサの消費量は3倍ということになります。つまり3パック半になる計算ですから4パック持っていかないとエサ切れになるということになります。
 では実際に青イソメ「1本」で何尾のハゼを釣れるものなのでしょうか。私の過去の実績では多いときで100尾、少ないときで30尾というものです。目安は50尾程度でしょうか。
 もちろん、エサには太いものもあれば細いものもあります。長いものもあり短いものもあります。またクズエサといわれる千切れた短くなったものもあります。
 船宿では目方をかけて1パックずつパック詰する、あるいは、目方はかけないが決まった容器にアオイソメを入れてパックへ入れるなどしているようです。
 ということは、1パックの量そのものは、いろいろと異なった大きさのエサはあるにしても船宿毎では同程度の量は入っているわけです。あとは「使いやすい」エサかどうかだけです。
 私の場合は木製のエサ箱にエサをそのまま入れてもらっています。もちろん砂その他の保管材はいれません。これは指を保護するためにそうしています。季節によって量は違うのですが、ほとんどの場合使い残しがかなりでます。
 これはエサ切れをしないための私の配慮でかなり余分に持っていくからです。
 エサの使用については、いまではエサの頭を切っています。捨てるのはもったいないという気持もありますが、手返し重視で釣っています。もちろん、頭は捨てずに、これを木片その他でグチャグチャに潰して、口の尖った固い部分にハリを通し刺しにして頭部を使いますとエサ持ちはかなりいいのです。これだけで10尾とか15尾とかは釣れるのです。
 この方法はエサの絶対量に不安があるときに用います。現在では私は大概は頭を切ってポイッと捨てます。じつは、これを寄せエサ代わりに使うわけです。潮の流れを見極めて次に仕掛けを投入する方角へ沈むように捨てるのです。
 私のハゼの釣り方のひとつは、ハゼを寄せて釣る、という考え方があります。別の釣り方はハゼを探して釣るというものです。どちらの方法も「有効」な釣り方だと思っています。
 両者に共通することは、ハゼの「活性」をどのようにして高めるかということです。別の表現をしますと、「入れアタリ」状態をどのくらいの時間「持続」できるか、ということです。アタリさえ持続できれば、どのくらい釣ったか、ということは「技術」の問題でしょう。もちろん、アタリを出せるか出せないか、どの程度のアタリの頻度か、ということそのものも「技術」の範疇だと私は思っています。
 エサの消費量の違いにはもうひとつあって、1本ザオか2本ザオかということがあります。もちろん、1本ザオの方が消費量は少ないです。これは歴然としています。
 1本ザオでは「ハゼの唇にハリを引っ掛ける」という釣りをします。少なくとも私の場合はそのように心掛けて全力でそのように釣るのです。別の言い方をしますと、1本ザオで釣っていて「ハリを呑まれる」ということを「恥とする釣り方」といえます。
 少なくとも、私はそのようにしてトレーニングをしましたし、1本ザオの釣りで1000尾を目指すのであれば、そのような釣り方に技術は収斂されていくと思っています。
 こうなりますと、魚影がすこぶる濃いポイントであれば、1本ザオで最初こそエサを大きめにつけてアタリを誘いますが、アタリの出具合から判断して、あとは、クワセ専門の大きさのエサで勝負できます。アタリが渋くなったら投入角度を換えて同じ方法でいいのです。
 それほど魚影が濃いと思えない場所では、ハゼを探す釣りをします。1本ザオですから頻繁な投入を繰り返してチクッのアタリをとります。また、小突き、引き釣りのテクニックを駆使します。
 このようなときには、出たアタリは「必殺のアワセ」で釣ってしまいます。ということは、ハゼの大きさに合ったエサ付けが必須の条件だということです。大きなエサ、硬いエサ、長いエサであれば、ハゼの大きさに合わない、つまり、一発で口の中に吸い込みきれない大きさや硬さであればあわせても空振りするということです。
 1本ザオの釣りの醍醐味は、アタリの頻度とハリ掛かりの確率をどれほど高められるかということにあります。空振りが多いようでは一日で500尾が限度でしょう。私にはそのような体験がありました。
 2本ザオの釣りは1本ザオの釣りを基本としてはいるのですが、絶対的に違う点は、2本ザオの釣りは「置ザオの釣り」だということです。誤解がないように申し添えますが、最初から何が何でも置ザオにする、という意味ではありません。
 両手に1本ずつサオを持ってアタリを待ちますが、右手のサオで釣りますと左手に持っていたサオは置ザオにします。すると右手の釣れたサオを再投入するまでは、左手で持っていたサオは置ザオになっているのですが、じつは、その置ザオのサオでハゼを釣ってしまいたいわけです。現実として、2本ザオで1000尾を釣りますと、置ザオのサオでハゼが釣れてくるということがかなりの確率で高いわけです。
 逆にいいますと、置ザオのサオが釣れてなくて空振りであるようですと、エサはとられていることもありますし、振込みもしなおすわけですから、釣りとしては1本ザオで釣っているときと同じなワケです。だだし、2本出していますから、アタリのでる確率は1本ザオの2倍あるのです。
 このように、2本ザオで両手にサオを持って釣っている釣り姿は、ベテランさんがそうしているほど、「決まっていて」「美しい」釣り姿ということになります。ですが、このような決まった釣り姿の時間が長ければ長いほど釣果は伸びないのです。
 ですから私は、釣り場でみなさんのサオを握っている「釣り姿」を拝見しただけで、どの程度の釣果なのか「見当」をつけてしまうのです。
 それと、2本ザオの場合は、ハリが2本あるわけですから、エサの消費量も単純計算であるとしても1本ザオのときの倍の量が必要であるということになります。現実にはそうではありません。
 また、これらのことから、次のようなことも言えるのです。。
 釣りに出るときにエサを船宿で買いますが、そのときに何パック用意したのかでその人の一日の釣果の目安がついてしまうのです。
 例えば、ある常連さんが2パック買ったとします。季節は6月7月8月の盛夏のときですと、ハゼの大きさが5〜10pがほとんどということになりますので、上手に使えば1パックで400尾は釣れるとします。そうですと2パックですから、その方は「最高」で800尾程度、もしかしたら500尾いくかどうかではないのか、という釣果が予想できます。これはだいたい「当たり」でしょう。ですから、用意するパック数でその日のその方の意気込みと目標釣果が予測できます。
 魚影の濃淡、ハゼの大きさ、エサの太さ長さなど条件はいろいろですから、一概に1パックで何尾などとは標準化はできませんが、私は質問がされれば一応は1パック200尾という答えを用意しています。
 その標準の答えからしますと、私が1000尾超の釣果を目指すのであれば5〜6パックを最低用意して釣行しているのであろうということは推測できるものと思うのです。ただし、私が2本ザオの釣りをするという前提でそう言えるのです。そうですから、1本ザオであれば私の場合では用意するパック数は半分でしょう。ただ、現実に何パックを消費するのかということは、その日によって違っていますし、現実としては「相当量」を使い残して毎回上がってくるということがありますので、実際の使用量はかなり少ないというのが現状だと思っています。
 最後に一言追加しますが、ハゼ釣りで節約してはいけないものの筆頭は「エサ」だと申し上げておきます。大切に使うということと、節約してしまうということは違うことだと思いますし、何よりも、ハゼをたくさん釣りたいと思うのであれば、エサを節約してはいけないと申し上げておきます。エサの消費量とハゼの釣果は比例しているように私には思えるのです。
2010年7月4日(日)
その35. 希望と現実
2010.7.4
 ハゼ釣りといえども、私はいつも「希望」を持って釣行します。
 それは一日で1000尾を釣りたいというものでした。
 22年前に一度だけそれができて、その次に思ったのは、もう一度10束を釣りたいというものでした。
 これは私流の表現では「再現性」という言葉になります。じつは、一度が二度になり三度になりということで、22年経ちますとそれが累計で188回にもなっているのです。
 着想といいますか、希望といいますか、10束釣りをこのように積み重ねてきますと、「贅沢な」希望も湧いてきます。
 同一場所で何回10束を釣っても「面白くない」というおかしな感情が湧くのです。このことは、「記録」だけを思えば、確実性の高いポイントを選んだほうが、10束が釣れる確率が高いわけです。
 ところが、それでは面白くない、ということは、自分自身に賭けをしているのと同じことなのです。それは記録を大切にしていないということではなくて、それよりも自分のウデを試したいという気持のほうが強かったと思います。
 やはり、20年前とか15年前とかの頃は、どうしても10束を釣りたい、という気持が先走って、気持に余裕がありませんので、ポイント選定が「安全性」を重視して臨むわけです。
 そのことは私自身の経験不足と江戸川放水路を探査しきれていないという気持があいまっていたと思うのです。
 でも、同一場所で何回10束を釣っても面白くない、という感情はいつの間にか芽生えて、ここ数年は釣行ごとにポイントを変えるようになりました。これは「常態化」したと思っています。
 ですから、最近の釣行記を読みますと、毎回ポイントが違っていますので、読者のみなさんは後追いするのが大変だと思うのです。
 このことは別の意味で「合理性」があるものと考えています。
 それはハゼは自然の生き物ですから今日釣れた場所に一週間後もたくさんそこにいるという保証は何もないわけです。極端な話、今日釣れたのに次の日にいったらチョボチョボだったということはよくあることです。鈴木さんが釣れたという場所へいったら釣れなかった、という経験をした方もあると思います。
 私は10束釣りをしますと、だいたいが1週間の間を置いて釣りをします。それは右手親指に穴があくとよくいいますが、両手の平、とくに指の皮膚の損傷がありますので、インターバルがおよそ1週間なのです。ときには2週間に3回ということもあります。
 そのようなペースの釣りですが、できれば、同一場所での釣りは避けて、あちらこちらを放浪して10束釣りを楽しみたいのです。
 ところが、潮時というものがあって、しかも潮回りが大潮、中潮、小潮などと大きな潮のときと小さな潮のときが周期的に周ってきます。こうなりますと一週間前の潮と一週間後の潮は違うわけで、潮時も朝が満潮だったり干潮だったりとめまぐるしく違ってきます。
 そのようなことですと、「毎回違ったポイントで10束を釣る」というスタイルの方が理にかなっているということになると思うのです。その方が「自然」だと思えるのです。ハゼは潮とともに動きますから。
 今年の場合は、特殊事情として、海草の繁茂が著しい、ということがあります。干潟になる場所などに青々と海草が露出して、それは見事な緑のジュータンになっています。
 こうなりますと、夏場のハゼつりの絶好のポイントの多くは海草に占領されてしまったといえます。これが今年の特徴です。ですから、否応なしに例年と違った場所選びをして釣ることになります。
 このことは、当初は全く予想しなかったことで、私の希望と現実がミスマッチをしていることになります。
 しかし、これは考え様で、自然が私に強制的にそのような釣り場選びを変更するようにさせているのだと思うのです。ここは一番、その誘いに乗って、これまでの22年間とは違った釣りをしてみようと思ったのです。なにしろ、これほどの海草の繁殖は22年間で初めての事態なので千載一遇のチャンスだと思ったのでした。
 ですから、今年の10束釣りは、例年以上にスリリングな一発勝負的な、いつもの時季をはずしたポイントで、チャレンジすると思うのです。これは胸がワクワクするような釣りになります。失敗の確率が例年以上に高い10束釣りだと思っています。
 それでも「道楽の釣り」ですから、なんのアクシデントもない淡々とした釣りでは「面白くない」のですから、今年ほど「面白くなるだろう」という期待感のある年も珍しいのです。
 今年のこれまでの4回の10束釣りはいつもの年とは一味違ったポイントと潮時に釣っています。たぶん、これからもそのような釣りになるのでしょうが、私の「希望」どおりの釣りになるかどうか、「現実」の釣果はどうなるのか、とても楽しみな年になったと思うのです。
2010年6月27日(日)
その34. 1000尾釣ってもアベレージが下がる??
2010.6.27
 表題は、よく考えてみれば、そんなおかしなことはないのです。
 私は、ハゼ釣りのミャク釣りはここ何年かは一日1000尾を目標としていますし、ミャク釣りのアベレージも1000尾以上と設定しています。
 それに、年をとったせいでしょうか、ハゼ釣りがこなれてきたのだと思うのですが、ミャク釣りではたいていが1000尾を超えるようになりました。
 そうしますと、アベレージも当然のように例えば1120尾などとなるわけです。
 ですから、ある日に1030尾釣ったとしますと、平均は下がってしまうわけです。
 私がミャク釣りをすると「当然のように」1000尾を釣るものだという先入観が船宿の人にもあって、いつのまにか私自身も1000尾を釣るのが当たり前のような気持になったのです。
 ところが、いつ釣りに行っても1000尾を確実に釣るということはとても大変なことなのです。ですから、私の気持の中では、いつも「一生懸命に」ハゼ釣りをしているのだし、ちょっと食いが悪いときは、頭の中が「フル回転」で、ショートしそうなくらいにオーバーヒートしているわけです。
 入れ食いを持続させるためにはいつもそのような心の葛藤があるわけです。
 ですから、船宿にあがってきたときでも、1000尾を釣った安堵感といいますか、そのような精神状態であるのです。これは1500尾釣っても、1020尾でも同様です。
 ですから、帰宅しても、「乾杯」したい気分です。ところが、数字を集計してみますと、10束釣りの回数は増えますが、アベレージがダウンするのです。
 最初にこのことに直面したときは、なんだこれは、と思いました。でも、これは当然のことなのでした。
 平均が500尾台でも1000尾台でもおんなじことなのです。このことは、ミャクでの平均目標が500尾だった時代でも同じことはあったのだし、驚くことでもないのです。
 ところが500尾と1000尾では大違いで、1000尾という数字そのものに価値があるわけですから(これは私の独り善がりかも!!)、1000尾釣ったのにアベレージが下がることに抵抗感があったのです。
 それやこれやがあって、結局のところ、「アベレージを超すような釣果」というものを釣行のたびごとに意識することになりました。
 例えば、いまのアベレージが1150尾だとしますと、次回は1200は釣りたいとか、思うわけです。そうなりますと、たとえ1100尾釣ったとしても、気持の中では幾分かの敗北感があるのです。平均が下がってしまう、というものです。
 長年、アベレージにこだわってきますと、上げるのはとても大変だと分かります。ところが下がってしまうのは、ほんの一回かそこいら失敗しただけで、あっというまにダウンするのです。これはショックです。
 私は22年前は、ミャクのアベレージを500尾に設定してトレーニングしました。これは長く続きました。1000尾釣りを年に10回程度はできるようになったときに、平均を1000尾に上げました。1000尾を10回釣ったところで平均が1000尾台になるわけではないのです。
 釣行回数が15回ほどしかなくて800〜900台が5回あって、1000尾台が10回というのなら可能性はあります。ところが500とか600のときがあったり、1000は釣っても1050とか1020とかいうことですと、アベレージは一向に上がらないわけです。
 先ほど書いたように、近年はミャク釣りは平均1000尾以上です。昔は500尾以上だったのです。その500尾という数字は、いまでは、リール釣りを含めたすべての釣行での平均に使うようになっています。
 こちらは更に厳しいです。ミャク釣りでいくらアベレージを上げても、リール釣りでは過去一度も1000尾以上を釣ってないのだし、せいぜい、リールでは500尾超というところだからです。
 リール釣りをすればするほど、年間のアベレージは下がり続けます。
 このようなアベレージの目標というものは、私単独の特殊な目標ではあると思いますが、じつは、このことは、自身の釣技を向上させる原動力にもなると思っています。
 そうはいっても、その前に几帳面に釣果を記録するという習慣が必要です。
 趣味の釣りを「仕事のように」することができれば、上達も早いのではないかと思うのです。
2010年5月30日(日)
その33. 2010年の越冬したハゼのリール釣りの釣果
2010.5.30
 これから記述するデータはこれまでに公開していなかったデータです。ハゼ釣りファンのみなさん、とくに、マニアのみなさんに今後の参考になるものと思って公開いたします。私が一人で抱え込んでいても宝の持ち腐れになるかもしれないからです。
 2010年の越冬したハゼ(ヒネハゼ)のリール釣りの釣果は、4/24 0、5/14 136、5/21 158、5/28 110の釣行4回、釣果404尾、平均101尾/回でした。
 2009年は前年のアオシオ被害の影響でリール釣りはまったく釣りにならず、5月中旬にミャク釣りを1回して352尾を釣り、それでオワリになってしまいました。その後は6月からのミャク釣りでいい釣りが出来るようになりました。
 2008年は4月の釣行実績がなく、5/1 35、5/3 61、5/15 153、5/21 310(ヒネの自己新記録)、5/26 190で、釣行5回、釣果749、平均149尾でした。この年は、ハゼの豊漁の年で、秋のリール釣りを大いに期待したのですが、不幸にも、8月末の大規模なアオシオ被害によって水泡に帰したのでした。
 2007年は4/17 0、4/29 0ということで、5月の実績もなく、5/20にミャク釣りで406、5/26に同じくミャク釣りで427という釣果でした。
 2006年は4/17 0、5/25 106、5/29 58で、釣行3回、釣果164、平均54尾/回でした。
 2005年は4/9 9、4/17 42、4/29 120、5/4 204、5/9 171、5/12 254、5/14 189、5/15 115,5/18 56で、釣行9回、釣果1160、128尾/回でした。
 2004年は4/29 23、5/1 146、5/7 130、5/18 209、5/25 181、5/27 97で、釣行6回、釣果786、平均131尾/回でした。
 越冬したハゼのリール釣りという「つり」については、従来、江戸川放水路のボート屋さんではその経験がなく、江戸川のハゼ釣りは6月からというのが「常識」でした。また、一部の意見としては、ハゼ釣りは7月からでいいのだ、というものもありました。その意見については、「釣り物」が他種にわたって各季節にあるものですから、そのような「釣り物のサイクル」ということから、ハゼは秋でいいのだという考えが「定着」していたと思えるのです。
 私が通っていた「伊藤遊船」さんの親方は、その当時はまだ健在で、意気軒昂で船宿経営をしていました。その親方との会話の中で「すずきさん、今年は5月にハゼ釣ってみてくんないかねえ」というものがあったわけです。
 それは2002年(平成14)のことでした。いまから8年前のことになります。そのときは「あいよっ」と言って5/5にミャク釣りでデキハゼを釣って119尾でした。その後は5/20に250、5/25に205、5/31に225ということでした。
 この2002年という年は、私が地元の自治会長(町内会長)をしていた年でしたので、釣りをしているときに携帯で呼び戻されたりした年ですので、釣果については終日釣ったというものばかりではありませんでした。
 それでも、この年のハゼ釣りは放水路としては豊漁の年だったと思っています。
 このように、江戸川放水路で5月のハゼ釣りの先鞭をつけたのは伊藤遊船さんの親方であって、私はその依頼で調査の釣りをしたということです。
 このような前提があって、本格的に越冬したハゼのリール釣りをすることになったのが
2004年(平成16)からでした。この年はとてもよく釣れました。コンスタントに釣れただけでなく、最上流域、上流域、中流域ともによく釣れました。そのときから比べますと、今年は中流域でほとんど釣れていません。中流域というのは高圧線付近までを言います。2004年はその辺まで釣れたということです。私が4月5月初旬に高圧線付近まで偵察するのはそのためでもあるわけです。
 私の釣行データを見比べていますと、年によって越冬したハゼの釣れ具合に周期性がある程度認められるのがわかります。このことは、その年の気温と水温が大きく影響しています。それがまず第一です。4月前半に水温が18℃を安定的に超している年はヒネハゼが良く釣れるのです。今年はその点でまったくダメでした。もう一点は、前年の秋にひどいアオシオがあって、しかも、小規模であっても何回も繰り返しアオシオが江戸川を襲った年などは、翌年のヒネハゼの数がとても少ないのです。これは経験的にも知りえたことです。
 今年の場合には、昨年の秋に大量のハゼがいて、しかも、体長が5pとか、あるいはそれ以下の体長のハゼが相当数川内にいたわけです。このハゼの数%だけであっても越冬に成功すれば、2010年のヒネハゼ釣りはとても面白い釣りになると期待していたわけです。
 それが、水温が一向に上がらずに、4月は3月の陽気、5月は4月の陽気ということで、1ヶ月遅れの気温と水温だったわけです。
 ですから、今年の4月24日まで水温の経過をみていて釣ったわけですが、その日が水温13℃ということで、これはまったくもって「勝負にならない水温」だったのでした。
 私はその後3週間様子を見ていました。他宿のお客さんが釣っているのを眺めていました。そして5/14に136尾、水温16℃、気温12℃というものでした。そのあとは5/21に158尾、5/28に110尾ということで、リール釣りを納竿としました。
 越冬したハゼのリール釣りについては、まだまだ、今年も釣れると思っています。
 私の場合は、6月からは、「10束が釣れても釣れなくても」それはかまわないのですが、ミャク釣りに切り替える予定でいるのです。6月からミャク釣り、と決めていれば、一貫したミャク釣りのデータが取れるからです。
 今シーズンのデキハゼの「ワキぐあい」は実際に釣って見なければ実態はわかりません。どの程度の孵化なのか、自然の摂理はハゼにどのように働きかけているのか、もう少しすれば、おぼろげながらでも理解できるのだろうと思っています。
2010年5月20日(木)
その32.水深はいつも気にしている
2010.5.21
 先日のこと、私が、越冬したハゼを136尾釣ったという日誌の中で、最深部からの最初の斜面にハゼがいた、という意味の書き方をしましたが、そのことで、どのようにしてそれが分かるのだろうか、という趣旨の質問がありました。
 このことは、どのようにして水深を知るのか、ということでもあると思うのです。
 私は、他の海釣りのときも同様ですが、最近はハゼ釣りがほとんどですので、ハゼ釣りをするときには、特に、水深を気にしています。
 それは、いま釣れているハゼが、どのような場所(ポイントあるいは深さ)にいるハゼなのかということを、知りたいと思っているからです。
 このことは潮時、潮回り、風、水温、気温などとともに、重要なデータといいますか、資料の蓄積になっていくのです。
 では、水深とか底の地形を知る方法はどのようなものがあるのでしょうか。
 私は、まず第一に放水路の成り立ちの形状(地形)を「文献上」ですが、知っているということです。それを踏まえて放水路が1919年(大正8)に竣功してからの90年間でどのように「埋って」しまったのか、現状を把握しようと努めてきたということです。このことが放水路のハゼ釣りをする上での基礎になっています。
 次に、ボートのアンカーロープが重要な目安になっています。ロープは船宿によって違いがあるとは思いますが、ロープを切断するときに、放水路内の場合は、例えば4尋とか、3尋とかの長さで切断します。1尋とは成人男性の両手を左右いっぱいに広げたときの寸法です。これはだいたい背の高さに一致するくらいだと言われています。としますと、160pとか、170pとかになります。3尋であれば5mちょっととか、4尋であれば6mちょっととかになるのです。放水路内でのロープの長さはそんなものです。行徳港内の深場の場合には、そのロープに同じ長さのロープをつなげればいいということになります。このことを知っていれば、放水路内でボートが流されたということは、6mのロープとすれば、そのときの水深は5m以上はあったと考えられるわけです。もちろんそれは無風の時と風が強いときとは違います。
 三つ目は、投げ釣りをしているときの水深の測り方です。私の場合には、キャスティングしてオモリがボチャンと着水したときから、川底にトンと着くまでの間は「常に」1、2、3などとカウントしています。これは1カウント1秒のつもりですが、若干1秒よりも長いかもしれません。これをしていますと、いつの間にか習慣になってしまって、必ず心中でカウントするクセがつくのです。そうしますと、ボートの周囲のすべてについてカウントできますので、この方角のどの距離では何カウントなどと、距離よって違うとか、角度によって違うとか同じだとか、などがよく分かるのです。すると、釣れているサオについて、そこはどのような地形の場所で釣れるのかという情報が取れるわけです。これはあくまでも、本日のいまの時間のデータということですが、それが判るわけです。長年、放水路で釣っていますと、似たような地形というものは頭に入っていますので、次に移動するポイントはどこそこにしようなどと決められるのです。この場合は、逆に、釣れなかった場合にも応用が出来るわけでして、いま釣れない場所と同じような地形のポイントは避ければいいことになるのです。つまり、私がいつも言うように、リール釣りの場合は特にそうですが、「深さを釣る」ということです。釣れた時は同じような「深さ(斜面など)」を捜して釣ればいいのです。ミャク釣りでも同じです。この「釣れる深さ」を「いち早く」見つけること、これこそが、ハゼの「数釣り」にとっては第一の要素です。私の「ハリネズミ釣法」はまさにそのためにこそあるといえるわけです。このように、リールで投げたときにカウントしておくということはいろいろと役に立つのです。私は長年それをしてきましたので、みなさん方よりは、少しだけ情報量が多くて、移動先の選定に役立っているというだけのことです。
 質問された方の答えになっているかどうか分かりませんが、私の方法論とはそのようなものなのです。
2010年5月7日(金)
その31.現役のハゼ釣り師
2010.5.7
 私の密かな願いのひとつは、生涯現役のハゼ釣り師でありたい、ということです。
 私がハゼ釣りに執着するのは、行徳水郷で生まれ育ったことが影響しています。
 先祖代々の農家に生まれて、幼児のころから、竹竿を手に、行徳水郷の畦道を駆け回って、フナ、ウナギ、ハゼ、イナッコ、クチボソ、ライギョなどを釣っていました。
 きれいな飴色をしたハゼなどはフナやウナギの「外道」としていくらでも釣れたのです。縦横に張り巡らされた農業用水路(小川)には、ハゼがいて、干潮時間の水が少ないときは、大きなハゼがよく見えて「見釣り」ができたのです。ハゼはフナのように逃げたり身を隠したりはしませんでしたから。
 行徳水郷は、東京の釣り師にとっては天国でした。本命はやはりマブナでした。春と秋は地元の人たちが「遊び人」と揶揄した「東京の釣り師たち」が畦道にいました。
 ハゼ釣りは、やはり、秋の風物詩であって、行徳水郷の小川で釣るような「獲物」ではありませんでした。
 昭和20年代から30年代にかけては、釣りのブームがあって、猫も杓子も仕立て船を出して、行徳沖の三番瀬でハゼ釣りをしました。
 勤務先の釣りの会の末席(まだ未成年だったから)にいた私も、仕立て船に乗りました。当時はまだ木造船で、船幅は狭くて、手漕ぎの櫓で流してくれました。
 ハゼやカレイは、それこそ無尽蔵と言うくらいにいて、ゴカイをつけた仕掛けを船下へ落せば、空振りナシで良型が釣れました。ハゼ釣りをしていてイシガレイの20pほどの型がよく釣れたものでした。
 私の仕掛けは一本バリで(皆さんは全長20pほどの二本ばりが多かった)、ハリス5pと短いものでした。中通しオモリを使いました。サオは和竿(グラスなどない時代)で、糸巻きがついた9尺のものでした。なぜ9尺かは、他の人と同じラインを釣りたくなかったからでした。それは、手漕ぎで船頭さんが流してくれるのですから、ミヨシに座らない限り、他の人が釣った後を釣ることになるのは、半ば「常識」でしょう。そのくらいのことは、未成年者の私でもわかりました。ちょっと考えれば、そんな特等席に私が座れるわけがないのです。前から2席は左右共に、会社の重役の招待席だったのです。
 艫の席もまずいい席でした。微妙な方向転換をするときに(一直線にばかりは進みませんから)、艫の人は釣っていない場所を最初に釣ることが出来たからです。
 そんなこんなで、みなさんが、6尺とか7尺の竿で釣っている中で、私だけ9尺の竿で釣りました。これはとてもよく釣れました。
 ですから、若いわりには釣りができた、わけです。
 それから20年ほど経って、職場での肩書きがつき、釣り会の役にもつきました。
 縁あって、自営の仕事をするために退職しましたが、それからが、「自分の自由な釣り」ができたのです。釣りの会を運営するということは、自分が釣りをすること以上にエネルギーを消耗するものなのです。
 勤務中に、バスをチャーターしての遠方での陸釣り、仕立船での沖釣りなど10種類以上の年間行事を組んできたのです。自身の釣技上達はとても望めませんでした。
 私のただひとつの望みは「魚を釣る」という一点でしたから、その他のことは関心がなかったのでした。ただ、半分は業務命令のようなものでやっていたようなものでした。これは会社勤めをしている方であれば、どなたもが一度は経験することだと思うのです。
 会社を退職して独立し、数年立ってから、釣りを再開しました。そのときに出会ったのが私の釣りの師匠でした。ハゼ釣りをしたときに「弟子にさせられた」のでした。
 師匠はその当時身軽だったらしく、私を強引に連れ出しては、日曜祝祭日に師匠の車で釣りにいきました。マンツーマンのレッスンというところだったと思います。スジがいいから、とか言われて、ハゼ、マブナ、ヘラ、カレイ、イシモチ、メバル、マゴチ、フグ、イイダコ、外房の船釣り、ハヤ、ヤマベ、ヤマメ、レンギョ、ボラ等々、いろいろな釣りを「仕込まれ」ました。ハゼといっても江戸川もあれば木更津もあり、利根川もありということ、マブナでも釣り場は多数あり、釣法もシモリ釣り、ヅキ釣り、リールでの投げ釣りなどをやり、真冬に氷を割って釣りをしたこともあります。渓流釣りといっても関東各地色々あるでしょう、そこを点々と釣りに行きました。
 あるとき、師匠が、APCにしてやる、というのです。某スポーツ新聞社の釣りのAPCです。予感はあったのですが、驚きもしました。結果は「断わった」のですが、「鈴木さんは変わってるね」といわれました。自薦の人はいくらでもいるというのです。それを断わったのですから驚いたようでした。まさか、断わられるとは考えもしていなかった様子でした。
 断わった理由は一つだけで、自由な釣りができなくなる、というものでした。私には、肩書きは必要なかったし、欲しいとも思わなかったのです。サラリーマン時代の経験で、もう、そのような「仕事」というか「役職」はなんとなく敬遠したかったのでした。
 このことは、もうひとつ伏線がありました。私はときおり釣り新聞に情報を送っていましたが、それは先輩からの頼みで、情報だけを送っていたのでしたが、私の「釣果」が、特にハゼのものが、他の群を抜いて多いものでしたから、新聞に情報として載るときに、「釣果のわりには」扱いが小さかったのです。
 このことは、ひとつのことを暗示していました。釣楽否漁としている編集としては、まさに私の釣果は漁の数字でしたから、扱いに困ったと思えるのでした。
 私としては、情報を送るには、より正確を期するために「検量」までしているものでしたから、数字は妥協しなかったのです。ましてや、情報を送るために、釣果や釣り時間に「手心」を加えて、新聞社の満足するような情報に仕立てて送るなどということはしなかったのです。
 そのような経験があったものですから、自分に手かせ足かせを科すような肩書きはいらないと思ったのです。
 師匠のお気持にはとても申しわけないことをしたと思っていますが、私の後任者が幸にも育って、その人がAPCの重責を果たしておられます。
 釣り人というのも、十人十色であって、私のような「馬鹿」がいてもいいのだろうと思うのです。逆に、社会の仕組みというものは、私が断わったような仕事とか役職を引き受けてくれる人がいませんと、成り立っていかないわけです。
 ですから、そのような人たちには本当にご苦労様と言いたいのです。私はその場から「逃げた」わけですから。
 そんなこんなで、自由気ままな釣り人生をさせてもらっています。
 これまでに、「僕らはハゼっ子」「江戸前のハゼ釣り上達法」「天狗のハゼ釣り談義」「ハゼと勝負する」など4作を刊行してきました。いまとなってはこれらの本を書くために師匠に断りをいれたも同然の形になっています。
 行徳水郷で生まれ育った私が、子どものころから親しんだハゼ釣りが、晩年になって江戸川のハゼ釣りとして回帰したのです。
 あと10年、いまのような釣りをしていることができるかどうか、という年齢になってしまいました。
 私は師匠と違って、弟子を取らず、会を主宰せず、スポーツ新聞社のAPCも遠慮し、ひっそりと、ひとりの釣り師として終りたいと願っているのです。
 ただ、私の性分でしょうか、いままでの「成り行き」でしょうか、本を刊行するとか、HPで情報を公開するとかなどは、これからも続けたいと思っています。
2010年4月29日(木)
その30.江戸川放水路の景観が変わりました
2010.4.29
 現在、江戸川放水路の両岸の堤防で工事が進められています。
 現行堤防をかさ上げしています。土を積み上げて高くして、その斜面にコンクリートブロックを張り付け、さらにその上に小型のコンクリートブロックを乗せています。
 ですから、堤防が「土手」ではなくて、コンクリートに覆われたということです。もちろん中身は土手です。これをボートから眺めますと、それまでの草が繁茂した土手ではなくて、太陽に白く輝くコンクリートが見えるわけです。
 とくに、左岸、高谷側は工事の進捗が早くて、みなさんが5月から6月にボート釣りにくる頃には、全面がそのような景観になっていることでしょう。
 右岸については、高圧線から下流域の土手について、かさ上げが実施されています。こちらも上部をコンクリートで覆うようです。
 右岸の工事が上流域まで実施されるのかどうかは私にはわかりません。ともかく大規模な「防災対策」が行われています。
 このことが、ハゼにどのような影響があるのかないのか、見当もつきません。ただいえることは、降った雨がすぐに川へ流れ込むということです。堤防に土はないし草もないからです。
 最上流域については、右岸、妙典側ですが、こちらには桟橋があって、漁師さんの船着場になっていましたが、その桟橋が2ケ所撤去されました。
 先日、ハゼの試し釣りに行ったときに、エビ漁をしている人に会ったので訊いたところ、桟橋の架け替えはしないようです。そこを利用していた人たちは他の桟橋へ移ったのだそうです。
 ということは、ハゼ釣りをする私たちにとっては、釣りポイントが増えたということです。桟橋撤去後の川面には、残された杭などが立っていて、ボート釣りの目標になるでしょうし、ハゼの着き場のひとつが心置きなく釣りポイントに加えることが出来たというものです。これまではどうしても漁師さんに遠慮して出入の邪魔をしないような気遣いをしていたからです。今後はその必要がないのです。
 最上流域のこのような変化は考えてもいなかったことでした。
 この先1年とか2年とかの期間で考えたときに、もう一点、工事が予定されていることがあります。それは仮称「妙典橋」の架橋工事というものがあって、江戸川放水路に新しい橋を一本架ける計画です。
 これは、東西線の車庫の上をまたいで、対岸の高谷側までの長い橋です。見当としては、沈船の付近だと思えるのですが、だいたい、その辺の見当の場所に橋桁が立つのではないのでしょうか。
 この橋は、災害時の道路として計画された生活道路ですが、行徳と船橋との行き来はよくなるようです。この道路は外環道とのアクセス道路でもあります。
 湾岸道路、京葉線、東西線等の橋桁の補強工事は、まだ続いています。いまは湾岸道路の高谷側を工事しています。
 何年ぶりかでハゼつりにくる人には様変わりした景色になっていると思うのです。
2010年4月1日(木)
その29.いよいよ4月になりました
2010.4.1
 本日4月1日、伊藤遊船さんへ行きました。目的は、江戸川の水温を測ることでした。
 温度計を持参しての訪問です。私の目的を知ると、船頭さんたちが口を揃えて、12℃から13℃ちょっとを行ったり来りですよ、というのです。
 それじゃあ、自分で測るの止めた、といってお茶をご馳走になって帰ってきました。
 このようなことは毎年のことで、水温の動きをチェックしているのです。
 というのは、物の本によりますと、ハゼの孵化が開始する水温が13℃だというのです。そして、卵の中にポツンと小さな黒い点ができて、それがメダカの格好になって卵の中から下界へ飛び出してくるのに28日間かかるのだそうです。
 そうであれば、4月中旬以降には、気の早いハゼが水面をチョロチョロと泳ぐのではないかとも思うのです。13℃といったって、江戸川のハゼは11℃とか12℃で孵化が始まっているのかもしれないからです。
 例年、4月になりますと、干潮時間などに、干潟の水溜まりにメダカがいることがあります。これは昨年のシーズン終了間際に孵化してきたメダカが越冬に成功した姿なのです。ですから、今年の4月中旬以降になって孵化したハゼと間違いやすいのですが、6月になってデキハゼを釣り始める頃になって、5〜6cmのハゼに交じって、7pなどとけっこう「巨大な」「デキハゼ」がいるのですが、これは、一番子ではなくて、昨年に孵化して越冬したハゼなのです。
 冬場は大きく育てませんので、春先になって急に大きくなるのです。
 そのことは、昨年の12月の段階でメダカよりもずっと大きくて、たとえば、5pとか、8cmとかになっていて、産卵(魚体13cm以上が適齢期とされます)もできない大きさのままで越冬に成功するハゼも、じつは、たくさんいるわけです。
 そのようなハゼは、4月後半の時点でようやく8〜10pになっているのです。そのような小さな「ヒネハゼ」は水温が18℃前後になりますと、口を使い始めるようです。これは私が経験的にそのように思っていることで、口を使い始める適正水温については確定されたものではありません。ただ、例年、そのような水温の頃に釣れ始めることがあるという意味です。
 私の4月から5月いっぱいのターゲットは、この、10p前後のヒネハゼのことですが、季節としては、麦の刈取りの季節になりますので、この季節に釣れてくるヒネハゼの事を別称「ムギハゼ」ともいうのです。
 ですから、「通」の人を相手に言うときは、「ムギハゼ」釣りと言ったほうが季節感もあるし「越冬したハゼ」などというよりはずっといいとも思ったりしています。
 いずれにしても、ヒネにかわりはありませんので、そのハゼを「リール釣り」で狙うわけです。
 釣法については、みなさんいろいろとこだわりがあって、ミャク釣りが得意の方も多いのだし、4月後半から5月中に、まだ、デキハゼがハリ掛かりしない季節に、ミャク釣りでヒネハゼをターゲットにするわけです。
 しかし、デキハゼと比べて、絶対数が極端に少ない上に、ポイントも限定されていて、たくさんの方々が、それぞれの思いの釣果をミャク釣りで上げるには、なかなか、大変なワケです。
 私などは、リール釣りで、サオ5〜7本を出して、ミャク釣りで釣り難いような、比較的水深が深い2〜3mを釣るようにしているのです。このようにすれば、たとえば、縦横10mのエリアに、たとえ5尾などと少数しかいなくても、ミャク釣りのような「苦労」をしてハゼを探すということもないからです。
 要するに、相当に私も「横着な」釣り人だとも思えるのです。
 希望としては、私は、かなり楽観的な気持ちでいます。というのは、昨年秋から暮れにかけて、江戸川放水路のなかで、リール釣りで800尾とかなど、私はかなりな釣果を記録しましたし、相当たくさんの5〜10p程度の魚体のハゼが越冬したものと推測できるからです。
 ただ、現実としては、釣りというものは蓋を開けてみないとわからないというところがありますので、一抹の不安があるわけですが、そこは、釣り師の性として希望的観測を常にしているのです。
 江戸川のハゼが口を使うようになると思われる18℃という水温が待ち遠しいわけですが、水温が下がっていく秋の場合には、水温が18℃よりも低くなっても、釣れ方には全く影響がなく、いよいよ、釣れなくなるのが水温8℃とか、7℃とかなのです。
 ところが春の場合には、10℃などとなっても、川の中では、ウンでもなければスンでもないのです。やはり冬場を抜けた水温は、局所的には暖かくなっても、「冷え切った」水温は18℃あたりにならないと、ぬくもりがないのではないのでしょうか。
 船頭さんの話では、暖かい気温の日には、上げ潮の海水が茶色く濁っているとのことでした。ところが昨日までのような寒さの日には水色は澄みで、透明だというのです。それでは、まだまだ、越冬したハゼも口を使いませんし、大きく育つためのプランクトンも不足しているわけです。
 4月1日から2日にかけては、南西の暴風の予想で東京湾は2.5mの波高などと天気情報でいっていますので、この二日間で水温が一気に上がるのだと思っています。
 そうであれば、ハゼの孵化も一気に加速して、4月後半には水面をチョロチョロと集団で泳ぐメダカのハゼをみることができると思っています。そのようなハゼがハリにかかる5pにまで成長するのには、さらに一ヶ月という時間が必要なのです。
 それまでの間は、リール釣りでヒネハゼを釣って楽しんでいようかと思ったりしています。いずれにしても、リール釣りであっても、釣り始めはゴールデンウィーク直前の頃になると思っています。
2009年12月25日(金)
その28. スイッチが入る
2009.12.25
 なにか、ことが動いたり、決まったりするときは、きっかけがあると思うのです。それを私は「スイッチが入る」と表現したりします。
 7℃、これは江戸川の水温で、初冬の季節、深場のハゼが釣れなくなるときの水温です。ですから、私は晩秋から初冬にかけてのハゼ釣りでは、ずいぶんと水温の低下には注目していました。
 本年は、12月前半は暖冬で気温が高く11月の気温で推移していました。水温も比較的高くて目立った低下もありませんでした。釣行の度に測定する温度は10℃以上の水温でした。
 そのためだったのでしょうか、今年だけの特殊要因だったのでしょうか、そのことだけは詳らかではないのですが、ともかく、11月後半に江戸川放水路の上流域で400尾台、12月前半に中流域で500尾台という大釣りをリール釣りでしました。
 12月になっても深場での落ちハゼ釣りが好調で、過去に何度か経験した400尾台とか300尾台とかの大釣りは今年は一度もありませんでしたが、それでもコンスタントに200尾台後半の釣果を打っていたわけです。それについては、昨年のアオシオ被害からの翌年ということで、これだけ釣れれば上々という釣果だったと思っているのです。
 今年の深場の釣りは何年ぶりかで行徳港内の各所を釣り歩くチャンスに恵まれました。そこで私がしたことは、数年ぶりのことですから、港内での「基準となるべきポイント」を満遍なく釣り歩くということでした。
 ですから、スタイルとしては、なるべく一度釣った場所は二度三度と釣りをしないという釣りになったわけです。このことは実釣としても、次の機会に釣行するまでに、私が釣った場所を攻められているという事情もあったのです。
 行徳港内といっても、10月中、11月初旬、同中旬、同下旬、12月上旬、同下旬と、季節によってハゼの魚影が各ポイントで違ってきますので、つまり、比較的早い時季にポイントとなる場所は、わりと浅い場所で、季節がすすんでくると深い場所にポイントが移ってくる,という事情もあるのですが、別の面から言えば、比較的に暖かい季節に釣られていた場所は場荒れしてしまって、寒くなると共に徐々に深い場所へポイントガ移っていく,つまり、釣り残されていた場所が新しいポイントになっていくということであったと思うのです。
 ところが、ある時、突然にハゼが釣れなくなるという現象があるわけです。そのことは、場荒れして釣れなくなるということとは全く関係なくそうなるわけです。
 今年もその現象があったわけで、12月20日の日曜日には、伊藤遊船さんで100尾ちょっとの釣果がでていました。その3日後の祭日に釣行したところ私の釣果が22尾で、半日で断念して、今シーズンの納竿という事態になったのでした。
 20日と23日との違いは、20日は水温が9℃で、23日は7℃でした。私が釣行した近々は17日で、この日は平日でしたが,水温は11℃でした。かねてより、「江戸川放水路の水温が8℃とか7℃とかになるとハゼ釣りは厳しくなる」という趣旨の会話はしていたわけですが、その厳しくなるだろうと言っていた水温になったのでした。
 21日、22日と一日ごとに釣れなくなって、23日は休日で比較的自由に港内を釣り歩けたにもかかわらず貧果に終ったのでした。
 このことから、「スイッチが入った」と私は思ったのです。つまり、産卵前の荒食いは終了して,いよいよ、本格的な産卵行動に移ったということです。もちろん、それも一度にいっせいにそうなるのではなくて、そのような徴候といいますか、産卵をおえたハゼというものもポツポツとそれまでにも釣れていましたので、そのことがある程度の規模でいっせいに始まったということです。このことは逆に、まだ、産卵行動に移らないハゼもいるということを意味していますので、まったくゼロで釣れない、ということではなくて、少しは釣れるわけです。
 12月のハゼがいつ釣れなくなってしまうかという時期については、年によって微妙な違いがあります。もっと早い12月初旬の季節で終わってしまうこともあります。
 12月から1月にかけてが江戸川でのハゼの産卵時季ですが,そのときにだけしか産卵しないということではないと思えるのです。
 江戸川のハゼは、孵化してくる順序によって、一番子、二番子などと名付けられて、八番子まで孵化してくるのではないか、ということが江戸川では言われています。これは証明されたことではありませんし、経験的にそう言っていることなのです。そうであっても、孵化してくるということはハゼの卵があってそうなるわけです。
 じつはその「産卵されていた卵」が、12月とか1月とかに産卵したものなのかどうか、それとも、6月とか7月に産卵されたものかどうかということがあるのです。
 もしも、6月や7月に産卵されたのであれば、12月のときのように水温が7℃ほどになったときにいっせいに釣れなくなって、それが産卵行動と関係があるという理屈にそぐわないことになってしまうのです。
 ということは、越冬に成功したハゼは、10p前後の魚体のハゼが多数いますので、そのハゼが13cmほどになりますと、人間で言えば結婚適齢期とでも言いましょうか、卵をもって産卵が可能な魚体といえるのです。13cmで産卵できるというのは証明されています。
 6〜10月の頃の産卵可能な魚体に成長したハゼが、これはつまりヒネハゼのことですが、実際の産卵をするときのスイッチはどのようなものがあるのでしょうか。このことについては,私はなんの資料も持っていないのです。
 ただ、現実として、体験できる現象として、ハゼの孵化ということは一度限りではなくて、7回も8回も月日を置いて繰り返し繰り返しなされてくるということです。
 極端な話で信じ難い方もおられると思うのですが,12月後半になってさえも、桟橋周辺の干潟になるような浅場で2pちょっとの稚魚が障害物にかくれるようにしてチョロチョロと動いている姿が確認できるのです。その小さなハゼは越冬に成功できれば、次の年の5月には5〜8pに育っていると思うのです。
 夏場に孵化してくるハゼは、その卵が産卵されたのが5月なのか7月なのかということと、1月なのか12月なのかということがあると思いますが,そのへんのところがわからないのです。
 私の素人考えでは5月か7月に産卵したものだろうと思っているのです。とすると産卵するためのスイッチになるものが水温7℃などというものでないことははっきりしています。5月の江戸川の水温は18℃前後あるからです。
 ハゼが孵化してくるスイッチというものもあって、それは水温が、低い水温から上昇してきて13℃に達すると孵化が始まるとされているのです。これは学術的にそのような証明がされているようです。ですから、春先に異常低温が続きますと、その年のハゼの孵化が遅れてしまうのです。
 この点についても面白いことに、6月7月に産卵したハゼがいたとして、その卵から孵化してくるためのスイッチとしての水温はすでに13℃を大きく上回って20℃とか23℃とかになっているわけです。ということは、産卵したそのあとすぐに孵化が始まってしまうということです。越冬したハゼが13cm以上の魚体になって卵を持って産卵しさえすれば、次々とデキの補充がされることになるのです。
 このように江戸川では、シーズンを通じてデキハゼの新規供給が続きますので、いつになっても5〜7pのハゼが釣れてくるということになります。こうなりますと釣り人は,秋のお彼岸になってテンプラサイズが釣りたいのに、釣れるハゼは8p前後が中心ということになりかねないのです。
 このことは反面、新規供給が続いているということで、ハゼの絶対数は増えているわけですから、喜ぶべきことではあるのですが、「型を揃える」という釣りに関してはそれなりの研究と熟練を必要とするということであって、だれもが漠然と9月だからテンプラサイズが希望数だけ手に入ると考えて、安易に釣行しますと、手痛いヒッペ返しを食らうということになりかねないのです。ですから、利根川などと違って、お彼岸の頃に良型をしっかりと揃えるにはそれなりの技量が必要なのであって,その点の釣果について不満をもつようであるとすれば、それは自分の技量の未熟さを嘆いた方がいいのではないのなと私は思うのです。
 この場合にも、@良型ばかりを狙うのかA数釣りを望むのかB数も型も二兎を追うのか、ということ、つまり、ターゲットを絞って釣行するということが極めて大切な要素になると思えるのです。
2009年12月18日(金)
その27. ポイントの方向
2009.12.18
 リール釣りでサオ数本を出しているとき、その取扱に手間取ることがあると思います。
 主な原因は、手前マツリというものです。ある一本のサオを上げたときに、その途中で他のサオのラインやオモリが引っかかってきて絡んでしまうことです。
 私なども随分とそのようなことは経験しました。最近では少なくなりました。それでも釣れている方角へサオを集中したときなどは、私がときおり頭がポッとしてますと、油断でしょうか、巻き上げるときにオマツリをすることがあります。
 その場合でも、投げたときに絡まってしまうような投入は少なくて,巻き上げるときに、右なり左なりのサオのラインのタルミ具合(糸フケという)の確認と調節を怠ったがためにオマツリをしてしまうものでした。
 投入後に糸フケをどれほどなくしたと思っても、ラインは沈む速度が遅いので、水面近くをゆっくりと漂っているのです。そのために再度糸フケをとる操作が必要なワケです。
 それを私は途中ではしませんので、あるサオを上げるときに、その前提としてそのサオの左なり右なりのサオのラインの糸フケを巻き取ってやって、穂先がラインに引っ張られてカーブを描くくらいにピンと糸を張るわけです。こうしますと、上げるサオのラインも見えていますので左右のラインと絡まる恐れはありません。
 ある程度の角度を隣りのサオとはつけて投げていることは承知していますから、ラインさえ張っていれば左右のラインと絡む心配はないわけです。ところが不思議なことにそれでも絡むことがあるわけです。これは底で絡むのとは違って、途中のラインが彎曲しているのですが,上げて来るラインが、その水中の途中の彎曲したラインの側をオモリが通過しますので、そのときにテンビンとか仕掛けとかがラインに接触して引っ張ってしまうわけです。これは糸フケを十分に取ってやるとか、上げるときの確認などをしっかりやれば100%防げます。
 問題はそれよりも、あるサオを投げた段階で、すでに投げてあるサオのラインと交差するようになる場合です。それに気がつかないでいますと、次のサオも投げるときに別のサオのラインをまたぐということが起こります。
 このことは、結構皆さんを見ていますと多いわけです。
 その原因は「山立て」を十分にしていないためだと思うのです。
 私の場合は、仮にある位置であるサオを投げたとします。この場合に、オモリが飛んでいった方角に、赤いクレーンがある、ということを見ておきます。次のサオは、先のサオの右に投げたのですが,そのオモリが落ちた場所は赤いクレーンの右で倉庫のシャッターが閉まっている方角だとします。そのようにして5本なり7本なりを投入して、その都度、オモリの落ちた場所の目標物を確認します。
 このようにしておきますと、ボートが風とか波とかでどちらの方向に動いてしまったとしても、どのサオはどの目標物の方角に飛んでいるのかということがわかっているわけです。ですから、そのどれか1本を上げたとして,再投入するときは、前回投入したときの目標物に向って投げればいいわけです。このような方法ですべてのサオを操作すれば、投入した時点でライン同士が交差してしまうということがありません。
 このように、ボート釣りでキャスティングするときに、投入方向の目標物を決めておくことを、私は「山立て」と呼んでいます。これはとても便利でして,ハゼが釣れた場合でも、山立てをしておいたときは、釣れた場所までの距離だけを把握しさえすれば、方角としては間違いがないわけです。オマツリもしないということです。
 山立てというのは、もともとは漁師が海の真中で自分の船の位置を知るための方法だったのですが,近年ではいろいろな装置ができて山立てという技術もすたれてきたように思います。
 しかし、江戸川のボート釣りにとってはそのような機械も役立たずで、昔ながらの山立てが威力を発揮するわけです。このことは、江戸川放水路内のリール釣りでも活躍します。また、前回釣れた場所に次に行くときのために、釣れた場所の位置を山立てしておくのです。つまり三角測量の要領です。そうすれば、あれとこれとあれで確かこの位置だった、というように、行徳港の深場であっても、微妙な斜面とか窪地とかで前回釣れた場所と似たり寄ったりの場所にボートを止めることができるのです。
 よく私のことを川の底が見えているようだとおっしゃる方もおられますが、そんな千里眼とか透視能力などというレベルのことではなくて、山立てと記憶力だけでポイントの上に乗っかっているわけです。
 そうであっても、ピッタリ同じということにはなりませんので、サオ7本を使ってのハリネズミ釣法で,釣れるポイントを「確定」する作業をしているのです。
 ただ、皆さんのように「メクラ滅法に」(失礼ですが)アンカーを放り込んでいるわけではなくて、山立てというある程度の裏付けがあってアンカーを入れていますので、大きくポイントを外すということが少ないので,それが釣果に直結しているのだと思うのです。
 つまり、釣れるポイントにたどり着く時間消費が少なくて済むというわけです。
 もちろん実釣では、近隣にいるボートなども重要な目標の一つになります。しかし欠点もあって、その目標は私のボートと一緒に「動いてしまう」ということがあります。ですから、あくまでも距離感とかなどのおおよその目安程度にしかなりません。それでもないよりはマシです。
 このようにポイントの方向というものは固定物などの目標を設定して、ポイントの方向そのものを「固定」できるということです。それさえしっかりとできていて、キャスティングさえ誤らなければ、釣れたポイントの方角へ常に仕掛けを落とすことができるのです。
 ボートの動きによって方角が微妙に違っていることに無頓着で自分のボートの座席の座り位置だけで、ボート尻ならボート尻方向という位置決めだけで投げていますと、投げるたびに異なった方向へオモリが飛んでいくものだという認識がどうしても必要なのではないのでしょうか。
2009年12月10日(木)
その26. 離れて釣ろうという勇気
2009.12.10
 釣り場で、他のボートに周囲を囲まれてしまうということがあります。
 私の経験では、最大の原因は、私が「釣れている」のが、周りで見えていて、そのために近づいてくるということがあります。
 誰しもが1尾でもたくさん釣りたいわけで、釣れている場所へ行きたいと思うのです。これは「人情」ですので、あながち、「非難」したり「責めたり」もできにくいわけです。
 ミャク釣りの場合には、釣る範囲がボート周辺と狭いので、さほどには問題はありません。
 リール釣りの季節になりますと、どうしてもキャスティングしますので、ボート間の距離をある程度保ちたいわけです。
 先日も深場で釣っていて、二人で乗ったボートが私のボート尻の3mほど下手にアンカーをいれて7mほど下手にボートが安定しました。これは私にとっては「至近距離」です。こうなりますと、ボート尻方向へサオ2本を投げてあったわけですが,そのキャスティングの方向の真上にボートが乗ったわけです。
 そこでそのボートの方に、そちらに投げてありますのでその位置だとオマツリしますからもう少し10mくらい下がってくれませんかと遠慮がちにおずおずとお願いしました。普段は大抵はこのようなことはいたしません。私の方で退散することにしているからです。ところがそのときは私が移動してまだ10分ほどしか経過していなかったので、気持としても釣りとしても、動くに動けない状況だったのでした。
 ところが、「距離感」というものはなかなかみなさんわかりませんので、その人たちは、そうですか、といいながら投入したわけです。仕方がありませんのでそのままにしておいて、私はローテーション通りの聞きアワセを他のサオでしていました。すると案の定、投入したサオをサビいてきたその人の仕掛けが私のラインを引っ掛けて釣ってしまいました。その人はやっぱり絡みましたといって外してくれました。それでようやく「理解」できたらしくて、今度はアンカーを上げたのですが、そのアンカーに私のもう一本のラインを引っ掛けて上げて来ました。それを外してちょっと下手へ下がって行きました。
 このように周囲の状況というものは「普通は」なかなか「見えない」ものなのです。ですから、私の場合には、移動してアンカーを入れるときに、「よほど」離れている場合は別ですが,よほどというのは例えばキャスティングしてもオモリがとても届かないと思える距離をいいますが、そのようなときでさえも、先着のボートに気兼ねして、この辺りでアンカーを入れても大丈夫でしょうか、と声を掛けて一応「承諾」を貰ってからアンカーを入れるようにしています。
 ほとんどの人たちはこのような声かけはなかなかされていないようです。
 冒頭に、囲まれるのは、釣れているのが見えているから集ってくる、という趣旨のことを書きましたが、それはそれで見えていて釣れている場所へアンカーを入れるのですから、「悪質」といえばそうなのですが、私も近年ではいちいち咎め立てするのはやめています。言っても気分を害するだけなのですから言わないわけです。
 先日も私の知り合いのお年寄りが、普段は温厚で紳士な方ですが、囲まれたとおっしゃっていました。投げている場所にアンカーを入れるんですよ,と憤慨されていました。その方としては、このようなことは本当に珍しいことで、よほど気分を害されたのだと思いました。
 囲む人たちは「確信犯」的に囲む人もいますし、そのこと自体を失礼なことだとはまったく考えも及ばないレベルの人たちも大勢おられるわけです。また、ボートの操船が下手で流れてきてアンカーを入れたらすぐ側だったということもあったりして、原因はいろいろですが、結果として囲まれてしまうということになります。
 私の対処法ですが@ともかく囲まれたらそこから「逃げだす」Aときにはやんわりと少し離れてくれるよう「お願い」するBなんにもいわないC囲まれてもいいような準備をしておく、というものです。
 とくにCの場合ですが、私のリール釣りは「投げ釣り」ですので、釣り始めは「遠投」して「遠くから」釣るようにしています。このことは守備範囲を広くとる事になりますが,移動時間と回数を節約する意味もあります。
 このような釣り方をしていますと、仮に、釣れているのが見えて近づいてきても、「遠投」している着水地点にボートが入るわけですから、遠くをあきらめて、次に「近く」を釣っていればいいわけです。
 私の「遠投」という釣法はこのように周囲を囲まれてしまうということを「想定」してはじめたことではないのですが、現象としては、いつ囲まれてもいい、という覚悟で釣っているわけです。
 また、各ボートの判断で近くにくるということ以外に、ボート店の船頭さんが、釣れないでいるお客さんを、「いまの時間に現実に釣れているポイント」へ曳いて来るということもあります。そのために各ボートの釣れ具合を観察しているわけです。このことはお客さんのためのサービスでもあるわけですから、お客さんにとってはありがたいことなのです。ときには船頭さんが私にここへ釣れてきてもいいですかと声をかけることもあります。もちろん、どうぞ、と私はいいます。
 ですから、もろもろのそのような現場での動きというものは、排除できない環境もあるわけで、それをそのまま受け入れてしまう方が気分が楽なワケです。ですから、私は釣れていることが見られていて、ボートが寄ってくるということが、一種の「有名税」であると思うようにしているのです。
 その場合の対処法のメインは@のその場所から逃げ出す、というものです。数年前からその方法をメインにしていますが、問題は、逃げ出した移動先でいままでのように「入れ食い」が「再現」できるのか、ということなのです。ですから、逃げ出すことにとても「勇気」がいるのです。
 はじめのうちは、当るも八卦当らぬも八卦という感じで、誰も釣っていないエリアへいって釣っていたものです。それが怪我の功名というもので、あちらこちらの釣り場の「底」の状態がだんだんと「見えるように」なってきましたので、最近では、ABCDEなどと、移動先のポジションをいくつも用意しておく余裕ができるようになりました。これこそが「キャリアを積んだ」というものでしょう。
 どなたの場合でも、実力がついて、他の人たちよりも釣れている姿が見えるようになりますと、これからもまだまだ「囲まれる」という現象があることだろうと思います。ですから、そうなったら、煩わしい反面、内心では喜ぶべきことがらではないかと思えるのです。
 私が釣行の度に異なるポイントで釣りをしているということの隠された意味の一つがそのことと関係しているといっても過言ではありません。
2009年12月6日(日)
その25. 節約も良し悪し
2009.12.6
 釣りのやり方というものは、十人十色で千差万別と言っていいくらいに、「型」とか「スタイル」とかいうものがありますので、これから私が書く事もそれを含んで、そんなものか、ということで読んでいただければいいと思います。
 11月からの深場の落ちハゼ釣りの私の「スタイル」は、@置ザオA投げ釣りBタイム釣り(3〜4分で聞きアワセ)CローテーションDハリを呑ませて釣る、というものです。
 この釣りは、私が恐らく最初にはじめたものだろうと思っています。もしも、先人がおられましたらご容赦いただきたいと思います。
 この釣法は、少なくとも、@江戸川Aボート釣りBリール釣りC500尾目標D深場で300尾目標というものを実現するために到達した釣法であることに間違いがありません。とくに、CとDについては私が草分けだったのですから。
 つい最近のことですが、お客さんが持っていくエサパックの数を見ていますと、少ない方は1パック、多い人でも大体が2パックです。常連さんで数を釣りたい人は3パックとか4パックとかになります。1パック500円ですから4パックであればエサだけで2000円になります。
 1パック500円のエサで15〜20pの落ちハゼを20尾釣ったとします。
 問題は20尾釣るのに一日かかる人であれば1パックで一日釣れることになります。深場で一日に20尾釣る人といいますと、いまの江戸川では特別に上手な人とはいえないかと思います。このブログを読んでいる人の中には、自分はもっと釣る、という方が多いかと思います。
 それではもっと上手な人で、20尾を1時間で釣る人がいたとします。ということは7時間釣ると、食いがいい時間ばかりではありませんし、移動したらペースが落ちるということもありますので、おおよそ、100尾前後を釣るということになりますが、この釣果は深場での船宿での竿頭の釣果に匹敵する数字です。そのような人の場合には100÷20=5パックのエサが必要でしょう。2500円ということです。
 私は、落ちハゼ釣りではエサを豊富に使うようにしています。つまり、少なくとも5cm前後の長さにエサ付けをします。
 誤解のないように申上げておきますが、エサつけの長さとか太さとかいうものは「釣法」によって基本的に違いがありますので、「鈴木の釣り方」でのエサつけとご理解いただきたいのです。
 もしも、どなたかが11月過ぎの江戸川の深場での落ちハゼをリールでボートで釣るときに仮に300尾という目標を持ったとします。どのような釣法ではじめてもいいと思うのですが、その目標を実現するために結果としてその人がたどりつくであろう釣法というものに、私はとても興味があるのです。
 そのときにエサつけのサイズというものがとても重要なテーマになると思うのです。このことは@釣りのコストAより釣りたい欲求、との葛藤だと思うのです。
 エサ代を抑えてよりたくさんのハゼを釣るということは釣り師にとってのひとつのテーマでもあると思います。
 ここに、エサを節約して使うという観念が生まれます。では具体的に深場での落ちハゼ釣りのときに、エサを何cmに付ければハゼが「よりたくさん」釣れるのかということです。このことは1尾釣れたあとにすぐまた1尾釣れたというペースのハナシではありません。
そういうペースではないのです。そういうペースですとせいぜい一日で100〜150尾で終ってしまいます。もちろん、ハゼの魚影がそこそこにあるという前提ですが、ハゼが少ないところでとか、そのような最終盤の季節では仕方がないということもあります。
 私の希望としては、釣れて「くれる」ハゼだけでなく、その周辺にいるハゼもが食いが立つという状況を作り出したいわけです。
 釣れてくれたハゼだけを釣ってしまってそれでよい、という釣りであればエサの大きさは2pでも3pでもいいのです。ハゼの口元へエサが届きさえすれば、それを動かしてやりさえすれば(誘いという)、ハゼは食いつくでしょう。この釣り方をする釣りは現代では「乗合船」でのエンジン流しのハゼ釣りです。
 乗合船の場合には船頭さんがどんなに上手に操船しても「絶対に」ピンポイントで、いま底にいるハゼの真上に船が何十秒も何分も留まってはいないわけです。釣り人はだいたいが真下に仕掛けを落し、誘いをかけて釣りますから、仕掛けが落ちた場所にたまたまいるハゼを釣ればいいわけです。ハゼがいなければそれまでです。とはいってもハゼが近づいてきてくれなくてもいいわけで、それがエンジン流しの利点でもあるのですが,釣り人は座ったままで自動的にハゼのいる場所に船が運んでくれますので、ただひたすら船下を小突いてハゼの前に自分の仕掛けがきてくれることを願うわけです。それがエンジン流しの乗合船のハゼ釣りです。ですから、釣れたらそれは船頭さんのウデがいいせいで、釣れないときは釣り人がヘタだという言葉があるくらいです。
 このような釣りのときは、ハゼを寄せて釣るとか、エサのエキスを振りまいて活性化させるとかのテクニックは必要ありませんし、ましてや、エサ付けの大きさは大き過ぎないほうがいいわけです。先っぽだけを食い千切ってオワリということにもなりかねないからです。
 乗合船の場合でも、アンカー釣り(かかり釣り)の場合は全然違う釣りになります。もうその理由はおわかりになったと思います。
 江戸川の落ちハゼのボート釣りは、少なくとも「アンカー釣り」であるわけですから、@ハゼを寄せて釣るAハゼを活性化させて釣るということを私はいつも心掛けているのです。乗合船とは全く違うわけです。それには「コマセ」をまくという考え方を持つことがとても大事だと思うのです。
 ですから、そこにいる1尾だけを「必殺のアワセ」で釣ってしまって「快感を覚える」という釣りであれば別ですが,ある程度の頭抜けた釣果を望む場合とか、自分の限界に挑戦しようというときには、「釣れてくれたハゼ」以外の周辺のハゼの食い気が立ってほしいわけです。これは私の「願い」でもあるわけです。
 ボートの上からコマセをまいてもそれは不可能ですし、そのような魚種でもありませんから、それは、エサの大きさで勝負するわけです。ハゼの口からはみ出すほどの大きさにエサをつけてやれば、食いついて暴れたハゼの口から千切れたエサがシャワーのように噴出するでしょう。それがコマセになるのです。
 また、置ザオ時間を3〜5分としているのはそのようにハゼにたくさん暴れて欲しいのだし、周辺のハゼを呼び寄せたいからです。
 よく仕掛けがハゼのために絡まって仕方がないと嘆く人がおられます。ほぐすのが大変だと。そのために置ザオ時間を短くしたりするのです。それは逆です。本当は仕掛けがハゼのためにグチャグチャに絡まって上がってきたら「喜ぶべきこと」なのです。せっかく仕掛けが絡まってしまうほどハゼが暴れてくれているわけですから、エサのエキスは周辺に散らかっているわけです。周りのハゼが活性化しているはずなのです。それを逆に待ち時間を短縮していきますとだんだんと釣れなくなってしまうのです。このことは経験的にもそのような現象が見られます。
 コンスタントに釣れる時間を持続させるためにはエサを大きくつけて、置ザオ時間を長くして、3本バリで最低2尾できれば3尾を釣るというのが私の釣りなのです。ですから、食いが立ちますと3尾釣りの連発が続くのです。
 もちろん、それを可能にするためには釣れた場所付近に正確なキャスティングを繰り返す必要があります。このことについては別の機会に書けると思います。
 11月からの深場の落ちハゼ釣りで、節約し過ぎないほうがいいものは@エサA交換用の仕掛けB置ザオの待ち時間といえると思います。のんびりと釣っているようですが、この方が釣果は伸びるのです。私の7本ザオ釣法はせっかちな私の性格を補助するためのものなのです。
2009年12月1日(火)
その24. 2009年11月のハゼ釣り実績
2009.12.1
 11月のリール釣りは、行徳港内の深場の落ちハゼ釣り321、301、282、282、190、419、215、298という釣果で、川中での釣りが一回439というものでした。釣行9回、釣果2747尾、平均305尾/回でした。いずれも順調に釣ったと思っています。190というのはサンケイスポーツ新聞の取材のための半日釣り、川中の439というのは北東風が強くて深場を断念した結果でした。
 行徳港内の深場でこのように順調に釣れ続くのは2004年(平成16)から5年ぶりのことです。この年は港内の深場で447尾という自己新記録が作れた年でした。2009.11.22の419尾はそれに続く第二位の記録になりました。
 2005〜2008年までは毎年のようにアオシオが繰り返されて、河口方面は、より被害が深刻で、とくに港内の深場は慢性的な貧酸素状態で、11月になってもハゼの魚影はほとんどありませんでした。
 それに比べて本年は小規模なアオシオが繰り返されるということもなく、大規模なものもなく、江戸川放水路内はよい状態が続いてきました。このようであれば落ちハゼは間違いなく釣れるわけです。ハゼが深場から「逃げ出さない」からです。
 例年の11月のリール釣り釣果は次の通りです。442などの下線は江戸川放水路の川中。
1989年 221、223、156、128、197、79
1990年 115、86、77、83、117
1991年 0
1992年 116、45、43、77、110、108
1993年 219、220、
1994年 釣行実績なし
1995年 324
1996年 218、153
1997年 釣行実績なし
1998年 140、74、78
1999年 54、70
2000年 76、112、80、57、43
2001年 釣行実績なし
2002年 釣行実績なし
2003年 108、144、114、127、117
2004年 447、442、381、336、400、330
2005年 230、38、62、71、26、127
2006年 206、206、105、163
2007年 302、244、477、384、518、265、
2008年 125、84、47、4
2009年 321、301、282、439、282、190、419、215、298
 リール釣り実績のない空白の年は、他の釣りをしていたとか、ミャク釣りをしていたとか、アオシオ発生が頻繁で港内でのリール釣りのチャンスがなかった年になります。
 2008年と2007年は行徳港内がアオシオの影響で安定しませんでしたので川中のハゼを釣っていました。2006年と2005年はやはり小刻みなアオシオが何回か発生していたので行徳港内のハゼは数が少なかったと思っています。
 このようにアオシオさえなければハゼは豊漁が期待できるわけです。
 現在のところ、アオシオ発生の危惧は確率が低くなっているものと思いますので、12月中旬まで深場での落ちハゼ釣りが続くものと思われます。
 今年は、2004年の落ちハゼ釣果には及びませんが、豊漁の年に数えてもよいと思います。
2009年11月24日(火)
その23. 夢を見ること〜夢の中に居ること
2009.11.24
 私がボートのリール釣りで500尾を釣ってみたいと思ってから、しばらくの間はそれまでと大差はない釣果でした。このことは釣技の進歩がなかったことが原因ですが、いまいち、イメージというものを持っていなかったことが最大の原因だったのでした。
 イメージを夢想とかいってもいいと思うのですが,私は「夢をみる」と言っています。夢を「持つ」ということとはまったく違うと思っています。
 それに気付いたのはミャク釣りで1000尾を釣ろうと思ったときのことを思い出したからでした。
 それからは、リール釣りで一日に500尾を釣っている「姿」あるいは「作業の様子」をイメージしたのでした。それを私はイメージトレーニングと呼んでいます。
 どれだけのペースで釣り続けたら一日500尾をリールで釣れるのか、考えたのでした。
 究極のところ、それは結局「夢」であるわけですが、それを現実化するということが、実釣での課題であったわけです。
 リール釣りで500尾を一日で釣るためには、「ひっきりなし」に5本なりのサオでハゼを2尾とか3尾とか釣り上げる必要があります。
 そこで私の「願望」としては、次のような具体的な願望を持ったのでした。
 エサをつけてキャスティングして、しばらくして、そのサオを上げたときに「必ず」釣れていて欲しいという願望です。しかも「キャスティングの度にそれを現実化する」という願望です。
 このことはとても難しい課題だったと思っています。普通には「馬鹿げている」願望だと思うのです。
 具体的に説明しますと、リール釣りでの手順は@エサつけAキャスティングB置ザオC聞きアワセD空振りE誘いF置ザオG聞きアワセH釣れたので取り込み、という過程だと思うのです。これが一般的な動作です。食い渋りのときは1回のキャスティングでDEFGの手順が1回だけでなく2回とか3回とか繰り返されるのです。はなはだしいときは、ボート際まで仕掛けが戻ってきて、本当の空振りのこともあるわけです。
 私の「願望」は、前述のD〜Gまでの手順をすべて省略してしまって、@ABCとHだけの動作にできないものだろうか、というものでした。
 これは口で言うよりも難しいテーマであって、しかも、「番度にすべてのサオでそれを現出しよう」というものでした。
 それでも、たまにはD〜Gまでの手順が必要のない最初の聞きアワセで釣れるということが、どなたの場合でもあるわけですが、それはあくまでも「ラッキー」なのであって、狙って必然的にそうなったということではないことが大部分であるわけです。気持としてはそうなって欲しいと思っていると思うのですが,それが必然的にそうなって来るという願望を実現するという過程が薄いとかないとかということなのです。
 私の場合は、リール釣りで一日に500尾を釣るためには、どうしても、連続的に、終日を通じて「エサをつけた、投げた、置ザオにした、聞きアワセをしたらダブルなどで釣れた」という状況を5本なり7本なりの「サオすべてに実現したい」と思ってトレーニングをしたわけです。
 最初のうちは、ある日にはそのことが実現できて500尾オーバーできたのですが,別の日にはそれができなかった、という繰り返しでした。
 このことは「再現性」と私は名付けているのですが、一度経験した一日に500尾をリールで釣ったということを、別の日の異なった条件の釣り場環境の中で、再現ができなかったということです。
 これはミャク釣りで1000尾を釣ったときも同様だったわけでした。ですから「いつ釣行しても1000尾釣れる時季でさえあれば、いつでも当たり前のように1000尾を釣れる実力を会得する」というテーマを実現するために釣りをしてきていたわけです。このことが実際には1000尾釣りの連続記録という形で現実となっているのです。
 これをリール釣りに当てはめますと、9〜10月の江戸川の川内でのリール釣りでは、いつでも当たり前のように500尾を釣れる実力を会得する、ということであり、11〜12月の行徳港内の深場の釣りでは、いつでも当たり前のように200〜300尾を釣れる実力を会得するということになると思うのです。
 これらの「夢」を現実にするには、どうしても、エサつけ、キャスティング、置ザオ、聞きアワセしたら釣れた、というワン、ツウ、スリー、フォーというテンポの繰り返しを作り出す必要性があったと思うのです。
 この15年間のリール釣りでの努力は、すべて、以上の課題をマスターすることに費やされたといってもいいと思います。
 そのおかげとでも言いましょうか、近年では、ごく普通の魚影のシーズンでさえあれば、いつ釣行しても,当たり前のように、川内では500尾以上を、深場の港内では200尾以上をコンスタントに釣ることができるようになったのです。
 もちろん、釣り場の環境は天候その他の日程に左右されますので、釣りたくても釣ることがかなわなかったという不可抗力的条件の日があって、私の手帳の数字だけを見れば、目標に届いていない日も多々ありますが、それらのことは脇に置いておくとして、近年での私のリール釣り釣果は目覚しいものがあると思っています。
 このようなリール釣り釣果の体験を通じて、私は「夢をみる」ということがどれほど大事なことなのか実感しています。夢をみるということは、夢の中に自分を置くということであると思いますので、そのことは同時に私自身が「夢中に居る」ということだと思うのです。
 ハゼと勝負する、という気持が、私を「夢中に居させて」、イメージトレーニングを繰り返すことによって、ハゼの間断のない入れ食い状態を現実化することができた原動力だと思うのです。
2009年11月20日(金)
その22. ボートからの投げ釣り
2009.11.20
 ボートでのハゼ釣りをリールでするときに、私のリール釣りは投げ釣りを意識して釣っています。ボートからの投げ釣りというタイトルそのままの釣りであるわけです。
 そのことに集中できたのは、リール釣りで500尾を釣りたいと思ってからでした。
 昔の私は、当初は1本ザオでキャスティングして誘いをかけてアタリをとって釣るというスタイルでした。これはこれで伝統的な技術があると思うのです。
 しかし、いかんせん、リールで一日に500という釣果を狙うには1本ザオでは無理でした。
 そこでサオ数を三本に増やしましたが、釣り方そのものはチョイ投げしての単なる置ザオで目新しいこともなかったのでした。探り釣りか置ザオの釣りか、どっちつかずの釣りをしていたと思っています。それも、せいぜい、ボートの周囲数mの範囲での釣りでした。
 ですからサオを5本に増やしました。1本当たり一日20尾ならば5本なら100尾という計算です。これは単にサオを増やしただけで技術的には何の進歩もありませんでした。
 気がついたことは、3本であろうと5本であろうとチョイ投げで釣っていますと、ボート周囲のハゼは限りがありますので、移動回数が多くなることでした。
 ミャク釣りと違ってリール釣りの場合の移動は時間がかかるのです。回数が多いほどロス時間が多くなります。
 そこで、移動回数を少なくするために、遠投することにしたのです。目標はおよそ50mです。これは相当な距離です。陸っぱりでさえ下手に投げれば50mほどしか飛びません。それをボートから50mです。
 そのためにサオは、2.1、2.4、2.7、3.0、3.3、3.6、4.5、5.4、6.3mと各種のサオで試してみました。長いサオほど遠くへ飛びます。ところが長いサオは飛びますが、逆にそのことが手返し時間に跳ね返りました。巻き取る時間は我慢できますが、サオの重さと長さとで扱い時間が少しずつ長いのです。
 短いサオはそれらの欠点を補ってくれて、手返しはとても速いのです。ところが欠点もあって、飛ぶ距離に不満があったのです。それともう一つ、仕掛けの長さが1mであれば問題ないのですが,1.3mという3本バリ仕掛けでは、振りかぶったときに下バリが水面に着くのです。それをピッと振り切りますとエサが水中に切れて残るのです。私は3本バリを使うのでこれには困りました。手加減すれば飛距離が出ませんし,目いっぱい投げればエサは水面に残るしというところでした。
 そのように試してみて2.7mサオでちょうどよいのでは、という結論にしていまではそれで釣っているわけです。ですから磯ザオは2.1〜6.3mまで20本以上持っているわけです。最近では私の釣りスタイルの変化もあって長ザオは書庫に眠ったままです。出番待ちというところです。
 ハゼ釣りもポイント選定がすべて、といえるほどですが、釣法も影響します。もちろん、11月の深場の落ちハゼ釣りは100尾釣れれば大漁、という釣りですが,ある程度のウデに達している人であれば、深場のボートでのリール釣りで1束という数字は可能だと思うのです。これはベテランといわれる人たちの場合です。
 ですが、私の目標は深場で100は目標ですが、願望としては、200尾釣れたら嬉しいなとか、いやひょっとして300に近づけるのではないのか、という釣りであるわけです。
 そうなりますと、各船宿さんで落ちハゼを100尾以上釣ってくる人、例えば120とか130とかですが、つまり、ベテランとか常連さんとか、名人とか、それらの船宿さんで言われている人たちの釣り方とは、一味違った釣り方をマスターする必要があるのではないのかと思ったのです。それはつまりいまから15年以上前のことでした。
 そうでなければ、仮に私の釣果が多かったとしても、それは110に対して130だとかという水準での違いにとどまってしまうと思えるのです。つまり、それはドングリの背比べということだと思うのです。
 そんなわけですから、深場で1時間に50尾という数字を私はいつも意識して釣っているわけですが,一日のうちのある特定の1時間とか1時間半とかの時間であれば、1時間に75尾が釣れたとかいうことがありますが、それが何時間も持続可能な状態というものをなかなか現出できないわけです。ですから、一日を通算すると40尾/1時間などという数字になってしまうわけです。そうであっても7時間釣っていれば300尾前後の釣果を打てるわけです。
 平均40尾/1時間であっても瞬間的な時間としては70尾/1時間とか55尾/1時間という時間が間に挟まっているわけです。そのような時間の、回数が多いほど、釣果は300尾を超えて限りなく400尾に近づけるのです。実績としては2004.11.3に深場の落ちハゼリール釣りで447尾というのが自己記録でした。2009年は10.21に深場の落ちハゼ393尾ということで、同年10.28に314尾を釣っています。以上のことは年によっての魚影の濃淡もありますし、釣った季節要因もありますので、現在のように11月後半になってからの釣果と一律に数字だけを比較することは乱暴なことだと思うのです。今年の今現在の季節で深場で最高何尾釣りたいかということで臨むわけです。私の希望は前述したように、100、200、300オーバーということです。
 これが12月になりますと、一段と食い渋りが激しくなって、水温の低下もありますが、産卵という行動があって、なかなか100尾という目標が厳しくなるわけです。
 その原因は、ハゼが口を使わなくなるということがひとつありますが、釣られてしまって絶対数が少なくなることもあります。また、いこごちの良い場所というものがあって、ハゼの選り好みが激しくなって、ハゼのかたまっている場所と、全然いない場所とかがはっきりと分かれてくるのです。
 そうなりますと、サオ数が2本の人と、4本の人とでは確率としてもいい場所を見つけるという行為に差が出てしまいます。11月後半から12月の深場の釣りはそのような傾向が強くあるということです。
 ですから、私は投げ釣りの要領をボート釣りに取り入れて遠投に心掛けているのです。しかもこれからはますます7本ザオが活躍する季節になるのです。
 最後に申し上げておきますが,7本使うから釣れる、ということは現象であって、絶対的なセオリーではないということです。要は使い方次第だということです。何とかとハサミは使い様というではありませんか。ですから技術的なこなれ方がそれほどではない人が7本使ってもそれほどの釣果の上積みがないのであって、例えば4本のときより10〜20%釣果が増えたということはあったとしても、そういう程度だと思えるのです。逆に、かなりなレベルの人であれば3本でも4本であっても、幸運に恵まれさえすれば、200とか250とかの釣果が打てるのだと思うのです。
 少なくても、私は500尾という数字を意識してからというもの、投げ釣りのテクをボート釣りに取り入れて積極的に多用して、すでに15年になりますが、水深1〜3mの浅場であっても,水深が5〜8mの深場であっても,みるべき成果がでているものと思うのです。
 そのほかにもリール釣りでの私の願望があるのですが、それは、他の人が思いも寄らない願望であるわけですが、それの実現のためにただひたすらリール釣りをしてきたということがあるのです。そのことがある程度の確率で実現できてきたことこそが、リール釣りで川中で500とか800とかであり、深場で447とか393とかの釣果であらわれているのです。そのことは次の回に取っておいて書いてみたいと思っています。
2009年11月15日(日)
その21. たくさん釣るなんて「お品」が悪いというハナシ
2009.11.15
 表題のような言葉に私は15年前ほどまでは随分と惑わされもし気も使いました。
 いまではなんとも思わなくなりましたが、はじめは「非難」されている気がして嫌なものでした。
 一時期は、釣果が少ない人たちが負け惜しみでそのようなことをいっているのだと思ったこともありました。
 それと、釣り過ぎで環境破壊をしているという人もおられました。
 いろいろとあるわけですが、そのように他人の釣りを「批判」したり、「非難」したり、「あげ足を取ったり」というグループ以外の人で、稀に、はじめから釣果は度外視して釣りをする人たちがおられます。
 その人たちでも,家族連れで来る方たちのように、釣りたくても釣れないとか、時間に制約があるとか、食べきれないからとか等々の事情の方たちがおられます。
 残った方たちは、技術的にも年季が入っていて、年齢も相応で、経済的にも豊かで,道具も和竿など年輪と優雅な趣味や心得を感じさせるもので、道具を楽しんだり,風景を楽しんだり,ハゼをハリにかける釣り趣を楽しんだりという方たちです。
 私も昔は和竿を買ったりしてミャク釣りでハゼ釣りをしていましたので、これは他の釣りも同様でマブナやヤマベとかヤマメ、ハヤ釣りなどの和竿も買い揃えた時期もありましたが,それらのサオはいまでは書庫に眠っているわけです。
「お品」が悪いといわれるような釣りにのめり込んだのは、やはり性格もあるのでしょうが,年齢が若かったこともあって、また、そのような「旦那の釣り」と私はいうのですが、旦那の釣りをするような方たちとの出会いのチャンスが少なかったということが影響しているのだと思うのです。どちらかというと、経済的には恵まれない時代が長かったわけですので、どうしても道具などにも資金を回せなかったわけですし、精神的にもそのような余裕がなかったのです。そのような環境というものは釣りにも自然に現れて、どうしても他の釣り人よりは多く釣りたいという気持になったのです。
 それとやはりハゼ釣りを再開できたということがきっかけでもあるのです。20年前でさえも,数釣りができる釣りというものは、タナゴは衰退し、ヤマベ(ハエ)釣りとか、ワカサギ釣りとかに限定されてきていました。ヤマベ釣りでは一日に1000尾釣り上げる技術が開発されたこともあり、タナゴやワカサギでも数釣りは盛んでした。
 私は地元の釣り師でしたから、ハゼ釣りに回帰したときに一日に500尾はいつも釣れていましたので、これを1000尾にできないものかと思って挑戦してみたのです。そのことが「旦那の釣り」から遠ざかる直接の原因だったと思っています。それまでは和竿を使っていたのでしたから。
 やはり目標を持ちますと、いろいろと、道具にしても体力にしても、無駄を削ぎ取って行くという過程が必要になります。和竿をお蔵入りにした最大の問題は重量でした。次に手入れでした。
 やはり釣りを「高尚な趣味」とするのか、それとも「スポーツフィッシング」とするかでかなり対応が違ってくると思っています。私の場合はどちらかというと後者であって、釣りそのものといいますか、魚と勝負する、という感覚が強かったのです。やっぱり「いたか」という感じです。「してやったり」とも言えます。
 マブナ、レンギョ、ヘラ、ボラ、渓流釣り、ハゼ、カレイ、イシモチ、シロギス、メバル,フグ、イイダコ、カワハギなど東京湾の釣りも師匠に仕込まれたこともあって、釣り方そのものは「過激」だったと思っています。並んで釣っていて、アタリを指摘されて叱責されたこともあったのでした。
 いまの私の釣り物はハゼとヘラに絞って釣りをしています。そのような歳になったのだし、ハゼとヘラにもっとのめりこんでもいいのかなと思うからです。
 幅広く手を広げていろいろな魚種の釣りを経験することは、とくに、若いうちは必要だと思っています。若さでそこそこに上手になることはできます。私はそれだけでは満足できませんでしたので、60歳を過ぎてからはとくに釣り物を絞ったのでした。これは生活環境の変化にも関係があったのでした。
「旦那の釣り」に進めなかったのは私の「運命」だったのだろうと思っています。
 ですからいまでは「たくさん釣るなんてお品が悪い」とハナシを聞かされても「平然と」していられる「歳」になったのだと思えるのです。
2009年10月31日(土)
その20. 2009年10月のハゼ釣り実績
2009.10.31
 10月のリール釣りは@江戸川放水路内での秋ハゼ釣り、550、534、893、839、A行徳港内の深場の落ちハゼ釣り、393、314という釣果でした。いずれも順調に釣ったと思っています。
 特に10/13の893尾はリール釣りでの過去最高釣果でした。9/24の858尾、10/16の839尾、9/28の833尾とともに800尾オーバーが4回もありました。過去になかったことでした。
 行徳港内の落ちハゼ釣りは例年よりも早いでだしで釣りましたが,大方の予想に反してとてもよく釣れました。今後はアオシオ被害がなければ順調に推移するものと思われます。
 例年の10月のリール釣り釣果は次の通りです。下線は500尾以上、113などは深場の落ちハゼの釣果です。
1989年 195、262、115
1992年 219、274、206、199、208、169、164、147
1994年 93
1995年 137、390、402、354
1996年 312、
1997年 377、478、373、300
1998年 155、113、113、
1999年 105、96、76、154、137、
2000年 123、177、107、106、185、92、63、
2003年 579、449、623、405、546、349、
2004年 438、272、113
2005年 550、739、604、520、470、204
2006年 501、104、317、268、231、146、150、
2007年 635、588、525272
2008年 111、61、64、328
2009年 550、534、893、839393、314
 リール釣り実績のない空白の年は、他の釣りをしていたとか、ミャク釣りをしていたとか、その他の理由でリール釣りのチャンスがなかった年になります。
 昨年はご存知のように8/23以降のアオシオでハゼの大量死があり、釣りそのものができませんでした。リール釣りは東西線鉄橋から上流域での釣果です。中流下流は釣れませんでした。塩浜沖の海で釣りをしていましたが私は不参加にしていました。
 9月もそうでしたが、10月も釣果は頭抜けて多かったと思いました。2003年と2005年を上回っています。
 深場については魚影の濃淡といつまで釣れ続くのかということがありますので今後のことは未知数ですが、放水路内での秋ハゼのリール釣りについては、ひとつの到達点を示していると思っています。来シーズンもこのような釣果が打てるかはよくわかりません。
 記録というものは「作れるときに作っておく」ということが大切だとつくづく思っています。
2009年10月26日(月)
その19. キジエサ
2009.10.26
 いまでは私はハゼ釣りに「キジ」エサは使わなくなりましたが、昔はよく使っていました。昔というのは、いまから15年以上前になるでしょうか、それほどの昔です.
 やはり水温が下がってきますと、どうしてもハゼの食いが悪いわけです。食いが悪い「状態」というのは、いろいろとあると思うのですが,どうしてもハゼがそこにいてもなかな食いつかないわけです。
 ところがアオイソメエサは千切って使いますから、エキスはバラ撒かれるとしても、どうしてもハリに付けたエサが「動く」ということが少ないわけです。それはたまたま尻尾の部分をつけたとかしてしばらくは水の中で動いていたとかありますが、どうしてもアオイソではエサそのものが動くということが少ないわけです.
 その点、キジエサは大体が一匹丸々ハリに付けますから、とぐろを巻くようにして動きます。やはりこの動くということがハゼに対してはとてもよいアクションになっているのだと思うのです.
 11月の季節の深場の落ちハゼ釣りの季節になりますと、キジエサを例えば10箱とか15箱とかの単位で買い込んで持っていったわけです。なぜそうなるのかといいますと,キジの場合はどうしても一回投入しますとそれが空振りだったりしますと、2回目の投入の時にはキジがグッタリとしていることが多いわけです。つまり、海水には弱いのです。ですからどうしても小さ目のキジを追い足しして投入するのです。
 このことはアオイソでも同じです。エキスが出てしまったようなものでは食いが悪いので追い足しをします。
 ただ、キジの場合はアオイソのように何回か使いまわしをするという点ではアオイソに及ばないわけです。ですが、アオイソにはない「必殺」のとぐろ巻きがあるわけです。一長一短であるわけですが,私が近年ではキジエサを使わなくなった最大の理由が「リール釣りで一日に500尾」という目標を鮮明にしてチャレンジするようになってからでした。それがすでに15年になろうとしてるわけです。
 エサというものは使い勝手というのがとても大切だと思っています。その使い勝手というものは、チャレンジする釣果目標も影響を与えていると思うのです。
 おかげさまで、私の場合にはアオイソを使い慣れてきましたので,11月とか12月になってさえも,アオイソで釣っているのです。キジを使えばいい場面というのがあるのですが「意地をはる」わけではないのですが、習慣的にアオイソで通してしまうのです。
 やはりキジエサを使うタイプの釣りというものは、リールザオ1本で誘ってアタリをとって釣る、という形の釣りというものにわりと使いやすいエサなのかとも思うのです。このことは私自身の過去の経験から言えると思うのです。
 ですからアオイソとかキジエサとか二つのエサを使う場合の選択というものは、ご自身の釣法とも密接に関係してくると思うのです。置ザオなのかサビクのかということです。1本なのか数本なのかともいえます。数本出す場合はエサ代のコストも関係します。キジエサの方がたくさん必要なはずです。これは釣果の目標設定にもよりますから一概にコストだけでは結論が出せないこともあると思います。
 要は満足の釣りを自分がする場合のエサの選択基準をどこに置くかということだと思います。
2009年10月18日(日)
その18. リールザオの準備
2009.10.18
 ハゼのリール釣りの季節になりますと、私の道具を見て、みなさんは「ギョッ」とします。エーッという表情です。次にフーッとため息をつきます。
 それは私のリールザオの本数を見て、そうなるのですが、もっとそれに輪を掛けて驚くのは、7本のリールザオすべてにリールをセットしてあることです。
 私は釣りも「段取りがすべて」という認識でいますので,何よりも、時間というものを大事にしているつもりです。
 何の時間かといいますと、いつも思うのですが,「エサをつけてハゼの目の前に仕掛けを入れておかなければハゼは絶対に釣れない」のだという信念です。
 ですから、ボートの上で釣り支度をしている時間というものは、極力少なくしたいわけです。支度の時間は私にとっては「無駄な」時間の範疇に入るのです。でもゼロにはできないので極力時間短縮に務めています。
 リール釣りでハゼを一日で500尾釣ってみたいという「願い」を持ってからというものは、特にそうだったのですが、ボートのアンカーを入れてから、サオにリールをセットする、ラインを通す、サオを伸ばす、テンビンを結ぶ、そこへオモリを付ける、仕掛けをテンビンにつける、エサをつける、キャスティングする、という行程をサオ数だけするわけですが、その準備の時間がとても惜しかったわけです。
 そうではないのでしょうか。だってボートで釣りポイントにきているわけです。釣り可能時間は船宿によって多少は違いますが,「最大で」10時間とか、9時間とか、の時間があるわけです。それなのにタックルの準備の時間がボートの上で30分かかるとか、いや、40分だとか、ということは、つまり、釣りをしていない時間があるわけです。
 やはり釣果というものは一日で何尾というものですから、それを時間単位にして時速何尾というものだと思いますから、仕掛けがハゼの目の前に落ちていない時間というものもカウントされているのです。
 そういうことをつらつら考えますと、これはもう出だしの時間というものが一日の釣果を左右するものだということに気がついたわけです。
 そこで私は釣行日の前日までに次のようなセットを完了します。@リールザオにリールをセットするAラインを金具に通すBテンビンにその日に使う重さのオモリをセットしておくCそれにラインを結ぶDテンビンをサオ先近くまで巻き上げるEリールザオのキャップをかぶせてテンビンと一緒に絞めるF使う予定の本数すべてに同様のセットをするG予備ザオを含めてすべてのサオを一絡げにする。
 これをボートへ持ち込んでボート内での位置が確定したら@エサを小分けして濡れタオルへ出してくるんでおくA用意したサオを目の前にザッと並べるBキャップをはずしてサオを伸ばして仕掛けをセットするCエサを付けるDキャスティングして置ザオにするD次のサオに移る、という繰り返しになります。
 このような方法を採用してからは5本であろうと7本であろうとあっという間にキャスティングが完了します。
 私のリール釣りは、昔はともかくとして現在では置ザオのクワセ釣りです。別の言い方をすれば「タイム釣り」という釣り方です。ハゼを釣った状態から言いますと、ハリを呑ませて釣るという釣り方です。
 別の面から言いますと、キャスティングして仕掛けが着底したら、その直後に食いついて欲しい、あるいは、中間で聞きアワセしたときに釣れていて欲しい、誘いをすることなくキャスティングして置ザオにした状態でそれだけで釣れて欲しい、という釣りであるわけです。
 このことはリールザオの準備と直接の関係はないのですが,聞きアワセをしたら釣れていないので誘いをかけてまた置ザオにする,という行程を「省略」したいわけです。
 このような虫のよい考えというものは罰当たりではないのかということもあると思いますが,反面、これは相当高度のテクニックが要求されることでもあると思うのです。
 ばんたびに、キャスティングしたそのままで必ず釣れてくるという状況を作り出すということが「技術」のひとつでもあると思うのです。少なくとも私はそのように考えているのです。これが可能になりますと、投げた、釣れた、投げた、釣れた、としか周囲の人には見えないのですから、なぜ、そのようにばんたびに2尾とか3尾とかが釣れてくるのか不思議なのです。
 500尾という数字を意識してからというものは、そのようなことを実現するための日々だったと思っているのです。やはり、リール釣りで一日に500尾超とか800尾とかの釣果を打ちますと、どうしても今申上げてきたようなテクニックを身につけませんと「大台」という釣果に到達できないわけです。このことは私の個人的な経験からの言であるのですから、人によってはそうでなくても釣れたよということが将来は起こるかもしれませんが、今の時点では私にはそのように思えるのです。
 ですから、リール釣りをしているとき、しようとしているとき、などに事前にいろいろな準備をしておいて、仕掛けが投入されている、という時間をできうるかぎり最長時間確保したいと思っているのです。
 リールザオの事前準備の方法というものもその一環であるわけです。ですから、釣りというものも仕事と同じであって、段取りがすべて、という言葉で表現できると思うのです。段取りがきちっと出来さえすれば、半分は釣れたようなものです。ハゼを釣るための動作すべてについて周到な準備ができていて、「無駄」と思われる時間が少ないということだと思っています。
 以上のことはハゼ釣りにくるすべての人に求められる準備ではありませんが,少なくとも,ある程度の数つりにチャレンジしようという意識のある人にとっては参考になることではないのかと思うのです。
 私のリールザオの準備を見てギョッとしているようではまだまだ「甘い」といえると思えるのです。
2009年10月9日(金)
その17. 水中遊泳と軟着陸2
2009.10.9
 これから述べることは@9月から10月いっぱいまでの季節のリール釣りであることA江戸川放水路本流内でのリール釣りであること、以上の2点を前提条件としてのお話です。
ですから、水深が6mとか8mとかの深場での釣りのことではありません。とはいっても、これから述べることを大いに応用することは間違いがありません。
 前述の@とAの条件を満たす場合の釣りというものは、比較的「魚影が濃い」季節でもあり、場所でもあるわけです。
 ですから、リール釣りであっても、私の基本的な考え方としては、オモリが着底して仕掛けがゆるゆると川底へ落ちた時にハゼに食いついてもらいたい、そうなって欲しいという願望をこめた釣りであるのです。
 釣行のたびに掲載している日誌でもよく書きますが私の9月10月のリール釣りの基本は次ぎの通りです。
@キャスティングするAオモリの着水の一瞬前にラインにストップをかけるBライン〜オモリ〜仕掛けという順序で前方へ同時に着水を確認(絡み防止)Cラインを止めたまま着底を待つ(ラインが手前へ引き寄せられて仕掛けが水中遊泳する)D着底までの時間をカウントする(水深を調査)Eオモリの着底を確認F直ちに糸ふけをとるためにリールを巻くGかつ、仕掛けをその長さ分だけズルズルと手前へ引く(絡み防止と最初の誘い)Hそのまま置ザオにする(ゆっくりと呑み込むまで食わせる時間)○102〜3分後に聞きアワセをする○11釣れていたら取り込む○12釣れていなくてもリールを巻いてエサを確認して再キャスティングする(誘いの作業を拒否、キャスティング重視)というものです。
 なお、潮が効いていて流れがすごく速いときは、流れに対して直角に投げた時とか潮下へ投げた時はGの作業を省略しています。その必要がないからです。横着するわけです。
 9月10月という季節は、水深が2〜3mのポイントではミャク釣りで1000尾が釣れるようなハゼの群れ具合ではないわけですが,それでもかなりの密度でハゼがいるわけです。ボートの周辺に例えば300尾くらいはゆうにいる、というわけです。実際にはもっと魚影は濃いのですが、範囲が広いですからポツポツポッという具合に散らばっていて、密度の濃い場所と薄い場所が入り交じって点在していると思えるのです。ですからリールで投げてどこにいるのか探すわけですが,最初のキャスティングで当るも八卦当らぬも八卦という賭けが結構な確率で的中するというのが9月10月の季節なのです。
 ですから私のそのような体験から来ている釣りというものは、どうしても、最初のキャスティングでハゼに食わせたいという釣りになります。聞きアワセしたら空振りでした,という釣りはしたくない、ということです。
 ただ、聞きアワセしたら空振りだったから誘って置ザオにするということが間違っているということでは決してありません。そのようにして釣れるということが多いからです。そのような事を私もすることがありますが,それは置ザオにしてから聞きアワセまでの時間が比較的短い場合にそうしています。つまりハゼが食いつくヒマがなかったかもしれないからです。ある程度の時間を置ザオしたときは「エサがなくなっている」「食われてしまった」「ハリにかからなかった」ということを想定して即座に巻き取ります。エサを点検して再投入するわけです。その方が「当る」確立が高いからです。それにどのように必中の投げをしても「同一場所」には「絶対に」投入できはしない、という「変な確信」があるのです。ですから、いま釣れなかった場所にはオモリは落ちないという気持があるわけです。ですから積極的にキャスティングします。このことが「ハゼを探す」という作業になるのです。
 このことは逆に、今釣れた場所にもオモリを落せないという心配もあるわけですから、そのように2尾掛けとか3尾掛けとかが連発する場所周辺には、比較的に効率の悪い場所を釣っているサオを寄せるわけです。そうすれば釣れる場所に投入できる確率が高くなるのです。
 私のようにキャスティング重視のリール釣りをしていますと、実質的にハゼに対してエサを水中遊泳させてハゼの食い気を誘っていることになると思うのです。これは私の想像だけのことですので、なんの実証もされたわけではありません。ただ、私のリール釣りの釣果だけがひとつの目安でもあるわけです。
 この釣り方をするためには、サオ数は最低でも3本入用ですし、待機の時間調整をするためには5本という数字が出て来ます。食いがいまいちとか、魚影がわりと薄い場所で釣りをしてしまったときなどは3本ではどうしても聞きアワセの時間が早くなってしまって、そのことが釣れない原因の一つにもなってしまうからです。9月10月の江戸川放水路本流内での水深2〜3mでのリール釣りでは私の体験から来る釣法ではサオ5本というのがいいと思うのです。
 私は実釣ではサオはいつも7本用意していって、最初は5本を出して釣り、それで十分に釣りになる場合は終日5本で釣り、もしも、ペースが保てないという状況があれば2本増やして7本で釣るということにしています。広範囲を釣れるということと、一本あたりの置ザオ時間を長くするわけです。
 このことはサオ数以外にも要素はあって、例えば、オモリを潮流に負けるギリギリのもの、例えば5号とかのものを使えば、流れの抵抗でオモリが負けてラインに引きずられますのでそれが誘いになって食いがたつわけです。そうはいってもそうすることが逆にエサの動きすぎでチャンスを逃すこともありますから一概にはそれがいいとは断言できないのです。その日のハゼの活性にもよると思います。オモリを重くした方がよかったということもあるのです。そのためにオモリは5号、6号、8号、10号と用意して放水路では釣っています。中流域では5号をメインで釣り、下流域では6号をメインで釣っています。小潮、中潮、大潮と潮をみてオモリを替えることもあります。
 リール釣りではミャク釣りのような手元での水中遊泳と軟着陸を見られないのですが,気持としてはそのような考え方で投げているわけです。いまのところ、放水路内でのリール釣りで500尾という目標はクリアできていますが,10月も中旬になりますと少しずつ厳しい設定目標になってくるのです。
 そうなる季節になりますと、聞きアワセして空振りした時にそのまままた置きザオにするということもでてきます。その場合には、最初のエサ付けを今の季節よりも長くとか大きくとかつけてエサもちをよくして釣るという方法に切り替える必要があるのです。
 そのような切り替えは、水温が20℃を下回るような季節の時が目安だと私の手帳の記録は教えてくれています
2009年9月30日(水)
その16. 2009年9月のハゼ釣り実績と今後
2009.9.30
 9月は、ミャク釣りからリール釣りへの切り替えの時季でした。
 ミャク釣りについては、1573、1191、1336、811ということで、9/14の811でミャク釣りを終了しました。私自身の所用があり、ハゼ釣りのチャンスが少なかったこともありましたが、主要な原因は下流域での魚影の薄さでした。つまり、「1000尾に挑戦する意欲が湧くだけの魚影ではない」と判断したということです。
 その後はチャンスをうかがっていて、リール釣りに切り替えました。
 リール釣りは、9/24に858、9/28に833ということで両日共に自己最高釣果に達しました。
 例年の9月のリール釣り釣果は次の通りです。
1991年 140、65
1995年 614、419、537
1997年 328、509、326、314、229
1998年 220
2000年 223
2005年 428、486
2006年 430
2009年 858、833
 リール釣り実績のない空白の年は、他の釣りをしていたとか、ミャク釣りをしていたとか、その他の理由でリール釣りのチャンスがなかった年になります。
 昨年はご存知のように8/23以降のアオシオでハゼの大量死があり、釣りそのものができませんでした。一昨年は9/3からアオシオで、9/5に台風5号が来て江戸川の水門が9/10まで開き、9/18と19、9/24と25がやはりアオシオでした。そのようなわけでミャク釣りだけでリール釣りができなかったわけです。ミャク釣りよりもわりと水深がある場所を釣るからです。
 このような記録を改めてみていますと、私がいつ頃の年度の時点でリール釣りで500尾という数字を意識したのかがよくわかるわけです。
 もちろん、釣果の変遷については、ミャク釣りの経過と同様の推移をたどっています。アップダウンが激しいわけです。
 それについては、いろいろな理由があるのですが,基本的には私の技術的な到達点が未熟であったことが主要な原因だと思うのです。いいかえれば「練れていない」ということであろうかと思います。
 また、リール釣りで500尾を狙える季節というものも、9〜10月ということで、9月は前半をミャク釣りで過ごすことが多いので,実質釣行可能実数40日あまりしかチャレンジできませんので、週一回として5回程度しか釣行しませんので、年数を重ねている割にミャク釣りと比較しても「練磨」する時間がとても少ないわけです。
 そうであったとしても、リール釣りでの大釣りを意識しての釣りというものが、どうしても私の場合は500という数字を意識しました。それもやはり10月という季節で標準をあわせているわけです。どうしても9月の500よりも10月の500の方が「厳しい」わけです。9月の方が500を目指すのにわりと「簡単」に釣れるといえます。
 それだけに、今年の9月のお彼岸過ぎのリール釣りについては過去の経験と実績からいっても「500を釣っても当たり前」という気持ちで臨んだわけです。とはいっても、昨年のアオシオの後遺症で中流域の高圧線から下手についての魚影にちょっとばかり不安がありましたので,それはミャク釣りで1000尾釣りをそのエリアでまったく今年はチャレンジが出来なかった、つまり、そのような魚影だったという事情がありましたので、不安要因としてあったわけです。
 しかし、釣ってみてその不安は取り越し苦労であって、入れ食いになったわけです。釣果はご存知の数字ですが,私の釣りがリール釣りの場合も一段と進歩したのではないのか,という感触を持ったのです。経験を積むうちに何かが一皮剥けたのではないのかというようなこのような気持ちというものは「ハゼが釣れたとき」にはいつの時点でも感ずるものではあるのです。ですから、問題はこのような感触というものを今後に持続できるか否かということこそが、本当の意味での試練であるわけです。
 10月のリール釣りは下流域での型狙いの釣りに切り替える予定ですので、6〜9月までの季節に魚影が薄くて釣りの対象になりにくかったエリアでの釣りですので、どのような釣れ具合になるのか、例年のデータがそのまま生かせるものなのかどうか、一抹の不安要因があるのですが,考えていても仕方のないことですので、日程調整がつき次第に釣行してみようと思っています。
2009年9月27日(日)
その15. 中継地点がある
2009.9.27
 お彼岸過ぎの季節になりますと、毎年のように思うことは、ハゼが下流へ移動する現象が顕著に見られる、という実感です。
 このことは、それを実証するデータというものを示すことが出来ませんし、データをとる術もないのが実状です。
 でも、例えそうだとしても、そのような現象を今年も体験することになったのです。
 7月8月の季節、そして9月の前半までは、ゴロタ、沈船周辺の浅場、それらの沖の瀬の上などで10束釣りを何回も積み重ねました。
 それが9月中旬になりますと魚影が薄くなり型も小型が多くなるということになりました。
 このことは私流に表現いたしますと「本隊がいなくなった」という言葉になるわけです。群れの中心を形成している大中のハゼが移動するわけです。残ったのは「寝ぼけて」「行きそこなった」「おいてけぼりをくった」ハゼばかりです。
 そうはいっても、そんなハゼたちでもいずれは移動するのだし,また、移動をせずにその周辺に棲みついて産卵をするとか越冬するとかのハゼも多数いるわけです。
 そのことを確信をもっていえるのは、上中どの流域でも、毎年必ずデキハゼが孵化してきますし、決まって、最上流域がもっとも早くしかも数が多いわけです。そして、上流域、中流域、下流域とデキハゼの釣れ具合が移動してくるのです。
 ですから、ハゼは「落ちる」ものだという認識は間違ってはいないのですが,「全部が落ちる」ということは「絶対に」ないと確信しているわけです。
 さて、彼岸が過ぎる季節になりますと、例年、釣り場は湾岸道路よりも下流にそのエリアを移すことが多くなります。今年も徐々にその傾向が強くなって、船宿さんによっては「営業方針」もあるのでしょうから、極端な話、「つれてもつれなくても」お客さんの要望に応えるという形で湾岸道路よりも下流へ曳船することが多くなるのです。つれてもつれなくてもということは誤解もありますので注釈をつけますが、今年の場合で言えば、例年のような「数釣り」を期待することは確率が低いと思うのです。これは昨年のアオシオの後遺症のためです。
 つれても、という意味は、全くハゼがいないということではなかったのだし、極端に数が少なくて、大勢のお客さんが押しかけて皆さんがいい思いができるという状況ではなかったので、下流域は9月の段階まで釣りの対象エリアではなかったわけです。でもハゼは少ないとしてもいたわけですから、それらのハゼは9月までは釣られませんでしたので、大きく育ったわけです。ですから、数はそれほど多くはないけれども,釣れればわりと大きなハゼが釣れる,ということになったわけです。
 そこで彼岸過ぎの今になって型狙いの釣り場として脚光を浴びて、皆さんがその辺に釣りに出ているわけです。しかし、例年の釣果を思っていきますとどうしても不満があるわけです。
 そのエリアでは、どうしても、「孵化」したものの「追加補充」が少なかったと思われますので、あとは、どうしても高圧線から上流にいたハゼが「落ちてくる」のを待つ態勢だと思えるのです。
 この、ハゼが下流へ落ちるという現象は、私に言わせれば「いっぺんに」「ドッと」何百メートルとか、1キロとかの距離をいっぺんに移動するのではなくて「あっちに寄ったり」「こっちに溜まったり」という具合に、その季節、その水温などに応じて「いこごちのよい」場所に一時的に「溜まる」とか「一時停止する」とかのエリアがどうもある様に思えるのです。
 いこごちのよい場所というのは、水温が一定しているとか、エサがわりと豊富にあるとかなどいろいろな条件があるのでしょうが、そのような現象が見られるのではないのかと言うことです。
 実際に私が9月24日に釣った場所は、高圧線下の航路ブイ脇の斜面だったのですが,この周辺の川底に彼岸頃にはかなりのハゼがいることを私のデータからは読み取れるわけです。これが10月となりますと,水温で言いますと、20℃とかいう温度になりますと,もう、この高圧線周辺のエリアには「寝ぼけて移動しそこなったハゼ」しかいなくなるという状況になるのです。
 水温の低下と北風の吹き具合で予測はできるようになったつもりで私はいるのです。
 私の場合はリール釣りであっても数釣りを優先していますので、9月下旬からのハゼは「追いかける」という釣り場選定をするわけです。本日のハゼはどのエリアに「集結しているのか」という選択方法です。
 その候補地はいくつかのパターンとして私のアタマには詰まっているのですが,現実の問題として「あしたはどこで」釣るのかという命題になりますと、不確定要素が多すぎるということもあります。ですから、ある程度の目星をつけておいて、候補ポイントをABCDほど用意しておくわけです。
 これは現実問題として釣ってみてそこに魚影が思っていたほどなかったということ以外の問題として、他宿のボートが先着しているという事実などがありますと、それらのお客さんとのバッティングを避けるという予定外の行動も加わりますので、ハゼがいるとかいないとかの問題以外にそのような考慮要件が加わりますので、候補地は四つほどはいつも用意するようにしています。
 今年も例年のように、それぞれのエリアで産卵し越冬するための残存部隊を少しずつ置き去りにして、本隊は下流域へ移動することと思います。それはハゼという種族の種の絶滅を防ぐための本能的な行動だと私は思うのです。ですから、私も,高圧線周辺で釣れる間は釣っていて、本隊がいなくなったと直感したら、一気に何百メートルかの範囲の候補地へ釣りポイントを移してハゼの本隊を追跡するという釣りをすることになるのです。産卵し越冬するための残存部隊は絶対数が少ないのですから,それは釣らないで見過してやって来年の楽しみのために残しておくわけです。
 そんなこんなで、本年の特殊要因としては、この秋は暖かいという天気情報の「ご託宣」ですので、ハゼの落ちる季節が多少は遅れるのかという期待感もありますが、いずれにしても「季節」で落ちる行動をとるものと思いますので、私の釣りポイントが湾岸道路付近へ移るのも間近に迫っているのだろうと思っているのです。
2009年9月21日(月)
その14. ハリネズミ釣法
2009.9.21
 江戸川のハゼのボート釣りで、リールでハゼ釣りをするときに、私は今ではリールザオ5本以上を使います。
 当初はやはり3本とかの釣法でしたので、5本に増やす時に抵抗感がありました。どうしても周囲を見渡してもそのようなサオ数の人はいなかったからでした。
 このことはリール釣りでは1〜3本というのが「常識」といいましょうか、暗黙のうちにそういうものだと思われていたからでした。ちなみに亡くなった私の師匠も3本ザオで釣っておられました。それは500という数字を相手にしていなかったからでした。
 私が5本という数を選んだ背景には「リール釣りで500尾を釣ってみたい」という強い思いがあったためでした。
 この目標は「とんでもない」目標で、よく「笑われた」ものでした。変わってんねえ、ということです。
 たしかに、それまでの常識からすれば「異端」の釣りでした。当初はやはり周囲の目を気にして5本というサオ数になんとなく「引け目」を感じていたことは確かでした。
 そのことは私がミャク釣りで一日1000尾を目指した時点での当初の気持と同様なものだったと思っています。
 釣果としては過去15年間で11回の500尾超の実績でした。もちろん、9月前半の季節というものが500尾以上を狙うにはベストに近い季節ではあります。水温が高いし比較的「群れ」ているからです。しかし現実には魚影が濃い年はどうしてもミャク釣りで1000尾を狙っていますのでリール釣りは10月になってからというのが例年のパターンだったわけです。
 それでも、気温や水温の低下が早いとか、魚影が薄いとかなどの年ではミャク釣りを早々と切り上げてリールにするとか,あるいは、今年のようにミャク釣りの一日当りの平均釣果の記録を狙った年などのように大釣りが厳しくなってきた時に記録を大事にするために早めにミャクを切り上げてリールにするとか、臨機応変な対応をしてきたわけです。
 2009年の場合で言えば、今年は下流域の魚影は例年のようには望めない年と思えますので、どうしても中流域から上流域でのリール釣りとなることが多いのだろうと思うのです。もちろん湾岸道路から下流域でのリール釣りも季節が遅くなるほどそのエリアへ移ると思いますが,やはり10月中はそうはならないと思うのです。
 ただ、リール釣りで一日で30尾でいいとか、100尾釣れれば上等という釣りで満足ということであれば、それはどのエリアで釣ったとしてもそれなりの釣果があると思うのです。
 問題はやはり200尾釣りたいとか、300尾釣りたいとか、私のように500尾を釣ってみたいとか,そのような「大それた」希望を持ちますと、どうしても下流域への釣行はいましばらくは「待った」をかけた状態で封印することになるわけです。その場合であっても、型狙いで50でいいとかというのであればそれはそれで型が揃いそうなエリアを釣ればいい事で、それがたまたま下流域ということにもなると思うのです。
 さて、私はどうしても今年も厳しいとしても500尾にチャレンジしようという気持ですから,それはかなりそのチャンスが少ないと思えていても、それはそれで目標として釣りをしたいわけです。漠然とリールで釣って250で終ったというような、ボーッとした釣りはしたくないのです。
 そこでどうしても5本ザオという釣りをすることになります。最近では5本のサオを「操れる」釣り人が増えたと思います。たしかに3本よりは5本のほうが確率は高いわけです。
 3本の場合は余程にハゼが密集していて魚影がすばらしく濃いという状況に恵まれれば500という数字は見えてきます。でも私の15年間の経験ではそのような魚影というものは10月とか11月になってからは遭遇できないことが多いのです。ただ一度だけ2005.10.7に739尾という記録がありましたが、そのときは5本ザオで3本バリ仕掛けで2尾掛けと1尾掛けがいくらもなかったという釣れ具合でした。
 そのようなことは年に一度あるかないか、何年かに一度あるかないかの魚影に遭遇できた時のことです。
 普通に釣っていさえすれば、300〜400尾を5本ザオで釣れるという状況というものはかなりの頻度でめぐり合ってきたわけです。1時間に30尾というペースです。
 このようなときにそれを1時間50尾平均のペースにするにはどうしたらよいのかということです。
 もちろんポイント選定が重要な要素になるわけですがそのことはさておいて、魚影がほどほどに濃いという前提での釣りということになります。
 この場合には5本のサオを扇形に片舷に転回させるか、360度の全方位にするかです。これは目星をつけたポイントによって違うと思いますが、一般的にはそのような選択があると思うのです。
 私は一応全方位という対応をとります。これは釣れる方角を早く見つけたいためにするわけです。2〜3回キャスティングすればどの方向が釣れるかわかるからです。
 そのあとは片舷とかにサオを集中して「釣れるだけ釣る」という釣りをして、食いが衰えたら別の方角へサオを集中して釣る、という方法をとっています。最初に全方位で釣れる方角を確認していますので、一部分を釣らないで置けばそのような対応が出来るわけです。
 そのように釣ったとしても釣れ具合というものはわかるわけですから、どう一生懸命に釣ってもこのペースでは400とか450で終ってしまいそう、ということが途中でわかるわけです。
 そうなりますと@頻繁に場所替えして新場所を常に攻めるAサオ数を7本に増やす、という対応をとります。
 この7本に増やすということの意味は、皆さんはなかなかご理解いただけない方法なのですが,増やした2本というものは「偵察釣り」の役目を負わせているのです。それができる前提としては、いま釣ろうとしている場所はどの程度の魚影なのかということが経験的にすでにわかっているという前提があるわけです。
 そうなりますと、どの方角にハゼがこの場所は比較的多いのかということがデータとしてアタマにあるわけですから,5本のサオはすべてその方角へキャスティングして「のっけから」入れ食いをやってしまうという対応になるのです。そうはいっても入れ食いというのは1時間に50尾以上のペースですからそれが同一方角で釣れ続くということは長時間は望めないわけです。せいぜい30分とかよくて1時間とかということになります。そのときに場所移動とかの判断が必要なのですが,今のボート位置でまだ釣っていない方角があるわけですから、そちらの方向に「偵察」のサオを投げて置くわけです。もしもメインの5本のサオで釣っている間にポツポツとでも釣れるようであれば、移動のタイミングを遅らせてそこでもう少し釣っていられるのです。
 リール釣りの場合には、移動の手間というものがミャク釣りのときよりも時間がかかるのです。ですからロス時間がけっこう長いわけです。そのような時間をカバーする意味もあって7本ザオの釣りというものを最近では積極的にするようになりました。そのうちの2本はあくまでもメインで釣っていない方角の偵察ということです。
 こうしますと、移動時間があったとしても実釣のときにそのロスを少しは軽くしてくれるのです。
 私が名付けたハリネズミ釣法というものは@サオ数は5本以上A必ず偵察のサオを投げて置くというものです。ボートからリールザオがツンツンと突き出ていますので「竹やぶ釣法」とか「笹やぶ釣法」とかの異名を頂戴したこともありますし、「熊手で川底を引っ掻く」という表現をされたこともありました。
 いずれにしてもリールザオで一日に500尾を釣るという目標を持ったときからの私の釣法の変遷ですのでこの先にどのような釣りが待っているのか楽しみにしているのです。
 ちなみに、仕掛けは幹糸1.5号、ハリス0.8号、袖バリ4号、下バリから上へ35cmのところへ2本目のハリを枝ス5cmで結び、その上30cmのところへ枝ス5cmで3本目のハリを結び、そこから35cmのところで切れば全長1mの手製の仕掛けが出来ます。
 面倒な人は二本ばり仕掛けをふたつ繋げてしまえば全長1.2mの4本バリ仕掛けが出来上がるはずです。
 オモリはナス型5号、テンビンはウデの長さ8〜10pの中型、サオは磯ザオ2号、2.7m、オモリ負荷5〜10号というものを使っています。置ザオの食い込み優先なので硬いサオは使っていません。リールは中型のものでナイロン2号の道糸を100m巻いてあります。
 釣り方は、キャスティングしてから糸ふけをとっての置ザオです。全数投入後に@右回りか左回りか聞きアワセするローテーションを決めるA聞きアワセは3〜5分を目安に上げるBアタリがあってもローテーションを崩さないC最低2尾、できれば3点掛けを狙うことD釣れた場所より必ず先へ投げて引いて置くことE釣れない方角は早くあきらめて釣れている方角へサオを集中することFエサの大きさは10月いっぱいは2p前後でいいこと、その理由は川中の水深3m以内での釣りのためなこと、水温が比較的高く魚影が濃いことなどからです。
 ミャク釣りの場合と同じで、投入直後に仕掛けが着底するのですが、そのときにハゼの食いが立つことがわかっています。ですから3本バリ仕掛けでそのうちの1本はコマセ代わりのハリと心得て釣っています。基本的には2尾掛けが連続すればそれで目的は達するわけです。それが二本バリですとどうしても1尾掛けという回数が多くなると経験的には思っています。そのこともあって亡くなった師匠から教わった3本バリ仕掛けを結んで挑戦しているのです。
2009年9月15日(火)
その13. 2009年前半のハゼつり実績と今後
2009.9.15
 2009年前半のハゼ釣り実績は次ぎの通りでした。
 4月  13  但し、越冬したハゼのリール釣り1回、4/29
 5月  532  但し、ミャク釣り1回、5/15試し釣り、例年はリール釣りの季節。
 6月  1292、1227、1728、1319         ミャク釣り4回、合計5566
 7月  1392、1534、1246、1649、1237、1378  ミャク釣り6回、合計8436
 8月  1539、1377、1378、1631、1425      ミャク釣り5回、合計7350
 9月  1573、1191、1336、811          ミャク釣り4回、合計4911
 以上釣行21回、26808尾、ミャク釣りのみの釣行20回、26795尾、1339尾/回
 今シーズンは
@ 越冬したハゼが全くといっていいほど釣れなかったこと、それは昨年段階で予測できたこと
A 様子見をしていて,5月中旬段階でリール釣りを断念して、ミャク釣りでヒネを釣ってみようと思い立って試し釣りをしたこと、ところがヒネは1尾も釣れずにデキばかりが532尾釣れたこと
B 6月からのデキのミャク釣りは一週間に一回の釣行ペースを維持したこと。その理由は、ミャク釣りの平均釣果の自己新記録を作ろうとしたことによるもの。ちなみに、今年は6/4から9/14まで3ヶ月と10日で19回の釣行ですが、昨年は6/2から9/5まで3ヶ月と3日で24回の釣行でした。昨年の目標は10束釣りの連続記録を更新することでしたので、間を詰めてせっせと通ったわけです。つまり一回当りの釣果は1000尾を超せばいいのであってほどほどにして、そのかわりに1000尾を超えた回数を追っていたわけです。ところが今年は、一回平均の釣果の新記録を狙ったので、週一回ペースにして釣り方も数釣りに徹したわけです。
 今年の特徴は、8月中までは、水門よりも下流域ではほとんど釣りにならないくらい魚影が薄かったことでした。9月になってようやく釣れるようになってきました。昨年のアオシオの生き残りがこのエリアではいかに少なかったかの証明でもありました。
 そのかわりに、上流域と沈船までの中流域では思いのほかハゼがたくさん孵化して、次々とハゼの補充がされてきました。
 9/14現在でも、5〜8cm級のハゼがとてもよく釣れています。このことはそれが育つわけですから今後のリール釣りの対象ハゼとなることは間違いがありません。
 また、大多数が釣られずに残るわけですから(釣られてしまうのはごくわずかです)、これからひどいアオシオとか鵜の食害さえなければ、産卵数は膨大な数になると思うのです。また、越冬ハゼもかなりな数になることでしょう。
 とはいっても、下流域では当初ハゼの絶対数が極端に少なかったわけで,最近になって魚影が多少は濃くなったように見受けられますが、例年と比べたらかなり少ないと思わなくてはなりません。それでも昨年のようなアオシオがありませんし、おととしのように小規模なアオシオが繰り返されたということもありませんので、行徳港内のハゼは移動したり死んだりはしていませんので,今後の推移によっては「もしかしたら」多少なりとも落ちハゼが釣れてくれるのではないかと、淡い期待をしているわけです。
 いずれにしても、私のハゼ釣りは、これからはリール釣りに切り替えますので,上流域、中流域、下流域等々でどの程度の釣れ具合になるのか、リール釣りを「楽しみながら」観察していこうかと思っています。
2009年9月10日(木)
その12. アカエイ
2009.9.10
 何年か前のことですが、湾岸道路下流の大型船の航路脇でリール釣りでハゼを釣った帰りのこと、ですから、11月になってからだと思いますが,そのときに、ボート周辺がアカエイだらけになってしまいました。
 その日は不漁で、いくらも釣れませんでした。そのときはオールを漕ぐとアカエイがオールにぶつかるのです。何百という大群です。しかも水面を泳いでいて尻尾とかエイのヒレが水面を叩くのです。下手に刺激するとボートの中にいても危険ですのでじっとしていなくなるのを待ちました。
 あとで船宿の親方に訊いたところ、鈴木さんヨウ、じっとしててよかったヨウ、ボートん中まで尻尾届くかんヨウ、危なかったネエ、というのです。
 行徳沖の水が悪くて(つまり酸欠水)江戸川放水路へ大群が逃げ込んできたのでした。このような「恐ろしい」経験をした釣り人は多分それほどはおられないことと思うのです。
 6〜12月まで江戸川でハゼ釣りをしていますと、どうしても川の中でアカエイをみることがあります。1尾だけのときもあれば続けて2尾3尾と遭遇することもあります。そのときにイの一番に思い出されることが前述の経験です。
 アカエイは漁師にとっても天敵のような存在です。いまではアサリその他の貝類の採取は、船の上からの作業がほとんどになっていますが,昔はそうではありませんでした。
 浦安などの漁師が貝を採取することを「マク」というのです。船の上から操作して採取することを「大マキ」、海に立ちこんで採取することを「腰マキ」というのです。
 いまでは腰マキという漁法はどの程度行われているのでしょうか。腰マキは漁師が海に立ち込んで、タブという漁具を操って貝を獲ります。タブの小型のものは釣具店の店頭に並べられていることがありますので、見た人もあると思います。それを使って素人が貝を獲ることは禁止されています。密漁だからです。
 漁師は肩幅ほども幅があるタブに付けられた棒に紐を付けてそれを身体に結わえ付けて後ずさりするわけです。そうしますと体の方向に向いているタブの入口から貝が入ってくる仕掛けです。もちろんタブの目は寸法が決まっていて小型の貝はポロポロと目からこぼれるわけです。
 昔の漁師は全員裸足で海に入りましたから,海底の砂の状態が足裏の感触でわかりますので、この場所はアサリなどの貝がたくさん砂の中に隠れているな、ということがわかるわけです。足の裏に目がついているという漁師自慢があったほどです。
 そういう漁師になりますと、アサリなどが獲れる海といいますと、ハゼなどの魚類もたくさんいますので、ハゼが裸足の足の甲に上がってくるのがわかるわけです。ああっ、ハゼのやろうがきやがった、というわけです。
 そういう漁師が最も恐れたのがアカエイでした。後ずさりしているわけですからいくら足裏に目がついているからといって、アカエイが後にいるなどとはわからないわけです。ですから、アカエイを踏んづけてしまうのです。そのときに強烈な尻尾のカウンターがあるのです。毒バリが尻尾の中段にあってそれで刺されますと救急車ということになります。海の上ではようように船に這い上がりダウンしてしまうのです。昔の漁師は一人漁が多かったのだし、アサリなどのよく獲れる場所は、個人の「企業秘密」でしたし、他の漁師が近づいてくるとアサリを入れたザルにゴザをかけて隠すことまでしていたのです。ですから、アカエイに刺されて息も絶え絶えに救助される人もいたのでした。
 このことはハゼの立ち込み釣りにもいえるのです。私がいう昔というのは昭和30年代ころまでですが、そのころまではハゼの立ち込みでも裸足で釣っていたことが多かったと思っています。私自身もそうでした。それほどに海岸はきれいだったし、足を切るようなものもそれほどにはない海でした。
 ですからハゼを釣っていますと、足の甲にハゼが乗っかったのがわかるわけです。ですから、今の時代で立ち込みの人を見ていますといつもいつもどんどんと川の中へ中へと先へ出てきて長いサオを振り回していますが、上手な人ほど立ち込みの場合には短いサオを使うものなのです。ポイントにもよりますが、本来はそういうものなのです。それは私自身の経験からそのようにわかるわけです。立ち込みの場合は大体がハゼは足元にいるわけですから、そのことを念頭に釣りをすればいいと思うのです。ときには立ち込みの人よりも岸寄りで私などはボートで釣りをしていることがあります。笑えてしまいます。
 江戸川で立ち込みをする現代では「バカ長」とか「胴長」とかいわれる腰まである長靴を履くのが常識になっています。それは足を保護するためですが,このようなゴムやその他でできた丈夫な長靴もアカエイの一撃にあったらひとたまりもないのです。江戸川放水路に救急車のサイレンが響き渡ることがワンシーズンに一度や二度はあるのです。
 このように立ち込みの人がアカエイに刺されるようなときは、きまって行徳沖は酸欠でアオシオかアオシオ気味ということになります。
 アカエイのアタリはミャク釣りの場合でも極めて小さくて、かけてから気付いても後の祭でサオを折られるか持っていかれるかというところです。私も必死になってラインやハリスを切りにかかったことが何度もあるのです。
 リール釣りのときは、ともかく上がりません。カレイと違って引き味がグイーングイーンという感じで波打ちますからすぐにわかります。手元に寄せたとしてもハサミでハリスを切って放流というのが一番いいのです。これも危ない作業なのですが。
 アカエイが疫病神のように書きましたが、目安になることも確かです。アカエイが逃げ込むほどですから、行徳沖にいたハゼも場合によっては江戸川へ逃げてきているかもしれないのです。つまり江戸川のハゼに補充がされたかもしれないということです。実際にそのような現象が見受けられることもあります。そうであれば、ハゼ釣り師としては、アカエイとか酸欠水とかを毛嫌いする気持が多少でも和らぐ気もするのです。
 江戸川でハゼを釣っていて、ときには「キツイ顔」をしたハゼとか、普通の砂地や泥地の場所で「日に焼けた」感じの色の浅黒いハゼを釣ったら、こいつは海のハゼかな、くらいのことは思いやっていただきたいものです。もしそうであれば、酸欠水を嫌ってはるばると海から避難してきたハゼではないかと思われるからです。
 そのようなことを思いながらハゼ釣りをしているのも一興かと思えるのです。
2009年9月6日(日)
その11.ターゲット
2009.9.6
 ハゼ釣りをしていて@テンプラサイズのハゼが欲しいAサイズにかかわらず数釣りがしたいB何の目標もなく漠然とハゼを釣っている、というタイプに分類できると思います。
 @の人はそのような季節を選ぶべきだし、シーズンイン当初であればヒネ狙いに徹すればいいのです。夏場であれば、エサを大きく付けるか、4号とかなどの大きいハリを使うなどすればその時季としての比較的大きいハゼを釣ることができます。
 Aの場合は、ハゼがわりと群れているポイント選定が必須の条件です。次は釣り方ですが、釣り始めてから、ここは比較的魚影が濃いようだ、との判断ができれば、100尾釣ったら移動とか決めます。それほどのアタリの頻度ではないと思ったら30〜50尾釣ったら頻繁に移動を繰り返して数を稼ぐ、というよな方針にします。
 Bのときは、もう全然アドバイスのしようがありません。ともかく、ボーッと糸をたれているだけですから。それでも気持としてはどこかで何匹くらい釣れたらいいな、とか思っています。
 私の場合には、@ともかく1000尾釣りたいAできればその時季としての型を揃えたいBそれができなければ大中小交じりでいいから1000尾釣りたい、とこのようになるわけです。
 つまり、ターゲットがはっきりしているわけです。1000尾釣るということが最大、最優先のテーマであり、あとはそれを実現することだけなのです。
 ですから、ポイント選定が最大の課題となるわけです。ハゼがいないところでいくら息張って釣ったとしても釣れる数は高が知れていると思うからです。
 ポイント選定に成功したとしても、ポイントには私としては三種類あります。
 一級ポイントはその一ケ所で1時間で200尾ほども釣れる場所です。誤解のないように申上げておきますが、2時間も3時間もかけて(私の場合がということです)200尾釣れる場所などというのは、こう言ってはなんですが、いくらでもあるわけです。私が釣っても誰が釣っても1時間で200尾釣れる可能性があるという場所ということです。そうなるかどうかはあとはウデ次第ということになるわけです。個人差があるのです。
 二級ポイントは、その場所で1時間に130〜150尾を釣れる場所です。これはいまのところいい確率で巡り合えていると思っています。このペースが維持できれば1200〜1300尾は釣れています。
 三級ポイントは、1時間に100〜120尾というポイントです。じつはこのようなポイントばかりにしか巡り合えない日では、必ずといっていいほど1時間で80尾とかいう時間が1〜2回は挟まるわけです。こうなりますとトータルで1000尾ギリギリとなることが多いのです。釣果のカウントをひとつ間違えると1000尾にちょっと足りなくなったということが起きるわけです。
 一級ポイントの場合には、これに2〜3回巡り合いますと3時間で600尾ということになりますから、悠々と1000尾はいくわけです。あとは上積みをどれだけ積み上げるかという私の「意志」だけになるわけです。上積み数をある程度で放棄するとしますと、あちらこちらの「偵察」をするとか、「型」狙いに方針変更するとかの余裕が出てきます。今シーズンの場合は、上積みをできる限り積み上げる、ということで方針を決めていますので,偵察とか型狙いとかはあまりやらないわけです。これは年間アベレージの記録を作ろうとしているためなのです。結果として型狙い釣りのようになったとしても、それで仮にある程度の粒を揃えられたとしても、それは狙ってできたことではなくて、上積みを狙って釣っていたらたまたま型が揃ったという程度の消極的なものなのです。
 型狙いに徹しますとどうしてもそのようなポイント選定となりますので、例えば1時間当りのペースが100尾を下回ってしまうとか、その原因が型は揃うのですがトータルの魚影が薄い場合とか、長ザオを使うポイントが増えために効率が悪いとかなどによるわけです。
 ですから、そのようなときは1000尾釣りと型狙いとの二兎を追うときはどうしても1000尾ギリギリに釣果を設定して、ある時間帯は数を狙って大中小なんでも釣る,別のある時間帯は型狙いに徹するなどとするわけです。こうなりますとどうしても年間アベレージは1000尾に限りなく近づいてきて、平均が下がってしまうのです。そのようになりますと現実には数,型の二つ以外に、年間アベレージという三兎を追うことになりますので、これはなかなかに難しい挑戦になります。三拍子が揃うような釣り場の条件がなかなか揃わないわけです。
 今年については、この三兎を追うなどという離れ業はまったくできてない状態です。つまり、数狙いと年間アベレージ狙いの二兎しか追っていません。
 そうはいっても、心の中ではやはり「いまどきの季節」のサイズのハゼ「だけ」を揃えたいという願望は強いわけですから,その程度のことは釣りをしながらペースを見て、「エサつけ」次第で釣れるサイズのハゼを揃えるということはできるわけです。それと、釣れるペースが150〜170尾などというときは、エサつけなどで比較的粒のよいものを先に釣ってしまいますと、どうしてもサイズが小さくなりますから、いいペースで釣れていても新場所へ移るということもたびたびしています。
 ですから、年間アベレージの底上げを狙っていながら、一方ではその足を引っ張るような行動もときにはしているワケです。このことは私の中途半端、優柔不断の一側面を露呈していると思うのです。もっともっと徹すればよいものをと自分でも思いますがなかなか直りません。
 ターゲットを絞るということは、実釣では、ポイント選定、エサつけ、釣り場移動等々、その日の行動を左右することになります。
 そのようなことは全然考えもせずに、ただ、ハゼ釣りをしているだけという時代の自分がときには懐かしく思いだされることもあります。でももう二度とその時代には戻れないだろうということも現実でもあるわけです。
2009年8月28日(金)
その10.経験をつむ必要性ということ
2009.8.28
 ボートでハゼ釣りをしていてフラシ(ビク)を流してしまったという経験をした人はけっこうおられると思います。私もその経験があります。
 釣り始めて1時間でそんなことがあったというのであれば、一日はまだ長いですから挽回のチャンスはあるのだし、ダメージはそう大きくないのですが、これが3時間も釣って失くしたということになりますと「戦意喪失」ということになります。ましてや、半日以上釣ってからそうなりますと「茫然自失」になると思うのです。
 フラシをオール掛けに引っ掛けておいて、そのままオールを漕いで移動するということは「論外」ですが、案外とそのようにしてビクの紐が切れて流してしまう人が多いのです。
 それと釣っている時にやはりオール掛けに紐を絡げたり、フラシが長い場合はフラシそのものをオール掛けに巻きつけて釣りをすることがあります。私もそのようにして釣っています。
 フラシはボートを移動させる時に失くしたのではなくて、掛けた、あるいは、結わえた「つもり」なのに失くなっていたということがあると思うのです。
 そのようなことがないように私は必ず二重三重に絡げたりして「万全」の構えをします。また、フラシに結んである紐が解けることがないように、あるいは、紐が切れてしまうということがないように、紐そのものを常に点検をしています。ということは片方の結び目がほどけた経験があるからです。見た目にはしっかりと結わけているようであっても解けることがあるということです。少なくともこの二点を注意していればフラシそのものを失うことはありません。
 次に注意することは浅場で釣りをするときに、沈み杭とか牡蠣礁とかいろいろな障害物にフラシを引っ掛けてしまってそれに気がつかずにボートを動かしてフラシを流してしまうとか、フラシが切れて、つまり破けてしまって中に入れておいたハゼを流してしまうということです。このような経験を私はしたことはありませんが、このような危険は常にあることですので、型狙いで釣る場合には特に注意しています。
 もう一点注意していることは、これは大方の人には無関係なことだとは思うのですが、10束釣りを目指す人だけが対象だと思うことで、フラシにハゼを「入れ過ぎて」、フラシがそのボリュームに耐え切れないで「裂ける」ということです。
 これは私が経験したことですが、8月の今ごろの季節に湾岸道路下で10束釣りをしたときに大きいフラシを使っていたのですが、それでもハゼが大きいのでかなりの重量になったわけです。船頭さんに途中でハゼを渡そうとしてフラシを持ち上げたところ、ビッと音がして瞬間的にあっという間にフラシが縦に裂けたのです。裂け口は40p以上ありました。フラシをボートへ引上げるわずかな時間でボロボロボロとハゼがフラシからこぼれるわけです。私の自己申告数字よりも200尾以上少なかった記憶がありました。もちろんこの日の釣果は10束スレスレになってしまいました。もうこうなりますと釣っているときはまったく余裕がなくなってしまうのです。10束いくかいかないか、という心のせめぎあいです。
 このようなことをよくよく反省しますと、つまり、なぜ裂けたのかということですが、第一番の原因と思ったのは、フラシの使い回しをしたことだろうということです。前年に散々使ったフラシをよく洗って乾かして大切に冬は保管して次の年に使ったわけです。このような使いまわしというものは誰もがすると思うのです。ハゼ釣りを始めて10年以上経ってからのことでしたから、このことがなかったら現在でもそのような使いまわしはしていたと思うのです。
 よくよく考えてみますと、フラシというものはハゼ釣り師にとっての最大の生命線であるわけです。釣った証しを単なる「もったいないから」という精神から、使いまわしという行為になって、苦労して釣ったハゼを逃す結果になってしまったのでした。釣果を備蓄しておくフラシにこそ「金を掛ける」べきだと気が付いたのです。
 その年からは使いまわしということを中止しました。新しいシーズンが来ますと必ず新しいフラシを調達して使います。なお、このような心構えというものは、10束釣りに挑戦する人以外はまったく関係がない話だろうと思うのです。ハゼの重みでフラシが破けてしまうなど「常識外」のことだろうからです。一般の人ではとても信じられないことだと思うのです。でも実際にあったことなのです。
 このようなことがあってからは、釣具店に行った時に気に入ったフラシがありますと3ケも4ケもまとめ買いをします。来年の分、さ来年の分というわけです。買い占めるわけですが、そうしませんと次に行った時はないということが多いのだし、ましてや来年はそれと同じものは店頭に並ぶはずもないからです。いまの釣具の製造販売の実情というものはそのようなサイクルになっているのです。サオでも何でもそうです。いいなっ、と思ったときに余分に買いませんと二度と同じものは手に入りません。
 フラシを破いた経験から、私は「常に」フラシを2〜3ケ余分に持っていきます。予備ということです。仕掛けとかサオとかはたいがいの人は予備として持参すると思うのです。ところがフラシまでは気が付きません。また、普通は気がつかなくてもいいことだろうとも思うのです。
 フラシを余分に持っていくそのココロは、「釣れ過ぎた」ときに、フラシを分けるためです。ボートの右と左にぶら下げます。クーラーに入れれば逃げられることはありませんが、できるだけ「生かして」おきたいものですからそうするのです。でも最近では船頭さんが気を利かせとくれて、時間を見計らってハゼが溜まった頃に引き取りきてくれています。それが一番ハゼとってもいいことなのですが、その心遣いには頭が下がります。そのおかげで予備のフラシの出番がこのところまったくないのです。
 今回はフラシのことだけで終ってしまいましたが、別の機会にその他のこともお話してみようと思います。
2009年8月23日(日)
その9.ハゼ1000尾という到達点
2009.8.23
 江戸川放水路のボートのハゼ釣りで、私以外に一日1000尾を釣った方を5人知っています。
 そのうちの二人はすでに亡くなりました。残り三人のうちのひとりはハゼ釣りをまったくしなくなったようです。その亡くなったお二人とハゼ釣りにこなくなった人たちは、1000尾釣りにチャレンジするチャンスはいくらでもあったのに、チャレンジしようという「意志」がなかったようでした。
 結局、残りの二人は伊藤遊船さんのお客さんです。二人とも「若者」の世代といってもいいような人たちです。
 私はその二人がとてもうらやましいです。限りない可能性を秘めていると思うのです。
 そうはいっても、「私のようなハゼ釣り」は当分はできないことも確かです。その二人は若いですから今の歳から私のようにハゼ一本で「のめり込む」ということをしなくてもいいと私は思っているからです。
 若いうちはいろいろな釣りをしておいた方がある程度の歳になってから釣り人としての幅ができるのだろうと思うからです。
 そんなことから、伊藤遊船さんでハゼを1000尾釣った二人にはまだまだ幅広く釣りを楽しんでもらいたいのです。
 でも1000尾釣れたといっても、やはり、経験を積みませんとどうしても次は400尾とか700尾とかというアップダウンが何回かあるわけです。これは仕方がありません。
 釣り堀の魚のようにある程度の数が確保されている場合であればコンスタントな釣果が期待できますが、江戸川のハゼ釣りの場合は当然のように自然の「放し飼い」ですから、ハゼのご機嫌次第であっちに行ったりこっちに来たりで居場所が定まりません。また、そのポイントにハゼが少しいたとしても、群れの「本隊」がどっかへいってしまったということもたびたびあるわけです。
 ですから、ハゼをハリにかける「釣技」がかなりのレベルになったと思われる人でも、結構な確率で大きなアップダウンを経験するわけです。
 このことは別次元の問題でしてやはり江戸川でのハゼの動きというものを先取りして「読む」ということや、実釣の場面で実際にハゼを追いかける「行動力」というものが要求されると思うのです。
 あとはたとえば目星をつけたポイント10ヶ所のうちで「当たり」の確率が3割なのか5割なのか10割なのかという確率で釣果がある程度比例してきます。
 最後に残されたのはどうしてもそのポイントを「立ち去る」勇気と決断するタイミングが的確にできるかということです。もたもたとして優柔不断であっては時間のロスが大きいのだし、ここでそこそこ釣れているのに他のポイントへ行ったとしてもここよりももっと釣れるという保証がないという「恐れ」の感情とか、そのようなメンタルな部分での葛藤に勝てるかということです。
 一回でも10束を釣りますと、「自信」もつきますが、一方で「メンツ」にこだわる気持が湧いてきます。この「メンツ」ということは一刻も早く「捨てる」ということが大切だと思っています。
 周囲の目がどうしても1000尾釣った人ということで見ますし、そのように見られているということを意識しますし、じっさい以上に本人は1000尾を意識すると思うのです。
 このことは現実には500尾前後の釣果のお客さんは何人もおられるわけですが、その人たちの場合であってもそれぞれのレベルでの「メンツ」があって、希望の数字が打てなかったときにハゼを見せないとか検量しないとかのタイプの人もときにはおられるようです。
 このようなメンツにこだわらずに、素直な気持になれますと自然と釣果も上向いてくるものだと私は自分の経験からそのように感じています。
 そのように、年齢と言うものは釣りに大きな影響をするわけですが、若い人たちとは別に、亡くなった人とかハゼ釣りにこなくなった人はある程度のトシだったように思いますので、年齢の「タイムオーバー」で釣りにこられないという事情だとも思っているのです。
 人というものは、他人でははかり知れない事情を抱えていることが多いですから、1000尾釣ったということを「宝」としてご自分の金字塔のように大切にするということは充分にあることだと思います。それはそれで釣りの話の「肴」としては十分すぎる話題だと思っています。
 ですからそのような立場の方たちの場合には1000尾釣ったということが「終着点」でもあるわけです。それはそれでとてもすばらしいことだと思うのです。
 私が若い人たちに希望することは1000尾釣った実績というものを、ハゼ釣りの本当の意味での「出発点」としてもらいたいのです。
 1000尾釣れたからといってそれが「釣技の完成ではない」と思うのです。このことは実際に1000尾釣った本人がいちばんよくしっていることだと思いますし、私自身も長い間経験してきたことだからです。ましてや1000尾は釣ったけれどもその後の釣果のアップダウンが激しいうちは、まだまだまだまだ、というのが私の実感です。
 本当の意味での実力が熟成してきたことを示す数字というものをあげるとすれば、ミャク釣りでの年間平均釣果が限りなく1000尾に近づいて、1000尾をオーバーできた時点がひとつの目安であろうと思っています。
 1000尾釣ったということが、ハゼ釣りの究極の「オワリ」の釣果ではなく、単に技術的な高みへ上る「出発点」に過ぎないと思うからです。
 そのことは私の個人的な思い入れに過ぎないことなのかも知れませんので、この考えを他の釣り人に「押し付ける」気持はさらさらないのですが、そのようなものの考え方もあるということをお話したわけです。
 それは自分自身に対して「慢心」を戒めつづけるものでもあるからです。
2009年8月18日(火)
その8.水中遊泳と軟着陸
2009.8.18
 「水中遊泳」も「軟着陸」も私が名付けた造語です。
 師匠の故塙実氏は、オモリが底へ着くときに「ドスン」はダメで「スッ」という感じにするように、とよく言いました。
 これはサオ捌きで可能ですが、オモリが1号までの場合は比較的に楽に「スッ」と着地ができます。1.5号オモリになりますと余程の注意がありませんとどうしてもドスンという感じになります。
 このことを宇宙船の月面着陸をもじって「軟着陸」と名付けたのです。鈴木さんはインテリーだけあっていいこと言うね、と冷やかされたことを覚えています。
 軟着陸を可能にするサオ捌きのことを水中遊泳と名付けました。これも宇宙遊泳をもじったものでした。
 師匠は、真上から真下へじゃなくて、振り込んでから手元へもってくんだ、という表現をいつもしました。
 師匠の「弟子」という人たちは何人かいるわけですが、師匠曰く、振り込んでからなんであんなにすぐ小突くんだ、あれじゃあハゼが食うヒマなんかねえじゃあねえか、とよく私に電話などで言いました。いくらゆってもわかんねえ、ともいいました。
 師匠の技の真髄はこの軟着陸にあるわけで、一発でアタリが出せなかったら、すぐに、振り込み直す、ということが大切でした。1.5m前後までの浅場で釣るときほど振込み直すということは私もよく使うテクニックです。
 私の場合の振込みは@空振りをしたから振り込むAアタリを出すための振込み、と二種類があるわけです。とくにAの場合はとても大切です。この場合に駆使する技術は「水中遊泳」と名付けた技術です。
 私の場合の振込みを見ていると気が付くと思いますが、かなり無造作に前方へ「放って」いるように見えるはずです。浅場ですと、オモリが着水したすぐあとに「トン」とオモリが着底します。このときに意識して着底時間を引き伸ばすのです。つまり、オモリの落下中にサオ先を上へ引上げるような動作をして放物線を描くオモリの落下ラインをさらに長くさせるわけです。
 想像としては、水面から底までの1m前後の水深で、着水地点から着底地点までの距離を30cmでいいのか、それとも1mの長さまで引っ張ってくるのかということです。私はアタリが間遠いときほど着水から着底までの距離を長くとって、川底スレスレの高さをエサを「流す」形を作ります。ハゼにエサを見させるためですし、エサのエキスをできるだけ広範囲に撒き散らすことにもなるからです。これはかなり効果があります。アタリが少ないときほどこれを繰り返します。
 水深が2m近くになりますと、前方へ振り込んでも船下へ落としてもサオ先へ向っての放物線がきれいに描かれます。この場合も糸ふけを考慮しながら着底前後の瞬間にサオ先の捌きで着底の瞬間を操作できます。
 以上のことが成功しますと、着底直後に「チクッ」「コツッ」「ムズッ」と表現されるハゼのアタリがサオを握る手の平に伝わってきます。この瞬間をあわせるわけです。
 「3p」の仕掛けを使っての1本ザオでのミャク釣りでは「チクッ」のアタリを出して、ハゼのクチビルにハリを引っ掛ける釣りが「醍醐味」となるわけです。
 この場合の釣りを周囲から見ていますと、振り込んだ、釣った、ハゼを外した、振り込んだ、というサイクルになるわけです。間に「誘い」という作業が通常はあるのですが、それが欠落しているわけです。
 それと周りの人がどれほど注意してみていても、私のサオ先がブルブルなどと震えるとかのアタリがまったく見えないわけです。この「アタリが見えない」ということが軟着陸に成功してチクッのアタリでハゼを釣り上げているときの特徴でもあるのです。
 また、1度つけたエサで3〜5尾を釣りますから、新しいエサをつける、という動作が省略されますので、せいぜいエサの点検と形を整える程度の動作ですから、それはハゼをハリから外すときに同時に行っていることですからまったく周囲の人には見えていないのですから、周りの人からは、空バリで釣っているのではないか、つまり、エサをつけて釣っているということが見えないわけです。はなはだしいときは、エサをつけてるんですかという質問さえあるほどです。
 私は水中遊泳という技術を優先していますので、現在は誘いという動作は二の次の技術としています。言い添えますが、江戸川、ボート釣り、10束釣りという条件下での釣り方ということですから、これをどの釣り場でも通用させるということでは絶対にありません。釣り場釣り場で「誘い」という動作は必要不可欠の場合も多いからです。10束釣りという視点を据えた場合には着底後の「誘い」という行為が多いということはハゼの「寄り」と「釣果」に関係してくるということです。
 そうは申上げたとしても、実釣では100%軟着陸直後のアタリでハゼが釣れるということはないわけですので、なかには、着底後の数呼吸後にチクッとアタリがあるということもあるわけです。このときに誘った後のアタリかその前のアタリかということがあります。
 誘い方としては一般的には「小突く」という行動があると思います。これは砂煙とか泥煙とかを立たせてハゼを引き寄せる動作になります。近辺にハゼがいるときはハゼの注意を引き付けるための大事なテクニックになるのです。江戸川のボート釣りでの小突きは、イチ、ニ、サン、シ、休み、休み、休みのペースだと思います。少なくとも私はそのようにしています。師匠が言っていた小突きっぱなしということは、休みの間がないわけです。また、着底直後からすぐに小突きはじめることを言ってもいたのです。そうするのであれば軟着陸も水中遊泳も極端な話、しなくたっていいわけです。俺だったら振込み直す、という師匠の言葉は私にとっては「金言」でした。
 二本ザオでの10束釣りを目標に据えてからは、「サオを手に持っての誘い」という行為が尚更に少なくなりました。このことは振り込んでから着底までの間にもう一本のサオのハゼを取り込んでいるからで、着底までの時間の水中遊泳と着底後の誘いをボートの動きなどに任せているからです。ですから置ザオを聞きアワセしたときに釣れているという前提が多いのですが、仮に「万が一」釣れていないときは、このような万が一などと表現するのは不遜だと思われると思いますが、二本ザオで10束以上を釣るときのペースというものは、振込み、置ザオのハゼを取り込む、振込み、さっきのサオを上げてハゼを取り込む、というペースが続くわけです。これが途切れた時はエサつけ、誘い、寄せエサ打ち、意識的な空振りなどの動作を加えて交えるわけです。そして次ぎの連続したハゼの取り込みペースを作るわけです。
 これからは10束以上を釣れる釣り人が増えると思いますが、釣り人によって釣り方というものは個性がありますので、たとえば、水中遊泳よりは着底してからの誘いの技術に秀逸したいとか、それに成功したとかの人もでてくると思います。それはそれで結構なことだと思えるのです。
 ということは、着底してからハゼをハリに掛けるまでにある程度の時間がかかるということでもあるワケです。ですから、振り込んだ、水中遊泳、着底した、アワセ、という一連の流れる動作の間の、着底した、アワセた、という動作の間に、誘った、という行為が挟まるわけです。私の場合は、その「誘った」という行為が少ないのだし、誘ったという動作をできうる限り省略したいわけです。
 私が13束釣るとかというときの釣りを周囲で見ていますと、誘いという動作が欠落した釣りに見えていると思うのです。このことは私が実際にサオを手に持って誘っているという行為はほとんどなくて、あったとしても極端に少ないわけですが、誘いという「動き」を「サオ」がしていないということでは絶対にないのです。それは私が「サオを手に持ってはしていない」ということだけであって、二本ザオの場合の誘いという行為は実釣では番度だとはいえませんがなされているわけです。
 それを可能にするためには、道糸を1.2号の通しにして流れの抵抗で糸フケという状態を意識的に「作り出して」置ザオであっても誘いの動作をさせるとか、ラインの張り具合と投入方向を組み合わせてボートの動きで誘いを現出させるとか、以上のことを踏まえつつ風の強さを利用するとか、いろいろと考えているわけです。ですから釣行前には天気情報は必見だし、潮時、潮回りは考慮用件だし、なによりも各船宿の情報収集は欠かせません。
 その上で、釣行当日の作戦を立てるわけです。このところ数年以上は特別に二本ザオに「凝って」いますので、下手をしますと「一本ザオの10束釣り」を忘れてしまいそうにもなるのです。
 人によっては二本ザオで釣っていたのを操作するのが面倒くさいから「横着して」一本ザオにするという表現をしますし、それが普通の感情だと思うのですが、私の場合は一本ザオから二本ザオにするということの方が「横着している」という意識でいるわけです。それは「サオを手に持ってアタリをとる」という行為そのものを「省略している」ということが、私の意識の中では「横着している」という認識になっているわけです。
 このような感情というものは人によって様々なワケですから、いろいろな釣りというか釣り方というか、スタイルというものは千差万別であっていいのだろうと思うのです。
 亡くなった師匠の「あんなにすぐに小突きまわしてなに考えてんだろうねえ」という「弟子」に対する嘆きの言葉もいまとなっては懐かしい思い出になってしまいました。それもこれも「水中遊泳と軟着陸」の技術の真髄を釣り場で実践し得ないことにたいする苛立ちが言わしめたことだとも思うのです。
 私が江戸川で10束釣りに挑戦している姿を師匠は亡くなってしまった今でも後からいつまでも観察し続けているのだろうとの思いは日に日に強くなってきていると思うのです。
2009年8月13日(木)
その7.急逝した師匠を悼む
2009.8.13
 師匠、塙実氏とは昭和63年(1988)夏、江戸川放水路のボート店で知り合いました。
 唐突な出会いでした。
 その頃の私は司法書士業を生業としていました。開業して5年、どうやら仕事も軌道に乗って専門学校の講師の仕事も順調でした。
 ようやく自分のペースが確立できて中断していた趣味の釣りを再開したのでした。受験勉強からそのときまでちょうど10年の歳月が流れていました。
 ハゼ釣りは子どものころからの釣りで、手製の竹竿を持って、タコ糸に手製の棒ウキ、小さな鉛のオモリで釣っていました。これが行徳の農村地帯の水路でよく釣れました。行徳水郷ともいわれた釣りのメッカだったのです。
 大人になってからも釣りは唯一といっていいくらいの趣味でした。会社勤めをしながら釣りの会に加わっていました。それでも農村地帯の常で、釣りをする人たちのことを「遊び人」などと呼ぶ慣わしがありましたので、どうしても引け目を感じながらの釣りでした。
 師匠と出会ったころには行徳は区画整理がほぼ完了していて「遊び人」といわれる引け目からは解放されていました。ところが「自然」がすっかりなくなってしまいました。
 残されていたのは江戸川放水路のハゼ釣りだけでした。
 昭和63年の夏、私は行徳橋の下手、右岸、新行徳橋までの間で立ちこみでハゼを釣りました。久しぶりのハゼ釣りでしたがこれはよく釣れたと思います。半日で300尾は釣れました。このハゼをどうしようかな、と考えた記憶があります。結局、どうしようもなくてビクを逆さまにして放流して戻りました。
 その後、仕事で千葉地方法務局市川支局へ出向いた帰りにボート店へ寄ってみました。左岸側の店でした。様子を偵察しておいてから数日して休日に釣りに行きました。ボート釣りの経験は皆無でしたし、店に出入する時の「作法」も知りませんでした。
 私のタックルは、7尺の中通し竹ザオのミャク釣り、ハリス5cm、中通しオモリ、もう一本はグラスロッドの4.5mサオの玉ウキ数個をつけたウキ釣りの2本ザオでした。その当時でさえそのようなタックルを使いこなせたということです。
 私の考えとしては、ミャク釣りで釣れる範囲はミャクで釣り、届かない範囲は15尺のウキ釣りでハゼを引っ掻き回して釣るというものでした。
 昭和63年の夏はこの釣り方で少ないときで500尾、多いときは700尾を釣りました。このように釣りますと釣ったハゼの処分に困ることになります。仕方がありませんので船宿において帰るようになりました。ハゼは好きなようにしてくれ、ということです。船宿で商売に使うだろうと楽観していたのですがそのようになったのでした。
 私のそのような様子をしばらくじっと観察していた人がいてそれが塙実氏でした。私の釣りのスタイルは、釣ったハゼをお金に換えようという様子が見られない、釣りだけに気持がいっている等々いろいろと気に入ったことがあったようです。
 あるとき、いきなり、釣りを教える、と言い出しました。釣りを終えて店に戻ったときでした。私はどこの誰か全然知りませんでした。それでも店の主人がにこにこ笑っていますから、ああ、そうですか、といいながら桟橋へついていきました。
 そのときにサオを持たされて手を添えられて、こうして振り込んで、ここでアタリをとって、このように取り込んでと一連の動作を教えられたのでした。そして、このサオを貴方にプレゼントすると言って、6尺のサオを2本、7尺のサオを2本、私にくれたのです。カーボンのサオでした。プレゼントといえば聞えはいいのですが「押し付けられた」といったほうがいいと思います。
 でも、ともかく貰いました。もちろん、仕掛けの作り方も教わりました。それがいま私が10束釣りに使っている3pの仕掛けです。
 その当時は釣り方も仕掛けも「本」になっていないものですから、しかも、塙氏は一度しかレクチャーしてくれませんでしたから、あとは、「自分で磨かなくては」ならなかったのです。
 いまでも面白く思い出されるのは、師匠が「押しかけ師匠」だったことです。私自身は「弟子」になったつもりはいっさいありませんでしたが、いつの間にか「塙塾」のメンバーにされていたのです。押しかけ弟子というのはありますが逆だったわけです。
 その後何年かの間に何度も師匠とハゼ釣りをする機会に恵まれました。そのときに思い知らされたことは、私のミャク釣りが師匠の基本技からどれほど乖離しているかということでした。ですから、師匠と一緒に釣るときは私の釣技を修正するよいチャンスになったわけです。
 しかし、経験を積むにしたがって、十人十色の釣りがあっていいのではないのだろうかという気持になってきました。それからは積極的に「自分の釣り」を追及するようになりました。師匠と出会ってからすでに5年も経っていました。
 師匠の基本技を駆使するわけですが、ハゼを釣るためにその技だけで釣っているのではないわけです。とくに、1000尾釣りを意識的に追求するようになった頃からは、余計に、そのような傾向が強くなりました。
 1000尾釣るために師匠の技を「利用」するようになったのです。利用するうちにいくつかの「変形」の技もマスターするようになりました。これが現在の私のハゼ釣りのスタイルです。
 もっとも大きな「変形」は2本ザオで1000尾釣りをするスタイルを開発したことでした。師匠の基本技を駆使する釣りでは、あくまでも1本ザオのミャク釣りなのです。そこには「技」を追求する「執念」があるのです。ハゼのクチビルにハリを引っ掛ける技であり、ハリを呑まれることを「恥」とする「哲学」です。
 ですから師匠も釣れるペースによっては2本ザオを使っていましたが、あくまでもそれは、補助であり例外だったわけです。
 私は釣れるときでも釣れないときでも2本ザオの釣りをやりつづけてみたのです。2本ザオと1本ザオとでの釣技の違いを見極めたかったからでした。その結果理解できたことは「2本ザオを駆使して」1本ザオのようにハゼの口にハリを引っ掛けるという釣り、いいかえれば、サオを手に持ってアタリをとってハゼの口にハリを引っ掛けるという釣りが可能な場合というのは、ハゼの釣果で限界線があるということでした。
 釣果が増えるにしたがって、どうしても、置ザオでの釣果の割合が増えるという現実です。置ザオでの釣果を嫌うならば、それは1本ザオで釣るしかないわけです。
 私が師匠の基本技を「捨てよう」と決意したことはとても師匠に言うことができませんでした。つまり、捨てるということであっても「訣別する」ということではなくて、基本技は原則として従来どおり駆使するということを意味していたのです。つまり、基本技の真髄は「水中遊泳」と「軟着陸」の技術にあるわけですから、それは駆使するということです。ですが、サオを手に持ってアタリをとる、という従来の手法は「捨てる」ということです。
 水中遊泳と軟着陸の技術を駆使できるならば、サオを手に持ってアタリをとろうがとるまいがハゼは「釣れてしまう」という現実を作り出せればいいと思ったのです。手でアタリをとって釣る、という「醍醐味」を捨てたワケです。

 2本ザオの釣りを始めた当初はどうしても1本ザオの手法から脱却できず、試行錯誤を繰り返しました。それは技術的な未熟さもありましたが、何よりも意識の転換が不熟だったことが最大の原因でした。師匠の基本技を精神的にも「捨てる」決意が足りなかったわけです。どこかに遠慮があったかもしれません。
 しかし、それができたときに、次の新たな目標を設定することが可能になりました。それは「1000尾釣れる時季でさえあればいつでも当たり前のように1000尾を釣ることができる実力を会得する」という目標でした。
 この目標を持ってからすでに数年がたちますが、このときから、私の1000尾釣りの連続記録が12回、15回、18回、22回などと何度も何度も積み重ねられるようになってきました。
 このことは単にハゼをハリに掛ける「釣技」だけではなく、ハゼの着き場を捜し当てる技術、本日のいまのこのポイントでは何尾を釣れば限界かという見極めをつける技術等々様々なものがあいまって「私の釣り」というものができあがっているわけです。
 こうして師匠と出会った1988年から今日まで21年間の歳月の中で、私のハゼ釣りは
師匠のエキスを身にまといながら変化してきたのです。いまでも思うことは、師匠の基本技である水中遊泳と軟着陸の技術は、私の現在のハゼ釣り技術の中に脈々と息づいているということです。それが「2本ザオでの1000尾釣りの連続記録」という形で顕われているに過ぎないのです。
 最後に、水中遊泳と軟着陸という技術はミャク釣りだけでなくリール釣りにも応用可能であり、かつ、私は既に応用していて「ハリネズミ釣法」という釣り方を提示していますし、それを使ってリール釣りで一日500尾を目指しているのであり、さらに、ハゼ釣り以外の釣りについても大いに利用可能な「哲学」であると申上げておきたいと思います。
 「鈴木さんのハゼ釣りはもう免許皆伝だな」と、師匠がはればれと、しかし、少しくやしげに、電話の向こうでおっしゃっていたことが、つい昨日のことのように思えます。師匠の塙実氏のご冥福を心よりお祈りしたいと思います。
2009年8月10日(月)
その6.道糸1号、先糸1.2号のワケ
2009.8.10
 普通は道糸が太くて先糸がそれよりも細いというのが「常識」であろうと私も思うのです。私は特別に奇をてらったわけではありません。それほどの天邪鬼ではないと思っています。必要に迫られて選んだと言っていいかと思っています。
 でも、私が江戸川放水路でミャク釣りでハゼを釣るときのラインは表題の通りなのです。
これにはワケがあって、そもそもの始まりは22年前に遡るのです。
 その当時は江戸川のハゼ釣りに回帰した頃でした。そのころであっても中通しの竹ザオを使ってハゼを釣っていました。それは竹ザオ程度のもので、和ザオというには値段がいまいち安かったかと今でも思っています。その竹ザオはいまでは私の書庫の中に眠ったままになっています。
 そのころのハゼ釣りの私の「ウデ」といいますと、せいぜい500尾ちょいとというのが最高釣果になっていたものです。
 そもそも私が竹ザオを仕舞い込んだ原因が「1000尾釣り」にチャレンジする決意をしたことから始まったのです。
 その時期にハゼ釣りの師匠となったスポーツ報知APC幹事長の塙実氏に巡り合って、3pのミャク釣り仕掛けを知り、釣り方のレクチャーを受けたのでした。
 それまでは中通しオモリを使うとか、噛み潰しのナマリのオモリを使うとかして、ハリスの長さ5〜7p程度の仕掛けで釣っていました。いずれにしてもハリはオモリから下の部分へ結んでいたのです。
 それを師匠の仕掛けはオモリの上の部分にハリスを結ぶものでした。胴付あるいは胴突きという仕掛けでした。私にとっては「衝撃的」な出会いだったと思っています。それは「アタリ」の感度がすばらしくよくて、オモリが着底してからアタリが出るまでの時間が瞬間的で短時間だったからでした。それまでの仕掛けだとどうしても「ノリ」というアタリを期待することが多かったので、どうしても3pの仕掛けと比べると「まどろっこしかった」わけです。
 師匠はたった一度しか手を取って教えてはくれませんでしたが、「伝授」されたと思ったその釣りをマスターしたくて、随分と江戸川へ通うようになりました。振り込んでオモリが着底してその瞬間に「チクッ」「コツッ」「ムズッ」と表現されるアタリを出したくて、それを瞬間的にアワセたくて、結果としてはハゼのクチビルにハリを引っ掛けるという釣りをしたくて、それはそれはずいぶんと通いました。その釣り方ではハゼにハリを呑まれるということを「恥」としていたものでした。
 そのときに、ワンシーズン1万尾、一日1000尾、ミャク釣りでアベレージ500尾という目標を設定したのです。これは私の著書でも述べている「水中遊泳と軟着陸」という技術、これは先ほど一部述べましたが、その技術をマスターしたくて掲げた目標でした。つまり、それだけ釣れれば身に付くだろうという気持だったのでした。
 そのときの道糸はナイロン1号の通しになっていたのです。まあ水切りはいいしなかなかに使いよいラインです。ところが思わぬ伏兵が出てきました。それは一日に1000尾ものハゼを釣りますとどうしてもハゼのボディがラインに絡んだり擦れたりするわけで、それが原因で1号のラインが擦り切れるわけです。また、オモリだけがストンと切れて落ちることがたびたびあったわけです。そのことはハゼだけが原因ではなくて川底の障害物等が原因でラインが痛むことがあったわけです。
 それともうひとつ私の願いが、1000尾釣りの魅力に取り付かれたということがあります。技術習得の手段としての1000尾釣りでしたが、今度は1000尾釣るために「水中遊泳と軟着陸」の技術を利用するように変わったのです。目的と手段が入れ替わったわけです。
 その時点で1号ラインの通しということを再検討したのです。結局、私が採用した方針は先糸だけを30〜50cm程度1.2号にしようということでした。ライン全体を1.2号とか1.5号とかにする方法もあったのですが、これについてはまたまた別の問題が発生したのです。
 それは糸フケの問題です。江戸川でのボート釣りは1.8m、2.1mサオがメインですが、たまには2.4mとか3mのサオも出します。ラインが長くなるにしたがって水の抵抗で落下速度が遅くなります。オモリを重くするかラインを細くするかどちらかです。またオモリの着底後に潮流でラインがフケルわけですが、1.2号ラインではどうしても糸フケが激しいわけです。それだけの激しい流れが日常的に江戸川ではあるということです。それに風の影響もあるのです。
 それやこれやで私のラインは道糸ナイロン1号、先糸ナイロン1.2号というスタイルになったわけです。この仕掛けを本などで紹介しているわけですが、このことを教条的に鵜呑みにしてどこで釣るときでも、どの程度の釣果目標であっても、一律にこれがいいのだという設定の仕方と言うものは間違っていると思うのです。
 私は江戸川、ボート釣り、一日に1000尾、根掛かり覚悟というような設定での釣りで必要に迫られて採用したものですから、それとは関係のない別次元の釣りをする場合にも1号1.2号という組合わせを使う理由はないものと思うのです。1号の通しでいいとか、道糸1.2号先糸1号でいいとか、いろいろと変更できると思うのです。それは釣り場と釣果とご自分の釣りスタイルで決めればいいことだと思っています。
 それにしても道糸1号、先糸1.2号という組み合わせは、常識としては反対のことですから、理由を知らない人が聞いたら奇異に聞えることであろうと私は思っています。
2009年8月5日(水)
その5.沈船ってなに?
2009.8.5
 22年前に江戸川へ回帰してハゼ釣りを再開したときに、釣り場に船が遺棄されていました。それは長さ6〜7mほどの木造船でした。
 右岸側、東西線車庫の下流側のはずれ近くにありました。現在の目安としては、妙典排水樋門からは150mはあるでしょうか、それとも200mでしょうか、そのくらい上手の位置になります。
 22年前は船は座礁していて放置されていました。そのころでさえも「船」の形としては崩れていて、航行しているときの姿は想像できないくらいになっていました。堤防からは100mほどの距離ですが、現在は堤防地先10mほどのところに波除のための蛇籠が設置されていて杭が一直線に打ち込まれています。
 年とともに次第に船べりが壊れ、船内に土砂が溜まりました。満潮時間でも沈んだままでした。釣っているとエンジンからでしょうか油がときどき流れ出ていました。現在ではもうそのようなことはまったくありません。
 たしか上流方向が船首で下流方向が船尾だったと記憶しています。現在はその場所に目印の竹棒が立てられています。
 昔、私が釣りを再開した当時は、まだ岸側の干潟が今のように発達していませんでしたので、沈船はちょうどミオの中に沈んだ形でした。それが少しずつ砂に埋まり、とくに岸側は干潟とつながるようになりました。沖側は船べりが崩れてミオ中へ倒れてしまいました。
 ですから、昔釣りをしていますと、沈船の真上にボートをつけるのですが、竜骨だとかその他の船の建材が水の中にあるわけです。舟板も倒れかかっていますが水中に浮いている形なのでした。川底に埋まってはいなかったのでした。ハゼがその舟板などの上に乗っていて上から落ちてくる仕掛けを追うわけです。私も水深は分かっていますからそれよりも浅い場所に着底すればそれは舟板の上に乗ったとわかるのですが、その上に良型のハゼがたくさん乗っていたわけです。まあ、根掛かりしながらよく釣っていたものです。
 20年という月日が流れて現在では沈船も砂に埋もれましたし、水深も浅くなってしまいました。それよりも何よりも牡蠣が船の周囲に着き、それが今では牡蠣礁といってもいいような発達具合で、まるで船の形とか、船だったという痕跡を覆い隠すようにまでなりました。
 ですから沈船というように私の著書の地図とか文面の中で述べてはいても、釣り場では「船」を全然確認できないわけです。ですから大方の釣り人は沈船はどこにあるのか?ということになると思うのです。
 このことはこれまでにいろいろと説明をしてこなかったわけで、船宿の新しい最近になって「就職」してきた若い船頭さんたちも船の形を確認できないでいるわけです。ただ、私が言葉の上とかブログで「沈船」とするわけですので、ポイントとしての「沈船」とか場所とかは分かっているのです。
 それにそこは牡蠣礁の山になっていますので小型船などが近づきますとスクリューなどをガリガリとあててスクリューなどを壊してしまうことだってあるわけです。そのためにこの場所に竹の棒を何本か立てて赤い布をぶら下げて警告しているのです。
 慣れた釣り人であれば東西線鉄橋下の青い送水管から下手の右岸側で竹棒の目印を何箇所かたどっていって東西線車庫のハズレ近くで水門の上手にある竹棒の場所が沈船の位置だと判別できるのです。
 私が行きつけの伊藤遊船さんからはボートを漕いでちょうど10〜15分ほどの距離でしょうか、距離にして600mか、それ以上でしょうか、体力アップのためのボート漕ぎだと思えばちょうどよいトレーニングになるのです。
 最近の沈船周辺の川底の様子といいますと、岸側の干潟の上に牡蠣礁が大きく発達しました。それは上流に向って腕を伸ばして途切れ途切れになりながら一筋二筋という具合にゴロタ近くにまでつながっていくようになりました。牡蠣が生息するということは、しかもそれが牡蠣礁にまでなるということは、江戸川の水質改善のためにはとてもいいことだと私思っているのです。また、牡蠣にはさまざまな「虫」が着きますので、それを捕食するためにハゼが寄ってきて、釣りをしますと保護色で黒く変色した腹側がクリーム色の良型ハゼがとてもよく釣れるわけです。
 釣り人によっては根掛かりが多いからと敬遠する人もありますが、ハゼにとってはとてもよい環境になっているわけです。
 沈船の外側は昔はミオ筋の続きでしたが、いまでは多少の名残程度の水深はありますが、とても浅くなりました。川の中心部へ行くにしたがって深くなると思うのは江戸川の現状がわからない人の「常識」であって、ここでは川の中心部へ行くにしたがって深くはならず、比較的浅いままの川底が続くのです。航路ブイが浮かんでいる付近が比較的に「深い」場所だと思います。それでも3m程度の水深しかありません。沈船沖は大潮の干潮時間にはボートの底が擦ってしまうような浅瀬になってしまいます。
 沈船から下流方向はさすがに徐々に深くなっていって、川底も砂ではなくて、砂混じりの泥地とかが多くなるのです。
 沈船から上流方向の川中は「砂地」であって、多少の砂泥地も交じりながら、全体としては比較的に「硬め」の地盤です。ここはゴロタの前面一帯を最高の高さとする瀬になっていて、この瀬に向って沈船沖の地盤が斜面になっています。
 ですから沈船周辺の釣りとしては、満潮時間帯は岸と沈船の間の水深1〜1.5mの浅場を釣り、水位が下がるにしたがってミオ筋へ下り、干潮時間は沈船の沖の浅瀬になる場所で干潟から落ちてきたハゼを釣るというのがいいと思っていてそれを実行しているわけです。
 そのような釣り方とは別に、型狙いの人たちは、沈船(いまは牡蠣礁の山)の真上とか、その周辺とかにボートを留めて、根掛かりを避けるために一本ザオで落とし込みをするような釣り方で良型ハゼだけを狙う釣り方があります。満潮時間帯で水深が2m前後だと思います。沈船の外側はもう少し深くなります。
 江戸川放水路の中には、沈船に限らず、いろいろな落下物や沈殿物などに牡蠣が着いて発達して牡蠣礁にまでなった群落があちらこちらに点在します。そのような場所をデータとして持つということは釣り人としては安定した釣果を持続するための条件の一つだと私は思うのです。
2009年8月2日(日)
その4. 全治一週間は異次元の世界が原因
2009.8.2
 ハゼの数釣りに挑戦しますと、どうしても手の平が傷ついたりすることがあります。
 具体的には、右手の場合には釣れたハゼからハリを外すときにハリをつかむ指先の皮膚と爪の損傷です。たいがいは右ききでしょうから、右手の親指と人差し指でハリのチモトをつかんでハリを外すと思うのです。そうしますと100とか300とかのレベルだとどなたもが経験しないはずですが、それが800尾とか1000尾とかの釣果になりますと、その数だけのハゼからハリを外すわけです。
 そのときにどのように上手にハリをつかんだとしても、親指の先端部分の皮膚にハリのチモトが「触り」ます。グリグリとハリを「こね回せば」触るどころではなくて指先を「つついて」しまうこともあります。いずれにしてもハゼからハリを外すたびにハリのチモトが親指の先にあたるわけです。袖バリ1号とか2号とかであれば私の体験からはかなり指先が保護できると思っています。これが3.5号とか4号とかになりますと、それで1000尾も釣りますとどうしても指先が傷つきやすいと思っています。これは私の体験から申上げているわけです。私が現在ではシーズンを通してミャク釣りでは袖バリ1号を使う理由はこのためなのです。
 親指の損傷は具体的には爪に近い部分の中央付近に「穴」があくのです。チモトがあたる部分です。これが完治するには一週間かかります。清潔にしてからバンソウコウなどを貼っておきます。
 人差し指はチモトの反対側といいますか、どちらかというとハリの軸の部分をつかむと思います。するとまず軸が触る部分の爪が削れてへこんできます。著しい時は爪が割れます。それと削れる爪に近い部分の皮膚が軸にこすれて磨耗します。ですからどうしてもその部分の皮膚が薄くなったり傷ついたりして血が滲んだりします。そのことを遅らせるためには親指と人差し指のコンビを、親指と中指というように変化させます。すると軸をつかむ回数が半分ずつになりますので、爪は削れたりすることがあったりもしますが皮膚の損傷具合は半分ずつですから傷が軽減されます。
 右手の場合は大体そんなものです。
 左手の場合はハゼをつかむことによって「皮膚が磨耗する」こと、エサの青イソメをつかむ指についての皮膚の磨耗です。
 ハゼをつかみますと瞬間だとしても手の中でハゼが暴れて動くわけです。するとハゼのウロコ、エラ、背びれ、胸びれ、吸盤、頭の部分の凹凸などが手の平に触れるわけです。100や200ならこんなことを私は書くつもりなどありませんが、1000尾釣りを目指している釣り人からの質問があったから書いているのです。やはり4桁の単位になりますと、もう手の平のハゼが触れた部分の皮膚が磨り減って赤くなって熱を持つわけです。このことへの対処法は釣りをしている時は何もありませんので、風呂にはいってから寝る前に両手の手の平の皮膚にクリームとかメンタムとかを摺り込んで寝るわけです。そうしますと一晩で症状は改善されます。翌朝は皮膚は赤いですがとくに問題はありません。ただ皮膚が薄くなった分だけ指先が滑りやすくなっていて新聞や本のページをめくるのに唾液を指につけたりする回数が増えるでしょう。また指紋も薄くなるでしょう。それとお茶が入った湯のみ茶碗などは普段よりはずっと熱く感じて持てないことでしょう。
 左手でハゼをつかむときのメインの指は親指と人差し指でしょう。その他の指もつかんでいますが、ハゼの首根っこをギュッと押さえる指は親指と人差し指だと思うのです。ですからなるべくその2本の指の爪は長めに調整しておいたほうが良いのです。できるだけ「爪を立てる」感覚でハゼをつかむのです。そうしますと皮膚の損傷が軽減されます。
 もう一つの問題はエサの青ソメを左手でつかむわけですが、1000尾釣るには私などでは多分1000〜3000回の間くらいでエサ付けをしていると思うのです。アオイソメの皮膚もかなりのザリザリでどうしても左手の親指と人差し指はアオイソメの皮膚によって磨耗します。アオイソメの体液も皮膚の磨耗に影響していると思っています。
 またアオイソメのエサ箱に滑り止めの砂とかその他のものが入れられている場合はそれらのものがかなりの確率で皮膚の磨耗に影響します。ですから1000尾釣りを目指す時は滑り止めを使わない方がいいと私は思っていて使っていないのです。
 エサを千切ったりする上でも爪は長くしていた方がいいのです。左手の場合はどうしても親指と人差し指の第一関節までの部分の皮膚が磨耗して、ひどくなりますと血が滲んできます。こうなりますと釣りのペースが極端にダウンするのです。仕方がありませんので中指とか薬指までも動員して被害の拡大を防ぐことになります。
 このように書いてきますと1000尾釣りは止めようなどと思う人もおられるかと思いますが、それほどのものでもありません。要は慣れの問題もあってだんだんと皮膚の損傷を少なくする対処法が分かってくるものなのです。
 私はハゼ釣りがはじまったら基本的に爪は研ぐだけでよほどに伸びませんと切りません。それから、ハリをつかんだり、ハゼをつかんだり、えさをつかんだりする指をローテーションを決めて回します。このような指使いをすることによって傷つくのを遅らせるわけです。
 それと乾いたタオルなどでは滅多に手を拭きません。つまり手指は「湿らせておく」わけです。このほうが手にやさしいと経験的に分かっています。乾いたタオルで傷つきかけた手をふくと「痛い」ですよ。ですからタオルはいつも濡らしたものを手元においています。それに手をちょっと押し付ける程度で汚れや水分が調節できるでしょう。
 このように1000尾を釣るということは「常識」では思いもつかないいろいろな現象がでてくるわけです。このことを私は「江戸前のハゼつり上達法」の中で書きましたし、言葉でも「異次元の世界」と申上げているわけです。
 ですから1000尾釣ったことのない人は話としては聞いて理解した気持になったとしても「絶対に」そのようなことというのは「わからない」わけです。
 私は21年間1000尾釣りを176回積み重ねてきました。900尾、800尾、700尾などということはそれこそ何回もありました。
 ですからいまは1000尾を釣るペースは週一のペースが手指と皮膚と爪にとってはちょうどよいペースだとわかっているのです。それは穴が開いたり皮膚から血が滲み出たり爪が割れてしまったりということがないように、あるいは、多少ともそのようなことがあったとしても1週間あれば完治するということが経験で分かっているからです。
 そのことを分かっていながら釣り師の「業」とでもいうのでしょうか、ハゼを釣りたくて釣りたくてどうしようもない気持というものが心の奥から吹き出てくるわけです。そうなりますと私自身の安全圏の一週間一回の釣行というペースを破って突進してしまうということになるわけです。
 そのようなときに少しでも右手の損傷を少なくしようとして1号バリを使うとかの工夫をしたわけです。1号バリを積極的に使い始めてからはエサ付けの大小でハゼの大小を釣り分けるというテクを本格的に身につけることができたと思っています。つまりハリの大小でハゼのサイズを釣り分けるのではなくて、エサの大小で選り分けたわけです。その方が1000尾を釣るためにはより効率的な釣りができるようになったと思えるのです。小さなハゼが多いと感じたらエサを小さくするだけでハリ交換は必要ないからです。ここは大きいサイズばかりと思えばエサを大きくすれば済むということです。
 私が節約したというか効率化したというか、そのようなものは「時間」なわけです。1000尾釣るために寸秒を惜しんだのです。なぜかといいますと私が何かのことで10分間釣りを中断したとします、すると、少なくとも20尾とか場合によっては40尾とかいう数字の釣果を逃すことになるからなのです。10分で40尾程度ということは1時間で200尾というペースだし、20尾であれば時速120尾なのです。
 このようにコンスタントな釣果を終日続けるためには手指とその皮膚と爪の管理と使いまわしというものは熟練が必要だといえるのです。
 ハゼを1000尾釣るための釣りテクの中にはさまざまな分野があると私は信じていて、そのひとつが手指の管理の問題なのです。
2009年7月31日(金)
その3. 風を味方にする
2009.7.31
 先日、大風の中でハゼを釣って上がってきましたら、船頭さんが「鈴木さんはこの大風の中でよく1000尾も釣りますね、なにかコツみたいなものがあるんですか」と質問してきました。
 そのときは私が1378尾で他の人たちの中でのサオ頭は125尾だったのです。その数字の落差に驚いていたようでした。
 私は「風を味方につけることですよ」と結論だけを言ってその場は済ませました。なにか禅問答のようでしょう。
 じっさいに大方の釣り人は風が強いことを「忌避」します。風がでるといえばハゼ釣りを中止します。その風の「内容」を分析しないで一律に「ダメ」と決めるわけです。ひとりひとりの考え方は違いますので、なにも釣りづらい日にわざわざいくことはない、と延期するのだと思うのです。仕方のないことです。
 このことは風が強いときは「釣りにならない」という前提が心の中にあるわけです。「常識」といいましょうか、そのような「固定観念」ができあがっているわけです。このような固定観念や常識を打破する考え方が「風を味方につける」というものだと思うのです。これはどの魚種の釣りでもいえることだと思えるのです。
 江戸川放水路の風向きは、夏であれば南東の風と南の風の強風が吹きますと下流から上流へ向っての「川なり」の風が吹きます。ということは風が強くなるほどシロウサギが川面一面に立ちますし、沖からのウネリも出ます。この場合の釣り場は岸近くでシロウサギとウネリを避けながらの釣りになります。もう一点は、上流域に船宿の桟橋がたくさんありますのでその間に入って風と波を避けて釣る方法です。いずれにしてもハゼ釣りができるわけです。
 それでは南西の風とか西の風の強風ではどうでしょうか。この場合には江戸川堤防の行徳側、つまり妙典側からの風になりますので、かなりの暴風であっても右岸側での釣りは十分にできるのです。このときの風波は左岸方向へ行きますので川なりの波やウネリの心配は少なくなります。
 秋になって北東の風とか東の風が吹くときは、夏場の南西の風と逆で、対岸の左岸から右岸へ向って波が立ちます。この場合は左岸側で釣りが十分にできます。問題は北の風と北西の風の強風のときですが、これは放水路が上流で多少蛇行していることもあって、川なりの風になります。下流域へ行くにしたがって波もウネリも大きくなります。
 私にされた質問は真夏の釣りですから、とくに南風とか南東の風の強風のときの対処法を尋ねたと思うのです。
 もうひとつ強風と釣りに関してのいわゆる「釣りやすさ」の条件として、「潮が高い」という条件が挙げられます。干潮時間帯ですとどうしても干潟が出て釣りポイントが比較的沖になるのです。つまり満潮時間帯ならば風が強い時にはそこまでは先へ出て行かないというような場所が干潮時間帯では釣り場になるということです。ですから、強風であっても潮が高い時間帯が長いという潮回りであれば、より釣りやすいということになるわけです。
 このように潮回りと満潮時間、風向き、風の強さの三つが強風のときの釣果に影響するわけです。私は釣行時にはいつものことですが、以上三点は必ずチェックするのです。ああ、これなら明日は朝一番はここで、風が強まったらあそこで、シロウサギが立つようであればあそこへ避難して、風が弱まった時間ができるのであればそのときはたとえ短時間でもあそこへ行って釣る、などと一日分の計画を立てるのです。あとは思い切りよく対処するだけです。
 さて、船頭さんの質問の件ですが、どのようにして釣っているのか、という趣旨だったと思います。その答えの半分はすでに書いた通りです。後の半分は「釣りテク」のことだと思うのです。
 風を味方につけるという考え方には「ハゼのミャク釣り」に関しての「常識」といいましょうか、ミャク釣りはこのようにして釣るのだ、という常識や型、形というものがあって広く一般的に流布されて信じられているものがあると思うのですが、それを一度捨ててみる必要があると思うのです。
 私は長年10束釣りに挑戦してきましたので、10束釣るにはどうしたらいいか、という視点でハゼ釣りを考えてきました。強風下でのミャク釣りもその一つでした。
 結論としては「ボートに釣らせる」ということです。ボートに釣らせるには水深に対してサオの長さが若干長いほうがよい、ということがあります。これは私が到達した釣りテクの一つですが、問題はどのような風向きの強風下でも通用するとか、強風の度合いがどのようなレベルの風でもOKだとか言うつもりはまったくありません。それでは新しい「常識」ができあがってしまうではありませんか。
 そのことは釣れてくるハゼのサイズも関係しているからです。
 風が強いとどうしてもボートの振れが大きくなります。これは避けられません。そうなりますと手でサオを持っていてもサオの揺れとか手の振るえとか、ボートの動きとかで、普段よりは激しいとか大きいとか、ともかくサオの動きが普段と違うわけです。ということはハゼを誘っているのと同じことで、誘いが激しいわけです。小さなハゼほど食い込む時間が足りません。ですからアタリはあるのだけれどハリ掛かりしないという現象が多発します。
 ましてや道糸が30cmあまりとかいう水深ですと、水面に出ているラインに余裕がありませんからどうしてもオモリの動きが速いと思うのです。もちろんそれを補うためのテクがあって、上手な人は1本ザオで水中へ穂先を突っ込むようにして風と波を避けて釣るテクを持っています。
 私がこの紙面で答えている条件というものは、強風下での10束釣り、2本ザオというものですから、1本ザオでのテクは別次元の問題なのです。
 先日1378尾釣った日はとても強風でした。そのときに1本ザオで釣るのではなくて、2本ザオで釣ったわけです。風が静かな日であっても一日に2本ザオで10束が釣れるような日は、置ザオで釣れる数がとても多くなるわけです。ということは2本ザオでの10束釣りというものは「置ザオ」の釣りだと私は申上げることがあるワケです。
 その日は水深が1.2mくらい、サオ1.8m、南風の強風、ただしシロウサギはまだ立っていない、風の流れが比較的にある、だから道糸あまりが糸ふけのために15pほどしか水面上にでていない、という釣りだったわけです。このときにハゼのサイズが10〜13cmという大きさであれば食い込みがいいですから、1.8mサオで充分に釣りができたはずでした。ところが釣れるハゼが8〜9cmでときには6cmクラスも交じったのです。こうなりますと流れに押されて水中の道糸が張ってはいるのですがたるんでいて、水面上は風の力で道糸がナナメに引かれているという状況ではどうしてもカチカチに糸が張っている状態なのです。アタリがあった時にクッションの役目を果たすのはサオ先だけということになるのでした。
 そこで私は2.1mサオを使ったわけです。胴調子のわりと軟らかいサオです。その意味はもうお分かりと思いますが、これはよく釣れました。ちなみにいつもいつも長いサオを出せばいいということにはなりませんから念のために申上げておきます。
 シロウサギが立つ頃になって浅場へ移動したのですが、川中よりは静かですから水深1m前後の場所で1.8mサオを使いました。ここで2.1mサオでは「やり過ぎ」と思うのです。風そのものは強いわけですがここでは1.8mサオで充分でした。風が強い時に浅場で長目のサオを出しますと今度はサオそのものが風にあおられて釣りづらくなるのです。1.8mサオの場合でも、やはり置ザオで一本を処理している間はボートの揺れに「誘い」を任せたわけです。このテクはリール釣りのときにはいままででも多用していたテクでした。
 このようにして2本ザオで10束を狙うときで風が強い時ほどボートの揺れを利用する釣り方というものをマスターしてきたわけです。
 短い会話時間ではすべてを説明し切れませんので「風を味方につけることですよ」という返答になったわけです。浅場でも浅場でなくても「ひどいニゴリ」さえでなければ、風波が多少あった方がハゼの食いがよいと申上げておきます。ですから風を嫌わずに利用することを考えたわけです。
2009年7月26日(日)
その2. アオシオはご免です
2009.7.26
 今シーズンのハゼボートの散らかり具合を観察していますと、比較的に例年高圧線から下流域をエリアにしてボートを引き舟している船宿のボートが、沈船から上手のエリアにたびたび姿を見せるのです。
 各船宿さんは営業政策もあるのでしょうが、各自のエリアめいたものがあるようで、お客さんを案内するポイントが毎年同じようなエリアで商売をしているようです。このことは私が長年観察していて感じていることです。
 比較的下流域で釣りをしているボート群が、今年は中流域の中の比較的上流部にいるのです。ということは、そのボート店の営業エリアでは例年のようなハゼ釣りができにくい状況があるのではないかと推測できるのです。
 問題はなぜそのようなことが起きているのかということです。このことは単に私の一個人の推測にしか過ぎないのですが,@昨年のアオシオ被害のために高圧線より下流でのハゼの孵化が極端に少なかったA今年も沖の海水がアオシオ気味で下流域のハゼが中流域へ逃げてきている、ということではないかと思うのです。
 Aについては昨年のアオシオがあってから気がついたことでしたが,昨年あれほどたくさんのハゼが釣れて、私などは10束釣り連続22回という自己新記録をマークしたわけですが,そのときでさえも、高圧線から下流域はまったく釣りにならないほど魚影が少なかったのでした。
 このことは自己記録更新が進んでいたこともあって、深く考察せずにあのアオシオ被害を蒙ったわけです。
 このように自らが試し釣りに行かなくても他宿のボートの散らかり具合を見ているだけで魚影の濃淡は察しがつくわけです。その意味では、今シーズンのハゼの着き場は現時点としては沈船よりも上手と私は推測するのです。
 このことは狭いエリアにハゼが密集して棲息するということですので、釣り人にとっては比較的釣りやすい環境ともいえるのです。反面、常にアオシオ被害発生の脅威に脅かされているともいえるのです。
 このところ連続9回の10束釣りを続けていますが,私の釣行はすべて海水の状況を考慮して釣りポイントを決めているわけです。しかも、それは釣行した日について丸一日継続できる推測ではなくて、上げ潮、下げ潮、潮いっぱいの時、干潮時間、風向き、風の強さ、気温、海水の温度等々考えて、何時頃はどこ、こうなったらあそこ、というように釣りの現場のボートの上で臨機応変にポイントを選定するのです。
 これらのことは前日までのデータと過去のデータによって釣行前夜までにはシュミレーションができているわけですが、実釣ではボートの上で直感で判断するわけです。エートエートなどと考えているわけではありません。
 先日の釣行時にはハゼが一気に釣れなくなるという事態に遭遇しました。その原因は@ハゼの群れの中心的部分が移動してしまったAハゼはそこにいるのだが口を使わない、という状態が考えられます。
 @場合はエリア内を大きく点々と捜索してハゼの着き場を見つけるということです。Aの場合は潮が変わるのを待つということです。私は10束釣りを目指していますので、今まで釣れていたのに急に釣れなくなったときに潮替わりを待っているわけにはいかないのです。ですからハゼを探し回ったわけです。江戸川での潮の流れは一様ではなくて、ある部分で食い渋っても、ある別のポイントでは釣れるということがよくあるからです。
 貧酸素水というのは別名アオシオといってもいいのですが、アオシオそのものではないのです。溶存酸素量が極端に少ない海水が海底の窪地などに溜まっていて、それは深く浚渫された航路などでも同じですが,海水の循環が少ない場所に「悪い水」が溜まるわけです。そのような意味では江戸川放水路の最上流域の一部にはやはりそのような場所があって放水路内でアオシオが発生することもあるのです。
 下げ潮でハゼが一気に釣れなくなる時間がときにはあるということについて、そのような事情も一部考慮の必要があると私は思っています。でも水温、気温、風向き等々考慮要件はたくさんありますので、最上流域のアオシオ発生源のことだけを推量することは適切ではないことも確かです。
 アオシオはもちろん水面がコバルト色になるなど顕著な変化が見られます。問題はそのような顕著なアオシオではなくて、一見平常に見える場合が問題です。ハゼは浮いていないし、カニなども棒杭によじ登ったりはしていません。ただ注意して見ると水色が異常に澄んでいることです。川底が透きとおってはっきりと見えるわけです。
 夏場の今の季節にこのようなことになりますと大体がハゼは食い渋りです。私はこのような水色の時を「苦い水」がきたと言います。船宿さんなどは水温が急に下がったからという言い方をします。そのことは間違ってはいないことです。実際に水温が下がっているわけです。
 夏場に水温が1℃とか1.5℃とか急に下がりますと沖の海水が上下で循環作用を起こすのです。表面の風や波や空気で冷やされた海水が沈んで海底の貧酸素水が上部へ出てくるわけです。それが大規模にひどい状態になったのがアオシオです。
 小規模の目立たないこのような海水の循環というものは日常的にされているものと思われます。小規模で拡散されて薄まった貧酸素水は見た目では透き通って見えると思っています。また水温が低下しますとプランクトンなどの浮遊数が少なくなりますので、ササニゴリという状態ではなくなってしまうのです。ですから江戸川の水が澄むのです。
 ここ何日かはこのような「水色は澄み」の状態です。こうなりますとハゼは多少ご機嫌ナナメということになります。ちょっと息苦しいということですから仕方がありません。ですからエサを追う動作も不活発です。でも小さなハゼほど元気です。また潮の流れ具合で機嫌のよいハゼがたくさん集る場所だってあるわけです。探し回る価値があるということです。アオシオ気味の海水は比重が少し重いですから、深場よりは浅場で波が立っているほうが酸素補給がありますのでハゼは釣れるということになります。
 7/24の釣行では下げ潮が効いてきてから浅場でも一気に釣れなくなったのでした。私の手持ちのデータでも数少ない現象でした。ですから、ハゼを探して放浪の旅をした時間があるのです。データどおりでなかったら実釣ではハゼを探して回るしかないではありませんか。
 10数箇所を点々と釣りまわってちょっとずつサオを出して一番アタリが多かった場所は結局あそこだったなと思って川の中心部の瀬の上で釣ったのでした。大当たりでした。
 今年のハゼの釣れるエリアを見ていますと、昨年のアオシオ発生と同じ事が繰り返されるのではと内心は懸念しているのです。ひどい被害にならなければいいのだがと思っています。これも私一人の杞憂で終ってくれればいいと思っています。
 そのような意味では天候と貧酸素水塊の広がりを注意して見守っていこうと思っています。私のトップページで貧酸素水塊のことをお知らせしていこうと思っています。
 なお、データは千葉県水産総合研究センター作成の東京湾貧酸素水塊予測システム(ナウキャスト)のHPのものを使用しています。それに私の江戸川のハゼ釣りの経験からのコメントをつけたものです。
2009年7月22日(水)
その1. 1000尾釣ったのにアベレージが下がる
2009.7.22
 現在の私の江戸川でのミャク釣りの平均釣果の目標は1000尾というものです。
 2009年は7月17日現在で釣行9回、11,919尾、平均1,324尾というものです。
 釣行9回の中には、5月の時点でのミャク釣りでのヒネハゼ釣りの試し釣りの分532尾が含まれていますので、6月からのデキハゼのミャク釣りだけを集計しますと11,387尾で釣行8回ですから1423尾/回となるのです。
 いずれにしても、これからの釣行で実釣1000尾を何回か釣ったとしても、アベレージは下がり続けるわけです。
 毎回1,324尾以上とか、1,423尾以上とかを釣らなければ、それぞれのアベレージは下がるわけです。
 ですから、これまでもそうでしたが、私の釣果データで集計してある数字以上の釣果を目標にしてハゼ釣りにいくのですが、アベレージが下がらないような釣果に恵まれたとすると、次回の釣果の最低ラインが上がってしまうわけです。
 このことはジレンマといえば確かにそうであるに違いないのですが、モノは考えようでして、どこまでアベレージを引上げられるかという私個人の新たな目標のようなものができてきたのです。
 6月、7月は例年ハゼがたくさん釣れる季節ですので、この2ヶ月の間にアベレージを上げられるだけ上げておきたいところなのです。8月以降は1000尾以上といっても1100尾とかいう数字に近いものになるからです。としますと、たとえ1000尾釣ったとしてもアベレージは確実に下がるわけです。
 また、1000尾釣りたくても600とか400とかというように釣果が落ちてきます。これは季節的に仕方がないことなのです。
 このように5月の季節とか、9〜11月の季節というものは、1000尾という数字はとても厳しいものがあるのです。
 もしもアベレージの記録を狙うとすると、5月、10月、11月などはミャク釣りをやらない、という方針で臨むのが一番いいと思うのです。
 今の私にはそこまで割り切ってわざわざ記録作りのための釣行をする体勢にはなっていません。私ももう歳ですから今年あたりはチャンスなのかもしれませんが。
 そのような気持もあって、このところ釣行ペースは週一回とかで比較的ゆるやかな日程になってはいますが,釣果そのものはアベレージ以上の釣果を目標に臨んでいるわけです。
 私のハゼ釣りの目標というものは@シーズン累計1万尾Aミャク釣りで一日1000尾Bミャク釣り平均一日1000尾Cミャク、リールトータルでの平均500尾というものです。
@とAはまあ比較的容易に達成できると思うのです。@は釣行回数を増やすことにより到達できます。Aは本人の努力があってこそなのですが、たとえそうだとしても、幸運に恵まれて達成できるということもあります。問題はBで私が21年前にハゼ釣りにチャレンジした時の目標がミャク釣りで一日平均500尾というものだったのです。
 21年前の平成元年は1000尾が1回、ミャク釣り平均が500尾ということでクリアできたのでした。もちろん1万尾というものも達成できました。
 現在ではミャク平均500尾というものを1000尾に引上げたわけです。このことは10年前とか15年前とかの実力では望んでもできなかったのでした。いまではそれが可能になったということです。
 その大きな要因は「1000尾釣れる時季でさえあればいつでも当たり前のように1000尾を釣ることができる実力を会得する」という目標を設定したことでした。
 このことによりどのような現象があらわれたかといいますと、1000尾釣りの連続記録という形であらわれました。15回、17回、18回、22回連続などということが何回もできるようになりました。シーズンによっては私の個人的な事情によって1000尾釣りの回数が少ない年もありました。
 2009年は多分このペースですと、たとえば、連続8回で途切れるとか、あるいは10回連続までいけるとか、そのへんのところで途切れると思うのです。仮に途切れたとしても、間を置いてまた1000尾を達成できたとかいうことになるはずなのです。それは毎年のようにしてきたことでもあるからです。
 私の21年間を振り返って見ますと、まず第一に一日1000尾を達成することに全力を傾け,それができたら次はそれを何回再現できるかにチャレンジし,次はアベレージ500尾をクリアできるように努力し、それらの形がついたら、次にワンシーズンに何回1000尾釣りができるか挑戦したわけです。最後にたどり着いたのが連続して何回1000尾釣りができるかということでした。
 Cのリール釣りを含めてのアベレージ500尾というものがとても厳しい目標になります。そこで私が設定したものが、リール釣りで一日500尾を釣る、という目標でした。江戸川の川中で釣る秋ハゼと深場の落ちハゼ釣りとでは釣果が倍以上違ってきます。秋ハゼのリール釣りはなんとしても500尾を釣りたいと思っています。これまでに11回一日500尾以上を釣っています。これまでの最高はリール釣りで一日739尾というものです。
 いずれにしても、ハゼをハリ掛かりさせる技術、手返しの技術、それらを可能にする仕掛けの技術、エサ付けの技術、ボートの操船技術、ハゼの着き場をいち早く見つける技術、釣りポイントを移動する決断をする技術等々、どれもが欠かすことのできないものだと思うのです。
 ですから、ハゼの数釣りというものは、釣りの技術の集大成だといつも申上げているわけです。
 私の到達点はまだまだ高くはなく、私自身この先を見つめている昨今でもあります。